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One of Those Nights





5月24日は私の秘密の宝箱みたいな存在だったPRISTINがいなくなってしまった日。
5月25日は私の人生の指針であり癒しであり友達のような家族のような、そんなSHINeeの誕生日。

一体どんな気持ちでこの2日間を過ごすべきなのか、実は去年のあの突然の発表からずっと考えていた。


PRISTINの解散を悲しんでいるとすぐに記念すべきSHINeeの誕生日がやってくる。
去年はメンタルがボロボロだった。ワクワクで予約したSHINeeのケーキを取りに行って、自転車に乗りながらたまたまランダム再生で流れてきたWEを聴いて泣いた。

解散が悲しくて悔しくて辛かったのはもちろんだけど、SHINeeの誕生日をお祝いするのも複雑な気持ちだった。

最推しのいなくなってしまったグループの
記念日を私なんかが祝ってもいいのか

SHINeeそしてシャヲルに失礼なんじゃないか

もうこれを機にきっぱり
シャヲルを辞めた方がいいんじゃないか

ジョンヒョンがいなくなって初めて迎えるSHINeeの誕生日は正直ヤケクソのような感じで祝ったし、渡韓してイベントに参加したりもした。
そして、それから1年経った去年、私は改めてその問題に向き合うことにした。

バイト帰りのバスの中でもその事ばかり考えていた。
今までのシャヲル活でも振り返るか、とカメラロールを遡っているとすぐにKEYLANDに参加した時の写真が出てきた。その写真を見たと同時にHologramが聞きたくなった。何だかスマホで聞くのではいけないような気がした。

バス停に到着してから家までの道を心持ち早歩きで帰った。
帰宅してすぐに自分の部屋に向かって中学生の頃から使っているTOSHIBAのラジカセでHologramを再生した。



聞きたかったのは”群青の夜〜One of Those Nights〜”
この曲は韓国でリリースされた”센 척 안 해(強がらない)”の日本語ver.になる。韓国ver.の센척안해も英語版タイトルはOne of Those Nightsとなっている。


One of Those Nightsとはどういう意味なのか。洋画や洋楽でもよく使われるのは
One of Those Daysだと思う。
直訳すると「それらの中の一日」って感じ。でもこのままだとよく分からん。こんなのどんな場面で使うのか。
私は「ツイてない、不運な日」っぽいニュアンスかな〜と解釈している。実際、日常や物語の中では小さな不幸が続く日や、めちゃくちゃ運が悪い日なんかを嘆く場面で使われている。「たまにはそんな日だってある」的なポジティブなニュアンスだと思われる。多分イギリス英語なのではないかな。その辺は英語に詳しい人に聞いてくれ。

それはひとまず置いといて、これを踏まえてOne of Those Nightsの意味を考えてみよう。
ツイてない夜、は何か不自然。とすると、そんな夜もある、が近いのかもしれない。
同タイトルのキー君の歌として考えるのなら「憂鬱な夜」といった感じじゃないかな。不幸や悲しみを思い出して気分が沈んでしまう夜。
そんな曲の歌詞が私の気持ちを少し救ってくれた。


まずは原曲の韓国語ver.の歌詞を引用させていただきたい。

오늘 밤 후횔 좀 할까 해
今夜少し後悔をしてみたい

아님 좀 미치든가
それかちょっと狂ってみる

머릿속 널 지워 버리게
頭の中の君を消してしまえるように

뭐라도 난 좀 해야 해
何かしてみないと

どうだろう、これはイントロ直後の一番最初の歌詞…にも関わらず初っ端からメッセージ性が強すぎる。
恐らく失恋やそれ以外のことで愛している「君」を失ってしまったのであろうキー君(語り手)がもういない「君」に語りかけているようにも取れるし、悲しい独白にも取れる。
出だしのこの歌詞からも読み取れるようにこの歌は「君」を失った悲しみを吐き出す語り手の独り言で構成されている。

밤은 짙어져 내 맘속도 갈 곳 없어
夜は更けてきて 僕の心の中には居場所がない

더 이상 센 척 안 해
もう強がりたくない

네가 떠난 이 공간 속에 못 있겠어
君が去ってしまったこの空間にはいられない

더 못 해 센 척 안 해
もう出来やしない 強がりたくない

이 기분 못 견디겠어
こんな気分は耐えられない

이 밤을 못 견디겠어
この夜は耐えられない

サビの歌詞もとても印象深いものに仕上がっている。
本当の気持ちを堪えて平気なフリをしていた語り手が思い出や痛みと向き合って「もうこれ以上は無理だ」と痛々しく歌っているような感じ。このパートでのキーくんの表情もより一層切なさを感じさせる要因になっている。

キーくんは昔からインタビュー等で「劣等感があった」「弱味や弱音なんて言っちゃいけないと思ってた」と発言していた。
そんなキーくんが強がることをやめてもう耐えられそうにない、と歌っていることが私にとってはかなりの衝撃だった。


この曲が公開された当時、多くのオタク達が『とても失恋のことだけを表しているようには思えない』と言っていた。
はっきり言ってしまえば、ジョンヒョンのことを歌っているんじゃないか、と思っていたっぽい。
正直私も初めて曲を聞いた時にはそう感じた。そして日本語ver.が公開されるとその思いはより強くなった。

もう一度あの場所へ 傷つくために
やり直せるのなら 罰さえうけるさ
明日が輝こうと 夜が覆い尽くす
この部屋のどこにも キミはもういない

…とてもしんどい。
一度そう(ジョンヒョンのことだと)思ってしまうと全部それに当てはまっているように感じられる。

やり直したい、戻りたい、君がいないここにはいたくない




もちろん、これから先もリリースされていくであろうSHINeeやメンバーのソロの曲を聞いて全てをそれに当てはめるのは良くない。それはきっとメンバーもファンも重々承知していることだと思う。彼らは前に進んでいるのだから。


けど、キーくんはあの曲を通してある意味大切なものを失った誰かの「弱さ」を肯定してくれたんじゃないか。
前に進むことだけが全てじゃない。時には過ぎ去ってしまった輝いていた過去を振り返って感傷に浸ってもいい。


チェミノやテミンはこう言った。

「忘れられることが一番怖い」

「どうかジョンヒョンのことを
忘れないでください」

「ファンの皆さんの頭の片隅に
SHINeeがいればいいなと思います」

私達は無理にPRISTINやジョンヒョンのことを忘れなくてもいいんじゃないか。
寧ろ、必死に前ばかりを見て記憶から彼ら彼女らを消してしまう方が悲しいことなんじゃないか。

12周年をお祝いしながら心のどこかで4人の集合写真に胸を痛めてもいい。心のどこかでソロカットでジョンヒョンが映らないことを嘆いてもいい。
HINAPIAのデビュー〇日記念を祝いながらもし今もPRISTINがいたなら、というIFを想ってもいい。
PRISTINメンバーの活躍を見ながら少し寂しいような気持ちになってもいい。

過去に縋ってしまうよりも、過去を忘れてしまうことの方が悲しい。


今、そしてこれからの彼ら彼女らを応援しながらたまには過去を振り返って、
もう戻らないあの時を思い出すのもきっと大事なことなんじゃないかな。

あの子たちが必死に生きて必死に活動して残したものは負の遺産なんかじゃない。
きっとこれから先も誰かを励まして誰かを勇気づけるものであり続けるはず。




色々悩んで、私はSHINeeの11,12周年を心からお祝いできるようになったし
HINAPIAやPRISTINの(元)メンバーたちのソロ活動も素直に喜べるようになった。

もちろん、全員がそうあるべきだとは思わない。
中にはまだ4人のSHINeeを受け入れられなかったり、PRISTINがいないという事実が自身を苦しめている人だっていると思う。それは当たり前のことだし無理に矯正される筋合いはない。


一番いけないのはやっぱり、あの子たちがその歴史に生きていた事実を忘れてしまうことだ。

これからも時にはみんなで過去のときめきを共有して、今の切なさを分ち合おう。
オタクとはそうやって生きていくものだもの。
アイドルという趣味で繋がった他人同士がこんなにも繊細な感情をさらけ出せるなんて、素晴らしいことじゃないか!


ここまで読んでくれてどうもありがとうヾ(´︶`♡)
吾輩はこれからもシャヲルでありHighでありUBYである。

仲良しなオタクたち、これ以降もよろしく頼むぞ。

さらば( ^_^)/~~~







지쳐버리는 그날이 오면 기억해
아름다웠던 우릴

疲れて果ててしまったその時には思い出して
美しかった僕達を

EXO_Power

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