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まじめ中毒。

まじめっていうのは中毒性がある。まじめっていうのはあくまで目的を達成するための方法のひとつでしかないはずなんだけど、早いうちからまじめにやることそのものが目的化してしまい、大人になってからもまじめという方法でしか問題にアプローチできなくなってるような人って結構多い、ような気がする。
幼い頃に怒られたくないからまじめにするよう躾けられたとか、受験みたいにまじめに時間かけていけば評価される仕組みの中で競ってたとか、そういうのが背景にあるような気もするけど正直よくわからない。ただ、まじめ中毒の人って理屈の幅が狭いなと感じることはよくある。正解まで一直線だから気持ちいいだろうなとは思うけど。

生きていると色んな問題にぶつかる。そして、そのときに人は問題を解決したり、問題を細分化して本質を探ったり、問題から逃げたりして次へ行く。

問題の解決が新たな問題の発生を促してたりするケース、ちょっと俯瞰で見てみるとそういうのって多い。そしてまじめ中毒の人は俯瞰で見るのが苦手だ。まぁこんなこと書くと「まじめの何が悪いんですか!」ってまじめ中毒の人には言われたりするんだけどさ。

世界を「善い悪い」で判断するのが僕はいちばん怖い。歴史は、善と善が争ってそこに関係ない人が巻き添えになっていったことばかり書かれてある。僕は巻き添えになりたくないんでね。

やっぱ、まじめな問題を不真面目なアプローチで解決するか、不真面目な問題をまじめなアプローチで解決するのが僕は好きだなぁ。


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