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ただの現実しかない

あれよ、あれよとあの古びたスナックでの営業開始から丸2年が経とうとしています。

保守的一筋の守りの人生の中で
初めて自分でやってみたいと家族にわがままを言ったのがお弁当屋をする事でした。
(家族は不思議と即答でイエス!だった)

何故お弁当屋なのですか?
何故ここなのですか?とよく聞かれますが

私は若い頃からバイトに明け暮れ
色んな飲食店を渡り歩いてきました。
バイトだったりマネージャーだったり
色んな立場を経験しながら、ずっと調理は【プロのするもの】と畏敬の念を持っていました。

そんなレストラン勤務の時期に、私は当たり前のように恋人もおらず
毎日朝から晩まで働き通し。
楽しみは近所のしずかなお店でのお昼の定食でした。
そのお店が後の私のお師匠さん。

陰気で疲れ切った私もお昼だけは人間に戻れる気がしました。

コロナ禍で日常バランスを崩し、その延長で人間関係に疲れて
もう人に振り回されたくない。自分のペースで自分の作りたいものを作りたいと思いました。
同時に持病が発覚したこともあって
精神的にも塞ぎ込んでいたかも知れません。

なるようになれ!の思いで見習い志願をしたら
かつての陰気な私を覚えていてくれた師匠が2つ返事で引き受けてくれました。
私の濃くて短い見習い。
それでも仕事の基礎を全て叩き込んでくれました。
仕事への向き合い方、テクニック、自分のおかれた環境への感謝の気持ちも。

ダメ元で父の居酒屋の休業中に細々と間借りでお弁当屋さんをしよう。
豪華ではない日常の、罪悪感のないお弁当を作ろう。コロナ禍でもそのくらいの贅沢はしようじゃないか!がスタートです。

そして多々あって間借りは強制終了、
ピンチの私を救ってくれたのがあの小さくて暗くて古いスナックの一室だったのです。

間借りの時から資本金は10万円、ダメだと思ったらすぐに辞めると自分に誓い
自分でリフォームしたり、父親に無賃で頼んだり
劇的★ビフォーアフターだった。

そんなぬるりとした始まりなので
皆さんの『なんかドラマティックな展開があるんでは?!』という期待に応えることもなくて

弁当屋さんをやってみたかったから。
ココしか空いてなかったから。
特に風俗街に思い入れがあるワケでもない。

という薄い理由しかありません。

加えてご馳走でもなし、
健康第一、無添加無着色!と謳うでもなくて
手づくりの罪悪感のわきにくいお弁当というコンセプトだけ。 
コンソメもマヨネーズも使います。

強いて言えば『フリースタイル。』
こだわりとか縛りに囚われずにニュートラルに良いと思うこと、楽しいと思うことをやっています。
営業日程も自分のペースで出来る範囲だけ。

とてもわがままな営業形態ですが
こんな店が一つくらいあっても良いんじゃないでしょうか。

売れたい!知られたい!という野望が欠片もなく
自分のペース、自分の好きな場所を守れたらそれが一番です。
多くは望みません。
ただ、このお店を好きだと思ってくれる人
かつての自分のようになにかに躓いたり傷ついた人が
少しでも元気になれる優しい気持を取り戻せる場所であること。

それだけです。
プライドもなにもナイけどそのポリシーだけをずっと貫いてきた二年間。

ニュートラルなようでいてとても頑固なのだと思います。
これからも硬く柔らかく、掴みどころのないお店であろうと思います。

今後ともよろしくお願いいたします。

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