私の名前は 恋汐りんご

第4話  武道館


お台場を後にした保は、電車に揺れながら、我が家に向かっている。
車窓に都会の景色はとっくになくなり、真っ暗な闇の中にポツンポツンと家の灯りが見えるだけだ。

「やっと山梨に戻ってきたな。それにしても、ほんとに夢みたいな1日だった。
初めて一人で東京にきて、ライブ会場に行って、汐りんを応援するつもりが、俺が汐りんになるなんて。」

最寄駅が近づいてきた。
夢のような1日は、電車を降りた瞬間に思い出に変わり、またいつもの日常に保を引き戻す。

駅には、妹が車で迎えに来てくれていた。
保が住む実家とは目と鼻の先に家族で居を構えている妹だ。

「わざわざ迎えにきてくれてありがとうね、悪いね」
「お兄ちゃん、東京はどうだった?ライブ楽しめた?」
「あぁ、楽しかったよ。夢みたいな時間だったよ。。あ、お土産買ってくるの忘れちゃった!」
「んもぅ!お兄ちゃんたら!ひどい!」

そんな会話をしながら、車は実家への道を進む。

「ほんと、いい1日だったよ。ずっと忘れない。」

「お兄ちゃん大袈裟なんだからぁ、また次のライブに行けばいいじゃん!」

「そうだな。今度は母さんの年金で買ってもらったチケットじゃなく、初任給でチケット買ってライブに行ってみたいな」

妹は微笑みながら「そうだね。明日から就職先一緒に探してあげるよ!なんてったって、記念すべきはじめての就職活動だもんね!」

「あははは、こいつぅ、よく言うぜ!」



月日は流れた。

バンドじゃないもん!MAXX NAKAYOSHIはライブでアンコールの一曲を披露した後、ファンの前で重大な発表をした。

みさこがステージ中央に立ち、ホールの端から端までゆっくり眺めた後に大きく息を吸ってから口を開いた
「私たちバンドじゃないもん!MAXX NAKAYOSHIは、、、遂に!念願の武道館でライブを行うことが決定しました!
これも、今まで支えてくださったもんスターのみなさん、スタッフのみなさん、これまで関わってくれたみなさんのおかげです!」

ファンから大きな歓声があがった。
世界はコロナを克服し、もうマスクを外して大声で叫ぶのだって自由だ。

コロナに打ち勝ち、目標達成も確実に視野に入った。いや、完全に捉えた。
感謝の気持ちを込めて、その日の最後の曲「6RESPECT」を披露しライブは無事終了した。

数ヶ月後、みさこは事務所の机に向かい武道館ライブの演出について考えている。
「セトリどうしようかな。。演出は?MCは?」考えることはたくさんある。

みさこは武道館ライブでは、これまでのバンもんの歴史の全てをファンと一緒に振り返りたいと思っていた。

バンもんの立ち上げから、メンバーの増員。
段々と大きくなっていく舞台。
コロナ禍でのツアーやベストアルバムの発売。
色々と思い出は積み上がっていった。

しかし、ひとつ気がかりなことがあった。
一人のファン、一人のメンバーのことだ。
そう、保のことだ。

あの日以来、バンもんのライブに顔を見せることはなかったのだ。

「たもつんはたしかに、あの日私たちとステージにいた。たもつんも私たちの大切な仲間であり、歴史なんだよ。。」
みさこは立ち上がり、事務所で作業中の岩田マネージャーに声をかけた。

「岩ちゃん、チケット会社に昔の記録ってあるかな?たもつんの住所調べられないかな?」


数日後、みさこは山梨にいた。
チケット会社から保の住所を聞き出すのは、個人情報保護の観点から困難を極めると予想していた。
しかし、事情を話すと、特例として教えてくれたのだ。
この事は、絶対口外しないとの約束だけは守ることを条件に。

保の住所が書いてあるメモを手に、みさこは実家を訪ねた。
何度ドアをノックしても反応はない。留守のようだ。

一度駅前に戻り、夕方にでも出直そうと思った時、偶然保の妹が運転する車が通り過ぎた。
ブレーキランプが赤く光った。
運転席のドアが開き、降り立った女性がみさこに話しかけた。

「もしかして、、、みさこ?さん?
 やっぱりそうだ、私は保の、馬場保の妹です。今、実家の鍵開けますので、どうぞ上がっていってください。」

みさこは、保に一歩近づいたことに安堵し、誘われるがままに、実家のリビングに上がった。

「保さんは今、どうなさってるんですか?」

ヤカンを火にかけ、お茶の準備をしている妹の背中に今日訪問した理由を投げかけた。

「実は兄は今東京で一人暮らしをしているんですよ。だから、せっかく来ていただいたのに、申し訳ありません。
ライブでの件は、兄に聞きました。東京に旅立つ前日に。
あの人、あのライブの日まで一度も働いたことがなかったんですよ。それなのに、あの後からすっかり人が変わったようにやる気出しちゃって」
妹は上機嫌で保の変化を語った。

一通り話した後、みさこは東京に戻っていた。みさこはポケットからスマホを取り出し、汐りんに連絡をした。
「もしもし、汐りん?ちょっと頼まれて欲しいことがあって。うん。  うん。」

みさこは、汐りんなら保を再びバンもんのメンバーとして連れてこれると信じている。
だから、岩田マネージャーにこう指示した。
「公式SNSで、武道館ライブ当日、ビックリするようなサプライズ発表もあるかも?と発信しておいてくれるかな?」


次の日、汐りんは都内のビルにきていた。まさに一等地にそびえ立つ日本を代表するオフィスビルだ。

エレベーターのボタンを押す。

25階。誰でも聞いたことがある会社が入居している。

エレベーターのドアが開くと、いかにも仕立ての良さそうなスーツをきたサラリーマンが忙しく右に左に動き回っている。

1人の男性が後ろを向いて立っていた。小柄で小太りの初老の男性だ。

「やっと見つけたよ。」

振り向いた男性は間違いなく、あの日恋汐りんごとしてステージに立っていた人物だ。
そう、保だった。

「し、汐りん、、。」


ちょうどランチの時間だ。二人はビルの前のベンチに並んで座っていた。
汐りんは、保と一緒に昼食をと思い、おにぎりを作っていたのだ。
普通に考えれば、推しメンが作ったおにぎりなんて食べられるのは奇跡以外ありえない。
「はい、たもつん、おににに(注:汐りん語でおにぎりのこと)」
「え!あ、ありがとう」
「さあ、汐の作ったおににに食べるなのし。たもつんは、なんの具材が好きなの?汐はー、やっぱりお塩が大好っきー!」

ふふっと笑いながら、おにぎりを口にする保。

「たもつん、東京で仕事してたんだね。汐ビックリしちゃったのな。」
「うん、あのライブの後、縁があってビルの清掃の仕事についたんだ。」

「たもつんはアイドル屋さんを卒業して、立派な社会人になったのな!」
笑顔で話しかける汐りんに保は言った。

「立派な社会人かぁ、どうかなぁ」
なんだか浮かない顔をしている。それもそのはずだ。あの日以来、バンもんのライブに行っていない保は、汐りんに合わせる顔がない。そんな表情を見せていた。

「実は今日たもつんに会いにきたのは、理由があるなのけど。」

「その前に!汐りん、武道館決まったみたいだね。おめでとう。」
「はわ!たもつん、知っててくれたなの?それなら話が早いなの。単刀直入に言うなの。たもつんはバンもんの歴史でありメンバーなのな。だから、一緒に武道館に立ってほしいってわけなのな!」

保には、驚いたという感情以外ない。それほどの衝撃だった。

汐りんは「保は絶対お願いを受け入れてくれる」と信じていた。

しかし、保の口から出た言葉は、汐りんが期待していたものとは正反対だった。

「ごめん。汐りん。それは出来ない。ほんとにごめん。」
「なんでなのし?汐にだけは本当の理由を話してほしい。」

しばらく時間が流れた。
いや、正確には数分だったかもしれない。
しかし二人には何十分にも感じられた沈黙だった。

「実は、俺、、、、乃木坂46にスカウトされたんだ。。。ありがたい話だからお受けしようかと思ってるんだ。」

汐りんにとっては、まさに青天の霹靂だった。
あんなに自分を推していてくれた保から断られるなんて、少しも想像していなかった上に、あの日恋汐りんごだった保が乃木坂46に入るだなんて。

「ごめんね。汐りん。バンもんを嫌いになったわけじゃないんだ。ただ、乃木坂46の一員として活動する以上、バンもんのライブを観に行くのはもちろん、ステージに上がるわけにはいかない。。あの日、恋汐りんごになり、汐りんと出会い、俺は気付いたんだ。汐りんは汐りんだけの汐りんじゃない。だからこれからもファンのみんなを楽しませてあげてね。

俺はもう恋汐りんごとして、同じ歌なんてもう二度と歌えないんだ。
ほんと、いい思い出をありがとう。」

汐りんは下を向きながら、保の言葉を聞いていた。
保は「ごめんね。これからは乃木坂46の一員として、バンもんとはいいライバル関係でいたいって思う。お互い頑張ろう。」そう言い残して、仕事へ戻ろうとした。

背中越しに汐りんの声が聞こえた。
いや、背中越しではなく、背中を突き破り、汐りんの言葉は保の心臓を貫いた。

「ほんとにそれでいいなの?乃木坂さんで楽しくやっていけるなの?それがたもつんの本当の気持ちなの?
はじめてのツアー、はじめてのMC、あの時の君はどこにいるなの?

それがたもつんの本当に望んだ道なら汐は何も言わないし、武道館に一緒に立つってゆー夢は諦めるなの。

ただ、これだけは伝えておくなの。
たもつんは、汐にとっても、バンもんにとっても、The One and Onlyなのな。。

武道館来てくれるって信じて待ってるから。」

保は振り返る事はなく、そのまま担当の清掃場所に戻った。


1ヶ月後。
いよいよ数日後は武道館ライブだ。

SNS上では、サプライズ発表の内容を予想するファンの書き込みで賑わっていた。
「まさかバンもん解散じゃないよね?」
「きっとまた改名するんじゃない?」
「誰か脱退?まさか増員はないだろうし?」
武道館当日まで、サプライズの予想が終わる事はなかった。


武道館ライブ当日。

みさこはメンバーを集め円陣を組んだ。
「みんな!今日までついて来てくれてありがとう。そして、今日集まってくれたもんスターにバンもんがハッピーを投げつけよう!」

リハーサルを終え、着替えも済ませ、メイクも終わり、フォーメーションの最終確認をしていたメンバー。

「汐りん何してるの!」ぐみの声が楽屋の空気を切り裂いた。

みんなが汐りんの姿に驚愕した。
汐りんが自分の足を拳で叩いていた。

「汐が足にケガをすれば、きっとたもつんは助けに来てくれるはずなのな!」
「バカ!本番前になんて事してるの!」岩田マネージャーが汐りんを羽交い締めにして制した。

「汐、たもつんにはたもつんの未来があるの。私たちの勝手でその道を閉ざすことなんて出来ないんだよ」
みゆちぃは
汐りんを諭した。

その時楽屋のドアが開いた。


「まさか!!!」

保の登場を期待した一同だったが、そこにいたのはスタッフだった。

「開演15分前です。よろしくお願いします。」



例のオフィスビルでは、休日にもかかわらず出勤している保がいた。
誰がどう見ても、仕事に覇気が感じられない。
朝からため息ばかりだ。

それを見兼ねた職場の同僚。といっても、保よりさらに15歳上のおじいちゃんだ。

「保くん、どうしたんだい?考え事かね?こないだ会いに来た女の子のことかい?」
人生の先輩は、どんな事もお見通しだった。

保は信頼している人生の先輩に、自分が元アイドルだったこと、バンもんが今日武道館でライブすることなど、全てを話した。

人生の先輩からのアドバイスは一言だけだった。



「人生それでいいのかい?」


保は一点を見つめていた。。

立ち上がり、一礼して走った。



武道館では場内アナウンスが流れ、照明が落とされた。
いよいよ始まる。

武道館ライブ、今日はBKYRは流れない演出だ。
真っ暗なステージの上でメンバーがそれぞれの立ち位置に立つ。

暗闇の中、舞台上でメンバーそれぞれアイコンタクトを取る。頷く。

二階席に設置されたスポットライトがみさこを照らす。
それはまるで、武道館までの道を思わせるような一筋の光だった。

大きく深呼吸をし、


「聴いてください! 7RESPECT!!」


終わり。

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