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走りたい人と走り始めた人の話(後編)

2019年11月に、自信のnoteで右半月板損傷・右大腿骨軟骨損傷という怪我を負っていると発表した須河沙央理。ただ、怪我をしている間も、須河は多くの人と出会い、自分のできることに精一杯取り組んでいます。

怪我で思うように走れない須河が、人に誘われて出席した勉強会でファシリテーターを務めていたのが、組織開発ファシリテーターの長尾彰さん。長尾さんは「宇宙兄弟 完璧なリーダーは、もういらない。」「今いる仲間でうまくいく 宇宙兄弟 チームの話 」といった本の著者でも知られ、多くの企業やスポーツ団体をチームビルディングしています。

前編は須河の怪我の状況や、「なぜ走るのか」といったテーマについて語りましたが、今回は後編をお届けします。

競技のワタシ、仕事のワタシ

-須河さんって高校、大学、実業団で活動していた頃は、周りの人に配慮していたんですか?

須河 私は結構配慮してきました。高校、大学、実業団とチームに所属していたのですが、私は「強くなりたい」「負けたくない」という想いで競技に取り組んでいました。同じように強くなりたいという人もいたし、所属しているだけという人もいました。気を抜けばあまり良くない方向に流されそうな雰囲気もありました。だから、周りに気を遣いながら、自分がぶれたくないポイントはぶらさないように気をつけていました。

-会社での須河さんはどんな人なんですか?

(広報) うーん、須河さんは外から見ていて他者との距離感をほどよくとっているようなイメージです。「他の人に負けたくない」という思いやメラメラした闘志みたいなものは普段は感じないですね。他のメンバーとのコミュニケーションでは、相手の事をおもんばかる場面が多い気がします。

須河 確かに自分の意見を強く言うタイプではないと思います。

長尾 僕がアスリート、というか、真剣に運動をしている人の話を聞くのが好きなのは、身体の感覚が優れているからです。すぐには言語化できないかもしれないけれど、角度を変えて質問したりするとはっとするような表現で説明してくれたりする。運動していない人に比べて、分かりあえるものが多い感じがしているんです。

例えば、走っている時に凄く苦しくなりますよね。頭の中には、どんな言葉が飛び交っているんですか?もしくは、走っている自分を外から見ようとする意識になったりするんですか?

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須河 あります。きついときは走りもぐちゃぐちゃなので、腹筋に力を入れたり、腕振りを意識したり、少しでも楽して走れるように、普段意識しているポイントを強く意識するようにしています。そこで冷静になれたらいいですが、きつすぎて感情が優先することももちろんあります。

長尾 本田圭佑選手は別の自分を「リトルホンダ」と表現していたけれど、会社の仕事で「リトル須河」は出てこないですよね?

須河 ないですね・・・(笑)

長尾 身体の感覚が伴っているとき「メタ認知※」と言われる、自分の身体におきていることを、冷静に考えたりすることが起こると言われています。

※:認知(知覚、記憶、学習、言語、思考など)することを、より高い視点から認知するということです。メタ認知は、何かを実行している自分に頭の中で働く「もう一人の自分」と言われたり、認知についての認知といわれることがあります。

-須河さんは会社で働いているときの自分と、走っているときの自分は別人ですか?

須河 全然違います。競技中は、熱い闘志や冷静な感情などいろんな感情が入り乱れています。スイッチとか入れずに、自然と競技のモードになります。

-須河さんはユニフォームを着ているときの顔が、普段と全然違います。

須河 走っている私のことしか知らない人からは、走っているときは表情が怖いし、ツンツンしていると言われることがあります。

アスリートと選手の違い

長尾 仕事をするときの自分と競技をするときの自分ってどうバランスとってますか?外から見たら「怪我をしている実業団のランナー」と思われているかもしれないけど、ご自身はどんな認識でいらっしゃるのか知りたいです。

須河 私は、「走るのが速い一般人女性」という認識です。人よりはちょっと秀でたいけど、今の私は実業団ランナーやアスリートという括りには該当しないと思っています。

-須河さんが考えるアスリートってどんな人なんですか?

須河 最近考えたのですが、アスリートは競技で結果を残すだけではなくて、周囲にいい影響を与えることができる人のことでもあると思います。発信する言葉が注目されたり、行動が話題を呼んだり、人々に影響を与える、巻き込むことができるのがアスリートかなと…。

-最近になって、働きながら走っているランナーでも実業団のランナーより速く走っているランナーが出てきていますが、実業団ランナーより速く走っているランナーは「アスリート」なのでしょうか?

須河 確かに。よく言われる「市民ランナー」と「実業団選手」の違いについて私も考えるのですが、その方たちもアスリートですね。市民ランナーと言われている方々も、SNS等を通じてよく発信されていて、競技や仕事に対する考え方であったり、練習メニューであったり、参考にさせていただくことが多いです。

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長尾 いい問いですね。僕の中でアスリートの定義はシンプルで「自分のことを自分で決められる人」です。監督や指導者から言われたことだからという理由でやる人は「アスリート」とは言わないかなと。監督や指導者に言われたことだけをやる人は「選手」という言葉で表現するのがしっくりきます。

須河 以前実業団チームで走っていたとき、自分で考えて実行するということが出来ていなかったと思いますし、チームでやることに対して、居心地の悪さを感じていた時期もありました。今は、自分で考えて、目標のためにやるべきことを決められるので、今の方が楽しさはあります。

長尾 自分が組織開発の仕事でしていることがちょっと分かってきました。居心地が悪いチームは、そもそもチームじゃないです。チームになっていたら居心地がよいはずだから。僕がやっていることは、居心地が悪い場所は「チームじゃなかった」と、一度unlearn、つまり「今まで正しいと思っていたことを解きほぐして違うものの見方をする」をすることや新しい体験を通じて記憶の書き換えをしているのかもしれないです。

今やりたいこと、将来やりたいこと

-須河さんから長尾さんに聞いてみたいことあります?

須河 いまチームビルディングの仕事をされていると思いますが、もし明日から別の仕事をしなくてはならないとしたらどんな仕事をしますか?

長尾 難しい...と思う反面、今の仕事をやらずに他の仕事を...と言われても、チームビルディングは僕にとって仕事ではなく手段だから、どんな仕事を選んだとしても結局そこにつながっちゃうと思うんです。僕がいま、強く興味関心を向けているのは「映画を作ること」です。映画を作るといっても、脚本家集めて、カメラマン集めて、ってやったら出来るっていうのは方法論として分かってるんだけど、「作る」というプロセスそのものを自分で体験してみたいんです。試行錯誤を楽しみたいというか。

本を書いてみて、文字になっているものと、声で伝えることが、全く違うんだということなんだと分かりました。僕が伝えたいことと、読者が受け取っているものが違うんだなと。

最近、歌も作りました。僕が作詞した歌をアーティストが歌ってくれて、コーラスも一緒にやりました。

目で見て理解する本、耳で理解する音楽、目で見て耳で理解するものは映画。だから映画を作ってみたいんです。

-収入とやりたいことのバランスはどう考えてらっしゃるのですか?

長尾 お金のことは、ちゃんと考えたことなかったです(笑)。お金だけ稼げって言われたら、お金を稼ぐための仕事「マネーゲーム」をやるだろうなあ。学生時代は貧しくて、2週間を500円で過ごしたこともありました。電気も止められる、水道も止められる。でも、人に頼んで事情を話せば食べ物をくれるんです。100円貸してって100人に言えば、10,000円になるけど、100円返してって後からいう人はほとんどいない。そんな体験がありました。

小学校4年生のときは、夏休みの宿題をやっていきませんでした。やっていかなかったら何が起こるのか知りたかったから。それで、実際にやっていかなかったら、9月1日に先生に5分怒られて終わった(笑)。

そういった体験をしてきて、どうにかなってきたし、お金のことは「どうにかなる」って思ってます。

将来は合宿所のおばさん

須河 私にはやりたいことがあって、それは合宿所のおばさんになることです(笑)。練習はハードでも、食事を提供したり話相手になったりすることで、癒やしじゃないですけど、競技のツーンと張り詰めた空間から離れた場所を作りたいなと思っています。

長尾 緊張とリラックスのバランスだよね。競技の緊張感と普段の暮らしとのちょうどよいバランスが。

須河 悩んでいる人もいるので、ちょっとでも話し相手になって、話を聞いてあげることで、選手の気持ちが変わって、前向きに生きていけるようにする役割を担いたいと思っています。よく、将来は指導者になりたいのかと聞かれることがあるのですが、私は指導者より別の手法でサポートするのが向いているかなと思っています指導するというより、影のほうにいて、必要なときに手を差し伸べられる、そういうポジションが理想です。

長尾 僕みたいな人が朝起きたら、すぐ走りに行けるような合宿所が理想的ですよね(笑)

須河 そうです(笑)

長尾 ちなみにその合宿所はどこにある想定ですか?

須河 長野県にある想定です。もともと標高500~600mの山奥で育ったのですが、菅平や黒姫でよく合宿をして、ますます自然豊かな土地が好きになりました。

長尾 僕、2019年の4月に長野県に小学校を開校したんです。もちろんひとりでつくったわけではありませんが。10月には出版社も作って「あたらしい しょうがっこうのつくりかた」という本を制作しました。

この小学校は、分かりやすく言うと「ドイツで生まれて、オランダで育ったイエナプラン教育の日本初の一条校」です。

学校の特色は、異年齢のクラス構成であったり、午前中はブロックアワーといって自分が学ぶべきことを教員とすりあわせて自分で1週間の時間割をつくる。午後はワールドオリエンテーションといって、午前中に学んだことを応用・実験・実践してみる、といったことをやっています。

閉校になった校舎を買って学校を作ったら、約60世帯中50世帯近くが県外から移住してきてくれました。「特色のある教育」をするだけではなくて、保護者や地域の人たちも交えて学校を中心としたコミュニティを作りたいと思ってます。

陸上競技に例えるなら、監督に「これやっとけ」とメニュー渡されて言われたとおりに実行するのではなく、選手といっしょに「次の大会でこのタイムになるためのが目標で、メニューは一緒に考えていこう」ということを実行している学校です。

この学校の近くにセミナーハウスにする場所を購入したのですが、他の自治体でも「イエナプラン教育を導入したい」という話がちらほら出始めています。そうすると、見学の希望がすごく増えるんですね。でも、遠方からやってきて1日の授業だけ見学しても、部分的にしかわからないと思うんです。なので宿泊も伴って滞在しながら学校で取り組んでいることや子供たちの変化をじっくりと見学できるような場所がほしい。
だから、このセミナーハウスは「合宿所」なんです(笑)。

須河 すごい(笑)

長尾 ぜひこの合宿所を使って、子どもたちに走る楽しさや喜びを伝えてほしいです。そして、子どもたちだけじゃなくて、大人たちも走ったほうがいい。脚がある動物は走ったほうがいいはずです。その方が健康が保たれるように出来ていると思うから。走るように人間はできているけど、走る機会がないから走らなくてよいだけだから。元々持っている人間の能力はあるけど、使ってないだけだから。

優れた指導者は選手に「走り始める理由と走り続ける理由」を上手く手渡せる指導者だと思います。僕は須河さんみたいな「合宿所のおばちゃん」みたいな指導者が欲しいなと。

陸上祭りをやろう

長尾 1500m走の話に戻りますね。実は、僕が須河さんのベストタイムに対して、1日1秒ずつ詰めていくと、10月9日に追いつくんです。だから、10月に陸上競技場を借りて、陸上祭りをやりませんか?。

須河 お!ぜひ!やりたいです!

長尾 「やり投げ」とか「ハンマー投げ」とかもしてみたいんです大人のスポーツテスト、な感じ。2019年の夏に小学校でスポーツテストをやる予定だったんですけど、台風の影響でできなかったんです。大人のスポーツテスト、というか陸上祭りをやりたいです。

-ペースメーカーはお兄さん(須河のお兄さんはプロランナーの須河宏紀さん)で(笑)

長尾 10月までに僕を4分50秒に仕上げてくれるコーチがほしいな。お金は払います(笑)10月に勝負しましょう。須河さんはまずは怪我を治さなきゃいけないから、あまり走りこまないでくださいね(笑)

(聴き手/編集 西原雄一

イベント運営や執筆業など幅広い活動をされていて、一つの肩書には収まらない人・西原雄一さん。今回の対談企画も西原さんの提案で実現しました。

今回の対談は一つのスタートであり、無事に怪我を治療して早く走り始めたい須河と全力で走りたい長尾さんの二人が「1500mで真剣勝負」をするまでの序章。

またみなさんに、この物語の続きをお届けできるのを楽しみにしております。

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