1日1マンボ 第2回 「THE BIG BANDS ペレス・プラド楽団」

まん防よりマンボのほうが楽しい、と
今となっては懐かしくもあるまん防の期間に見つけたマンボの数々を。

マンボ・バカンの次にやっぱりペレス・プラドだよね、と思って探していて
見つかったのがこれ。

埋め込みが許可されていないようなのだが、リンク先に飛んでいただくと動画を視聴できるのでご安心を。

白黒時代のテレビ番組、これは貴重なものではないのか?
とワクワクしながら観た。

まさに、「まるごとペレス・プラド」で、ヒット曲のオンパレード。

オープニングは「Qué rico el mambo」 。のっけからワクワクする。

「Mambo del ruletero」で独特の指揮っぷりを堪能。

「Patricia」ではオルガンプレイを聞かせるが、
後に吹き込んだようなバウンスするリズムではないのに驚かされる。
「ロカンボ」を提唱する前の演奏だろうか。

当時こういったインストルメンタルのポピュラー音楽で、オルガンがテーマを演奏することは珍しかったそうで、ここにも、いかにペレス・プラドは斬新さを追求することに長けていたのかを見ることができる。

ここで歌手登場。
「プリティー、ゲール (pretty girl)」となまりの強い英語で紹介されたのは
「チャイ・デニー」と聞こえるのだが、誰なんだろうか?
そして曲名もはっきりと聞き取れなかった。

次にペレス・プラドがピアノで
「Pianolo」を演奏し始める。
これはマンボの原案となったデスカルガに近いものなのだろうと思う。
2コードでひとくさりアドリブを演奏するが、
小節の勘定を間違えったっぽい。この人でもこんなことがあるのか。

皆さんの大好きな「チェリー・ピンク」を演奏します、と紹介する。
トランペッターは、ハイメ・カルデロンという人だそう。

もともと、ペレス・プラドがこの「Cerezo Rosa」で26週チャートインするという当時の南米のアーティストにとって快挙を成し遂げたときにこの曲の顔とも言えるトランペットソロを担当していたのは、ビリー・レジスという人だったが、ペレス・プラドにばかり称賛が集まるのを良しとせず楽団を去ったのだとか。

ビリー・レジスの後釜として「Cerezo Rosa」を演奏したのが、ニカラグア出身のハイメ・カルデロンで、この曲を演奏することにエネルギーを使いすぎて脳にアクシデントを起こしてしまったそうだ。

「Cerezo Rosa」はよく知られているように、シャンソンが元曲である。
ペレス・プラドは、しばしばこういった既存の曲を一見強引とも言えるくらいの力技で自分色のアレンジに染め上げてしまい、本家よりも鮮烈な印象を与えることに成功しており、そのアレンジ力は見事としか言いようがない。

その次はボニーという女性ダンサーを迎え入れ、
「Peg-O' my heart cha cha」を演奏する。
この曲はよく知らなかったが、
ブロードウェイで、1907年に初上演されたレビュー、ジーグフェルド・フォリーズ(Ziegfeld Follies)で使われた曲とのこと。

ノロ・モラーレスが録音しているようだ。

続いて「Mambo ni hablar」だ。
日本で出ていたペレス・プラドのベスト曲集にはあまり収録されないが、名曲のひとつだと思う。

軽快なステップや、ブレイクのところで足を蹴り上げるといった「踊る指揮者ぶり」が素晴らしい。

派手に動き回るパフォーマンスと言えば、ジェームス・ブラウンを真っ先に連想するが、マンボブームの1950年代半ばといえば、ジェームス・ブラウンはまだゴスペルグループで活動していたころだ。

次のMCでは、ペレス・プラドは「composer」という単語を忘れたのか?
「compositor」と言いかけて噛んで言い直している。

ふたたびハイメ・カルデロンと、ペペ・リシャールと言っているのだろうか?もう一人のトランペッターをフィーチュアしてメキシコのマリアッチ風の大曲「Norma de la Guadarajara」でステージを盛大に締める。

そこから間髪をいれずにクローサーとして「Qué rico el mambo」が演奏される中、番組は終了する。

この動画のコメントを見ていると、ドラムが若き日のアレックス・アクーニャではないかというものがあった。確かにウィキペディアにも18歳の時にペレス・プラド楽団に入っていると記載があるが、そうだとすればアレックス・アクーニャは1944年生まれで、ペレス・プラド楽団の後、67年にプエルトリコに移ったとあるので、ペレス・プラド楽団に在籍したのは62年からの数年間だということになる。

この動画が放映された時期との時系列の整合性はどうだろうか?今の自分には確かめるすべはない。

幼稚園くらいの頃だったか、ペレス・プラド楽団が倉敷市民会館に来るというCMをテレビで流していたのを見て、親に行きたいとねだったが却下された時の悔しい思いがいくらかでも晴れたように思う。

ステージの緩急や間、といった面でも勉強になった。





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