松山久美子とピアノと私
今ぐらいしか読んでもらえるチャンスがないから書こうと思う。
この記事は「なぜ私が松山久美子を断ち切れないか」について語る、湿度の高い記事である。
前回、前々回のnoteを読んで興味を持った人だけに向けて書いているので、全然一般的な話ではない。注意してほしい。
松山久美子がどんなアイドルで、どこが好きで云々といった話は、すでにこちらのメディアで記事にしてもらったことがあるので紹介しておく。
上記の紹介記事でも少し触れているが、松山久美子とピアノ、そしてなぜ私がそこに執着してしまうかを長く語っていく。覚悟して読んでほしい。
この記事では以降、松山久美子の事を久美子さんと呼ぶ。
ピアノが弾けるアイドルは6人
アイドルマスターシンデレラガールズには「ピアノが弾けるアイドル」として6人のアイドルがいる。
(※記事公開後、指摘があったため追加しました)
梅木音葉、松永涼、持田亜里沙、松山久美子、西園寺琴歌、黒川千秋
6人いる中で久美子さんが一番ピアノが上手いか、というと実はそうでもないと思っている。
久美子さんの実家はピアノ教室であり、幼い頃からピアノと共に育ってきた人ではあるが、演奏家一族だったり音大に入ったり、演奏者である経歴はほとんどない。ピアノ担当として活動しているのはアイドルになって以降のことだ。
このあたりがピアノ=松山久美子と推していくのは難しい理由でもあるのだが、今回の主題ではないので脇に置いておく。
久美子さんとピアノ
私自身、長くピアノを習っていたので、特技や趣味がピアノになっているキャラは気になる。ではなぜ、その中でも久美子さんのピアノに執着したのか。
それは、久美子さんのピアノには羨望と悔しさと葛藤があったからだ。
これはデレステのほうにも実装されている『アレグロ気分』というカードの特訓後だ。ピアノをやった経験がある人なら「ん?」と思うだろう。発表会出たことないの?何で?
ピアノ教室というものはだいたい発表会という機会がある。ホールを借りてやる発表会では、華やかなドレスを着て弾くことも珍しくない。ましてや久美子さんは「人から見られて美しくなる」をモットーに掲げているわけだから、この発言はすごく「変」なのだ。
2014年にこのカードと出会って以来、私の中でずっとこの発言が気になっていたが、長らくその答えが明かされることはなかった。
そして答えが出たのは2016年のデレステで同カードが実装され、エピソードが追加されたときである。
これを読んで、あー、となった。あー、としか言えない、そういう感情だった。何かしらの教室に通っていた人なら一度や二度は感じたかもしれない劣等感が、久美子さんの中にはあったのだ。
さらにその後、モバマスのシンデレラヒストリーでも久美子さんとピアノの関係が登場している。
シンデレラロードのイベントコミュにて久美子さんの幼少期が語られることとなる。
発表会には出たい。出たいけれど、自分が他の人よりも上手ではないということを晒したくない。自分の実力不足と強すぎる自意識のせいで、発表会という場を自分から遠ざけてしまう。そんな不器用なところに私は強く共感した。
その葛藤はデレステイベント、シンデレラロードにて詳しく描写されている。
しんどい。
幼い頃の久美子さんの気持ちがわかりすぎてしんどい。
久美子さんにとってピアノは親友だ。親友なのだけれど、自分よりももっとピアノと仲良くしている人は沢山いるのだ。自分はああなれない、自分にはそこに至る実力がない。そう理解してしまった瞬間が私にもある。だからどうしようもなく、このエピソードが突き刺さった。
そしてシンデレラロードの後半で更に追い討ちを受ける。
もう大の字になって倒れたい気分だった。「キレイになりたい」と思ってるのに、本当の一生懸命を手に入れられない。「努力」という才能と情熱が自分にはないと理解してしまう瞬間ほど残酷なものはない。
自分が何者かになれないとわかってしまったら、逃げ出すか嫌いなるか、あるいは身の程をわきまえた付き合い方をするしかない。
しかし久美子さんが逃げ出したところで、彼女の家はピアノ教室で、彼女が得られなかった音はずっと聴こえてくる。
嫌いになろうとしても、ピアノはあまりに身近な存在で、もう今更切り離せない。
では自分の実力を受け入れて、私のように「並の」努力に留めてピアノと付き合っていくか。
久美子さんはそのどれもができなかった。だって彼女はこういう人なのだ。
「見栄っ張り」と評されることもある自意識の高さゆえに、「普通の人」になることを自分に許さなかった。それがアイドルとしての成長に繋がっていくのだけれど。
その後の久美子さんとピアノ
アイドルになってからの久美子さんは、ピアノと上手な関係を続けている。人前で弾くことに引け目を感じることはもうないし、壁にぶつかったとしても視野を広く持って、ちゃんと人に頼ることもできる。
出来ない自分を晒すことに怯えず、外見だけのキレイさに拘ることもない。
モバのイベントやデレの営業では、楽器のできるアイドルと一緒に、ユニットとして登場することもある。
特化型の武器にはならないかもしれないが、ピアノ=久美子さんというイメージは着実に積み重なっていると思う。
私と久美子さん
実のところ、私は久美子さんをピアノ関連で好きになったわけではない。わたしがモバマスをはじめて久美子さんを好きになったのは2012年。モバマスでピアノが言及されたのは2014年の『アレグロ気分』だから、それまでは単純に顔が好みだっただけだ。
その『アレグロ気分』だってデレで補完されたのが2016年なのだから、およそ4年は久美子さんの顔だけが好きだったことになる。
もし、私がデレマスを辞めることのできたタイミングがあったとしたら、それは『アレグロ気分』のエピソードが出る前だろう。三年前の一件ですら結局辞められなかった。あのエピソードに自分を重ねすぎていたからだ。
私はアイドルとして成長する前の、不器用でがむしゃらで、プライドの高すぎる久美子さんが嫌いで好きだ。
少しだけ妥協すればもっと楽に生きられたかもしれないのに、そうしなかった彼女が好きなのだ。
私は妥協してしまった人間だ。だから、似たような挫折や葛藤を抱えながらも意地と根性で頭を上げ続けた久美子さんの姿が眩しくて仕方ない。
もちろん松山久美子は架空のキャラクターで、与えられた物語は誰かが作り上げたものだ。わかっている。
それでも、私は久美子さんの葛藤に現実を感じた。
だから私はこれまでも、これからも、彼女のことが好きなのだ。
あーあ、明日目が覚めたらシンデレラガールズ全員に声がついてたりしないかなぁ!