退屈恐怖症
スマホ中毒だと思ってい単ですが、どちらかというと自分は退屈恐怖症なのだと気づきました。
これは医学的な用語ではなく、私が退屈恐怖症とそう呼んでいるだけなのですが、病的なまでに退屈を恐れている自分がいたのです。
ソファでくつろいでいる時、電車に乗っている時、散歩している時、ほとんどスマホを触っていたり、podcastを聴いたりしていました。
ただ歩いてるだけ、ただ家事をしているだけではなんか効率悪い気がして、新しい情報を目で耳で得ている気でいましたが、それは聞こえのいい言い訳だろうと。
本当は暇で退屈で仕方がないのだと。
小さかったころ、休日が暇で退屈で仕方ありませんでした。
おでかけしたいけど、自力で遠くに行けない年頃なので、駄々をこねていた記憶があります。
人間の本能的に退屈が怖いのでしょう。
それは大人になってもほとんどの人が同じで、退屈を紛らわすためにスマホをずっと触ってしまう。スマホを触っていない時間が退屈すぎて怖いから。仕事でもそうかもしれません。暇だから退屈だからやりたくない仕事でも何もしないよりはマシだと考えてしまっているのかも。
電車に乗って、ただぼーっとしている人を最近見ましたか?ほとんどの人はスマホを見ていますが、本を読んだり勉強したりしている人はいますよね。
しかし、ただぼーっとしている人は最近みかけなくなりましたね。むしろ周りからは変な人だと思われているかも。
それだけみんなが退屈を恐れている。
だけど、退屈は悪者じゃありません。
退屈しているということは現状に満足していないということ。
満足していない現状を打破するために、行動すれば退屈は乗り越えられます。
人と会って話したり、新しいプロジェクトを考えたりするのもいいでしょう。
意外とぼーっとしている時にアイデアは浮かんできたりします。
そこでスマホでSNSやゲームをしてしまうのは退屈を誤魔化しているにすぎません。
スマホから離れてしまえば、未だ満足できていない現実が待っている恐怖。
自戒の念を込めて、退屈と向き合っていきたいと思います。
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