死から始まる作業療法

生老病死と言うように、この世に生を受けた以上、様々な思いと経験をしていくことだろう。自身のできることを好きなように、全力で生きていく事の大切さを感じざるを得ない。

前回、「病いは人生を見直すため」、「誰かの死は自分の最期を考えるため」と言った。

志村けんさんの死で、急に死が身近になった。

そんな声も聞こえてくる。

新型コロナウイルスに対する危機意識を改めてくれた。
日本に限らず、世界にも波紋を投げかけた。

一人の死によって周囲に与える影響は様々。

受け取る側に依存するとはいえ、考える機会を得たことを大切に思いたい。

死んでいくことへの恐怖や不安から見ない振りをしてきただけで、実際に死は身近な処で日々起きている。

それが身近な存在であればあるほど、自身の記憶と経験が一時に想起され、擬似的な感覚体験に……


いやいや、ガタガタ言い過ぎだ。

父の死から、何を受け、そして継いでいくのか。

もう少し時間がかかりそうだ。


つづく


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