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僕的にSPIKEのヤバさはgoogle以来かも。

まずはこれを見てくれ。

https://spike.cc/price

あなたはこの一枚の価格表から何が読み取れます?


表題の写真はチェコの通貨「コルナ」。首都はプラハ。カレル橋が有名ですが、ちょっと裏通りを行くとなかなかこわいところです。特に地下。元社会主義の国って独特の空気がありましてね。生産のバリエーションがないので、街が単調なんですよ。例えば屋根の色とか。んでチェコはビールが名産で、地元の方が行くレストランではそれなりのディナーがビール込み800円くらいで腹いっぱい食べられます。でも旅行者向けのホテルはめちゃくちゃ高い(1泊30,000円くらい)です。なぜか。

チェコは外貨を獲得しなければならないからです。

日本の通貨は「円」です。世界で米ドル・ユーロと並んで信頼の厚い通貨と言っていいでしょう。
今日(2014.4.15)現在、1コルナは5.1円。チェコはインフレ率が2%くらいですから、円のほうが高くなっていくと考えられます。
というか為替というのは本来、みんなが欲しいモノを生産出来る国の通貨が高くなり、みんなが欲しいモノを作れない国の通貨は安くなるんです。世界中の人々が欲しがる「チェコの品物(ビールやボヘミアガラスなど)」と「日本の品物(車や電子機器や一般機械)」の量を比べてみたら一目瞭然ですよね。



ではもしあなたが100万円ぶんのボヘミアガラスを買おうとしたら、実際のお金の動きはどうなるでしょうか。

あなたが注文し、支払った100万「円」は誰かがそれを現地のお金「コルナ」に替えて支払います。それと交換で手に入れたボヘミアグラスがあなたのもとに届きます。そこで取引が終了。それによってチェコ国内に100万「円」つまり外貨が入ったことになります。このお金でチェコは日本の「車」や「電子機器」を100万円ぶん購入できるようになりました。貿易というのはこうやって、お互いが足りないところを補い合うのです。

ところで雑な言い方をすると、ボヘミアグラスやチェコビールを必要としない人にとっては、コルナという貨幣は存在してもしなくてもどちらでもいいような存在です。貿易の必要がないんですね。ほんとは回りまわってるのが経済なんで必要がないわけじゃないんですけど、そういう弱い通貨が世界にはまだまだたくさんあります。

※新しく経済ができるまでを知るにあたって面白く読めるのがこの本「ルワンダ中央銀行総裁日記」。あまり知られていないですが、アフリカの小国ルワンダに中央銀行を作ったのは日本人なんです。その服部さんという方によるもの。絶版してたのですが復刻しました。 http://amzn.to/1qDaHF5


閑話休題。
あなたは家計簿をつけていますか?家計簿というのはお金がいくら入っていくら出て行く、という流れを記録するものです。もしつけていたら支出の欄を少し眺めてみてください。日々の生活に最低限必要な固定費と、額を動かせる変動費に分けることができると思います。そしてよくよく見ていくとお金の使い道のうち、友達や職場でなどコミュニケーションに必要なお金というのが思ったよりも占めているということがわかってきます。人間はひとりでは生きられない。「幸福の反対は不幸せではなく「孤独」(by愛するということ  Erich Fromm著) http://amzn.to/Q95PKW 」というのが家計簿にも表れていると思います。

ではなぜコミュニケーションにはコストが付随するのか? コミュニケーションにお金がかからなければいいのに、と思う人も多いでしょう。

ここで出てくるのが社会学黎明期の巨人ゲオルク・ジンメル (Georg Simmel)です。ジンメルは貨幣について、「貨幣は人間と人間との間の関係、相互依存関係の表現であり、その手段である。すなわち、ある人間の欲望の満足をつねに相互にほかの人間に依存させる相対性の表現であり、その手段なのである」と言ってます。お金はコミュニケーション・メディアだと。
※ちなみにこれはたこやき大学に来てくれた山口揚平さんも言ってますね。
 http://diamond.jp/articles/-/33043

つまりメディア(media)がなかったら何かと何かのあいだをつなぐことができないよね。貨幣がそこに適してるよね。なぜかって?それは貨幣ほど「無性格」なものはないからだよ、と。
貨幣を経済学からでなく社会学から捉えるとこんなふうな見方もできるということです。


ってことでここからがやっと本題。SPIKEの価格表から何が見えるかって話です。

SPIKEは通常の決済サービスと違って注目されているのは、初期費用や月額固定費、決済手数料などが無料というところですよね。そして返金やチャージバック(キャンセル)などのない、スムーズに取引が行われた場合に唯一かかる費用は「振込手数料」です。これはつまりどういうことかというと「SPIKE上の貨幣を円と交換するプロセスには手数料という障害が発生する」ということ。円からSPIKEへのプロセスはゼロであるのに。
これは読みかえれば「SPIKEという国境を超えた経済圏を発展させませんか?」というメッセージではないかなあと。

SPIKEの佐藤氏のブログのこの記事 「グローバル化とインターネットのその先にある世界:あらゆる境界線が見直される10年間 http://katsuaki.co/?p=135 」読むと、境界の再定義がキーワードとして浮かび上がってきます。「分人論(by平野啓一郎) http://amzn.to/1t4liLe 」にも似た。

そして佐藤氏は貨幣を、国家という境界の象徴みたいなものから解き放ち、今まで以上にスムーズな環境を作り出すことで、人々がもっとコミュニケーションを取りやすくし、誰もが孤独に陥りにくい新しい社会を構築できるのはずと心の何処かで思ってるような気がするのです。

僕は個人的には通貨供給のしくみはいまの中央銀行制度がいちばんうまいこといくものだと思ってるわけです。通貨の価値を何で担保するんだよ、とかってまずは考えるじゃないですか。ですが、もしかしたらそれはまだ旧い「境界」に囚われてるのかもしれないなあと。

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