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「旅する意味」ってなんだろう。


「あなたは何のために旅をしたのですか?」


私はこの質問が苦手だ。
そもそも旅とは、「目的」を明確化しないからこそ価値が生まれるものだと考えているからである。

しかし、大学時代に約一年間かけて、世界一周の旅を経験した私にとって、上記の質問から逃れられる日は来ないように思う。

「異文化を知り、価値観を広げるため。」
「グローバルな視野を持つため。」

私はこのような、ありきたりで、何の変哲も無い返答を繰り返しては、旅が人に与える「価値」の存在を伝えられない自分に、もどかしさを感じていた。

かつて、私は友人から「一年間も旅をする暇があるなら、語学留学とかもっと有益なことをしろよ。」と蔑んだ言葉をかけられたことがある。
確かに、語学留学や資格獲得のために時間を費やすことは、この上なく有益だと思う。

しかし、私は「旅」も語学留学や資格獲得に劣らない、いや、同等かそれ以上に、人生に置いて「莫大な価値」を生み出すものだと考えている。

今回は、そんな「莫大な価値」の正体や、「旅をする意味」を先人たちの言葉を借りながら言語化していきたい。

「若者は旅に出よ。」

多くの知識人はよくこのような言葉を口にする。

例えば、『電通鬼十則』の著者、植田正也は本書で

「特に旅は人を変える。知らない土地は、人の視点を変え、生き抜くアイデアとエネルギーを与えてくれるヒーリングパワーに溢れている。みなさん、旅に出よう。」(p.72)

と記している。

また、「可愛い子には旅をさせよ」ということわざがあるように、「旅」をすることの価値はかつてから重んじられていたように思う。

私自身、これまで30を超える国を訪れる中で、液晶画面では決して味わうことのできない、涙溢れる絶景や、その国の文化や風習、価値観を目の当たりにしてきた

しかし、そうした経験をし終えた今でも、「なぜ旅をしたのか?」というごく簡単な質問に、上手く答えることができない。

それは単に、「遊びに行っていただけ」だからだろうか?
確かに世間的に見れば、旅はただの「遊び」と映るのかもしれない。
しかし、私は決してそれだけではないことを確信している。

旅行作家の下川裕治は、compathy magazine『旅に行くこと自体は、自慢できるものでもないし、「意味」はない』の中で以下のように述べている。

「旅に出る理由」は「行ってみなきゃわからないから」である。今の若い人は「情報を既に見てしまった」ため、実際に行って感じたり、考えたりする手間を省いてしまっている。旅は「不安」によって、人の「勘」を強くする。これが生きる上で大切なのである。

この言葉は、旅を経験したことがある身としては、深く沁みるものがある。

今の時代、わざわざ時間やリスクをかけなくとも、ネットを使えば仮想的に他の場所に行った気になれる。

しかし、現地で感じられる異様な雰囲気や空気感、そうした環境に身を置くことで生じる「不安」は実際に行かなければ感じることはできない。

そして、この「不安」は、慣れない文化や場所に行くことで「孤独」を目の当たりにするからこそ生まれるものではないかと思う。

「私が若い人たちに旅を勧めるのは、広く見解を深めることもあるが、私は若い時に、自分が「一人」であるのを知ることが一番大切なことのように思うからである。若い時に、孤独を知ることは人の生涯の中でかなり大切である。」(p.75)

これは作家、伊集院静の著書『旅だから出逢えた言葉』の中で記されている言葉だ。


「人は生まれながらにして孤独だ」と語ったアインシュタインではないが、伊集院が伝えたいのは、

「孤独」を知る=自分という存在の価値を体感する

ということではないかと思う。
こう聞くと「自分探しの旅」という言葉が真っ先に思い浮かぶ。

比較文学者の管啓次郎は、明治大学公開文化講座『人はなぜ旅に出るのか』において、

『旅という行為は、2通りの違った欲望に貫かれている。
一つは「逃亡としての旅」で、今ある自分を変えるための、自分探しの旅である。
二つ目は、「探求欲としての旅」で、未知の対象との出会いを求めて移動をする旅である。』
(p.200)

と語っている。

「今の自分からの逃亡」と聞くと、「現実逃避をする、粗忽な人間」といった消極的な印象が感じられる。

しかし、私は「自分探しの旅」や「自分を変える旅」というのはつまり、「より広い見解や思考力を持って、過去の自分を客観視できるようになるための旅」であると考える。

そして、それは「自分という人間」をより成長させたいという、ポジティブな向上心から基づいていると思う。

管が挙げた二つ目の、「探求欲としての旅」については、人は誕生以来、アフリカをはじめとして新天地を求め続けてきたからも理解ができる。

動物行動学者の榎本知郎は、『なぜヒトは旅をするのか』の中で

「ヒトという動物は冒険心に富んだサルである。ヒトはどの生き物よりも、未知の世界を知りたいという欲求を持ち合わせている。これが、ヒトが旅をする理由である。」(p.193)

と述べている。

ここまでの先人たちの言葉から、「旅をする意味」が少し垣間見えてきたように思う。
つまり、それは

『経験欲や知識欲を満たしたいため』

では無いだろうか。

やはり、言葉にすれば抽象的でパッとしない。
しかし具体化できないのは、根底にこの「欲を満たしたい」という思いがあり、価値は後についてくるからであると思う。

冒頭で、私は「あなたは何のために旅をしたのですか?」という質問が苦手であることを述べた。
バックパッカーのバイブルと言われている『深夜特急』の著者、沢木耕太郎も「旅に出る意味」について以下のように述べている。


「旅に出たからといって何かが見つかると決まったものではない。まして、帰ってからのことなど予測できるはずもない。わからない。全てがわからない。しかし人には、わからないからこそ出ていくという場合もあるはずなのだ。」

旅に出る意味は「わからない」ままでもいい。
でも、わからないけれども「行きたい」という行動欲求を素直に受け止める心が大切なのかもしれない。

以前、30歳くらいの会社員の方と一緒に飲んでいた際、「僕はこれまで、君みたいに海外に行った経験は一度もなかった。でも、今になって興味を持ったから、これから旅をしようと思うよ。」とお話してくださった。

上述した、伊集院静の著書『旅だから出逢えた言葉』の中でも、世界中の美術館巡りをするため会社を辞めた女性に対して、伊集院は、

「その行動に対して恐れることは何もない。旅は一生の思い出になる。若いときの旅は印象が鮮明であるし、人間は目で見たもの、耳に届いたもの、口で味わったものなど、五感で体感したものは生涯、身体の中に刻まれるものだ。」(p.201)

と答えている。

私はこの言葉にこそ、旅がもたらす「莫大な価値」の正体が隠れているのではないかと思う。

旅で得られる経験や知恵は「すぐに役立つもの」ではないかもしれない。
しかし、それは一生涯離れることなく、血となり肉となって、その後の人生に大切な影響を及ぼしてくれるものだと確信している。


最後に、哲学者アウグスティヌスの言葉で文章を締めたい。

「世界は1冊の本だ。旅をしない人々は本を1ページしか読んでいないのと一緒だ。」

さぁみなさん、旅に出よう。

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