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私がどんな人間かはあなたが決めたらいい。

なぜか最近、また急に新しい“ともだち”が増えてきています。TEDxKAGOSHIMAに出た影響かなあと言う気もするけどよくわからないですね。とにかく色んなところに顔を出すのって大事だなあと思ってるところっす。

今では新たに知り合った方々とはとにかくfacebookでつながるのがデフォルトみたいな流れもあるので、そこで知らなかった人々がどんな人でどんな生活を送っているかを目にしてそれがなかなか新鮮に感じています。へぇ面白いことやってるなぁとか、あの人とあの人がつながってるのかあとか。

SNSで色んな人が書き込んでるのを見てて思うけど、一部に、自分はこんな人間だよって思ってもらおうとしているのも結構あるなあというのを知りまして。あ、この感覚、自分にはあんまりなかったなぁと。そのへん僕はその時その時で全然違うこと書いたりしてて一貫性ないんで(苦笑)。そしてそういう人たちは、自分への縛りを自身で課してるようでしんどそうな気もします。別にいいんだけど。

僕の好きな本に、マーク・トウェインの「人間とはなにか http://amzn.to/1ttnLwq」

というのがありまして。マーク・トウェインはトムソーヤの冒険を書いた人なのですが、晩年に出したこれは彼の悲観的な人間観をあらわしたものだと評されることが多いです。老人と若者が対話するという構成で、とにかく若者の「人間とはなにか?」という疑問に対して、人間なんてのは結局は環境や教育に影響されて出来上がったものでしかなくて自由意志なんてものはないんだよ、みたいなことを淡々と答えていくというもの。自由意志というものについてロマンティックでありたいという人には悲観的に読めるのかもしれないけど、僕にはこれ、とても自由を感じたんですよね。だって自由意志なるものがないとすれば、その時々でやりたいなと思ったことをやるのに躊躇はいらなくなりますからね。

そして。

この考え方を推し進めていけば、目の前にいる誰かのことを、その人がどんな人間かというのは自分で決めつけちゃっても構わないし、むしろそっちのほうが自由だということになる。これはいいなと思うんですよ。もちろん間違ってても構わないわけですし。そもそも間違ってるかどうかも自分で決めてしまえばいい。

最近、ぶっちゃけ恋愛とか人間関係とかで相談されることが増えてきてますけど、これってたこやき屋のカウンターから視点でいうと、「あぁ、今年も夏がやってきたなあ」って感じなんですよ。初夏の風物詩的な。むろん当人にとってはシリアスなことだしそこは僕も最大限尊重してますけどね。そして僕が言うべきことは決まってるんです。

「だいじょうぶ。キミはなんにも悪くないよ。タイミングの問題だよ。腹が減ったらたこやきでも食っていけばいいよ」、と。

深く考えても結論の出ない問題はいったん置いて、まずは別の環境を知ってみてそこにお試し期間で身を置いてみるのも悪くないんじゃないかなあと思いますよ。帰る場所があるうちに、とことん我執とごちゃごちゃやったらいいんじゃないですかね。そんで疲れたら帰る。親鸞ってなんかそんなこと言ってたような気がするけど、ウチは宗派違うしそもそもそういうのよく知らないですごめんなさい♡






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