松山久美子のコミュを読む
はじめに
この記事は 松 山 久 美 子 のコミュ(主にメモリアル)について書く。
松山久美子のコミュ感想文である。
まつやまくみこのコミュ感想文である。
とても大事なことなので何度も繰り返しておく。
190分の1の事故を立て続けに二回もくらうと、色々思うところがあるんだ。
当然ながらコミュの解釈は人それぞれ、感想も人それぞれなので松山久美子Pの総意ではなく、一個人の感想文である。
メモリアル1
松山久美子ってどんなアイドル?と思った人がまず見てくれるとしたらこのメモリアル1だろう。しかしこのメモリアル1が公開されたとき、私はちょっとヒヤッとしたし、なんなら今読み返してもハラハラする。なので、弁明というか、フォローをさせてほしい。
メモリアル1はPがアイドルオーディションの審査を終えて帰ろうとする場面からはじまる。
アイドルのオーディションには応募していなかったはずの久美子は応募用紙を渡して自己アピールを始める。
この時点でまあまあ……だいぶ強引だし、強烈だなと思う。このコミュは後出し情報なので、そういうエピソードがあると知らずに松山久美子を好きになっていた私はちょっと面食らった。(モバのイベントで超大御所に真正面からケンカ売りにいく、速球ゴリ押し系ピッチャー気質であることは知っていたが)
「モデル部門に落ちたから」
「アイドルにこだわりはない」
「キレイになることを諦めたくない、それに比べたらアイドルを目指す理由なんてささいなもの」
正直に言うと、松山久美子のPやってなかったらこの三点でカチンときてたと思う。おもしれー女だな、とかちょっと思えない。アイドル舐めてないっていうけど大分舐めてるし、その上、(メタ的にも)松山久美子の現状の位置を考えると、思いあがりも甚だしいとさえ思う。「どうだっていい」なんて思ってても口に出しちゃダメよ、と言いたくなる。
けれど、フォローをさせてほしい。
久美子さん、この時点で内心ではめちゃくちゃ焦っていたんだと思う。
既に「松山久美子とピアノと私」という記事で久美子さんとピアノの関係について書いているが、久美子さんはピアノで人から注目される道を諦めた人である。
彼女はおそらく音大生ではない。音大生になるほどの情熱も必死さも才能もない。だから、ピアノでステージに立つという道を自分で閉ざしてしまっていた。
しかし久美子さんにはピアノとは別に自信があった。それは自分の容姿だ。この人、自分の顔がいいことを理解している。だから真っ先に申し込んだのがモデル部門なのだ。外見を磨くことに関しては応募前からずっと続けてきているだろうし、たぶん自信があったはずだ。
だがオーディションに合格しなかった。その理由がまた強烈だ。
「君くらいの美人はたくさんいる」
辛辣ぅーーーー!容赦がないが、事実でもある。アイドルマスターの世界は美人が山ほどいるのだ。
おまけにシンデレラガールズにはモデルとして既に活躍した上で転身したアイドルは何人もいる。
モデル部門を落とされた、ということは、この時点の久美子さんはそのラインにすら到達できていないということなのだ。
(※モデルになれなかった理由の一端についてはスシローイベントでちょっと明かされるよ)
きっつい。
ピアノの道を自分で閉ざした以上、容姿で勝負するつもりだったのに、こんなこと言われたら泣いて帰るしかない。
しかし久美子さんは泣かなかった。そして帰らなかった。
これを見境なしととるか、それともナイスガッツととるかは人によると思うが、ともあれ久美子さんの負けず嫌いが発動したことで、なんとかPと出会い、アイドルとしての道を進むことになったわけである。
メモリアル2
無事に?オーディションを合格した松山久美子は、アイドルになるための初レッスンに臨む。しかしレッスンルームには一人居残り練習をする久美子の姿があった。
久美子さんのこういうとこ、良くない癖だと思うけど好きだよ。
出来ない自分が嫌いだ。惨めだ。
初レッスンなんだから出来なくても変じゃない。けれど、おそらくそれなりにそつなくこなしてきたつもりでいる久美子さんからしたら、出来ない自分を認めるのは悔しい。できるはずだと思っていたのにできない。悔しくて一人で練習してみてもできない。
まるでピアノのときと同じだ。
メモリアル2になっても久美子さんは焦ったままだ。
何者かになろうとして、なれないと自分で諦めて逃げ出した過去と同じである。
しかし今回は逃げ出さなかった。それが過去の久美子さんとの違いで、成長した部分だと思う。
メモリアル3
アイドルとして活動していく第一歩、宣材の撮影をすることになった久美子。ようやく自分が人に注目されるのだ、という期待を胸にスタジオに入るのだが……
正直言うと、「この子、やりおった……」って頭抱えたよ。
いや、わかるよ。わかる。久美子さんのバックボーンを画面の向こうにいる私は知っているので、こんなこと言っちゃう理由もわかる。
でも初見のPからしたら、ちょっと引いちゃうかもなって思う……。
新人アイドルが「自分はもっとキレイなはずだから撮り直して」なんて、アイドル系の漫画でいったら次の週で主人公キャラにめたくそに負けた上でスタッフにも冷たくあしらわれて膝ついてる系の発言よ。
1でちょっとヘイトを稼いでおいて、2で解消して、3でおかわりするの何。ライターは松山久美子をどのポジションに置きたいの。って思っちゃう。
幸いにして、久美子さんはここでPに諭されて反省し、自分の非を認めてスタッフに謝りに行くので、±0ではあるのだけれど、やっぱり今読み直してもヒヤヒヤする。現実離れした我儘とかならともかく、いかにもありそうで、実際に体験したことがある人だって居そうな、嫌な方にリアリティの高いエピソードだからね。謝罪に行くまでがワンセットじゃなかったら遺憾の意を長文で運営に送りつけることになってたよ。
久美子さんが「自分には内面の美が足りていない」とちゃんと気付ける子でよかったよ、ほんと。
エピソード「松山久美子」特訓後
初めてのアイドル衣装を身に纏い、松山久美子はアイドルとしてデビューする。
よかった~~~~!ちゃんとPの言葉が届いてた~~~~!
ってなったよね。1~3のメモリアルで浮き彫りになった久美子さんの課題が、解決に向かいはじめた瞬間だ。
キレイになる、という意志は変わらない。けれど、自己満足としてのキレイではなく、人に何か与えられるキレイを目指そう。
松山久美子が目指す「美」とは何か、それがここで定まったのだと思う。
メモリアル4
松山久美子のアイドルとしての初仕事。それは美容部員として新作コスメを宣伝することであった。
このメモリアルに励まされた女性は私だけじゃないと思う。
メイクが好きなアイドルがほかにいる中で、メイクで勝負する美容部員の仕事を松山久美子にさせてくれてありがとうと思った。
このメモリアル、共感ポイントがモリッモリすぎて、これまで何度も読み返しているマイベストメモリアルである。
デパートのコスメフロアとかでやってる新製品のイベント見て「キレイだけど私には無理だな」って思っちゃう所とか、自分のことかと思うぐらいわかる。そうやってフロアから逃げ出したことは一度や二度ではなく、声をかけられても「アッ…ミテルダケ……イイデス…」なカタコトでフェードアウトしていったことも少なくない。
キレイになりたいと思ってネットや雑誌で見かけた化粧品を買おうと思っても、元の造形のレベルが段違いすぎてコレジャナイ結果になるのが目に見えているので躊躇してしまう。
あ゛ーーーーー!わーかーるー!!!この女性は!私!!!
そう確信できるぐらいにリアリティがある。私はデレステの中のPではあるが、同時に画面の向こうにいる一人の人間でもある。だからこの一般女性は私なのだ。ピカピカに磨かれたフロアできらきら輝く化粧品を前にして萎縮して尻込みしてしまう自分に、松山久美子はこう言うのだ。
「キレイは努力で作れるものなのよ」
最高の一言である。しかし元の造形が完成されてる松山久美子を前にしたら、私は尚もこう思うだろう。「それは美人が言うからそうなのよ」と。
でも久美子さんはここで、自分の言葉がお世辞でも慰めでもないことを証明してくれる。
コントロールカラーで肌を明るくし、アイメイクで目を大きく見せ、肌の性質に合わせた保湿と美白ケアを勧めてくれるのだ。
いつもよりキレイになった自分が、その一瞬だけかもわからないけど、自信を持つ。これは私のためのコミュだ。と思ってしまうほど、共感できる場面だ。
そしてこれまで自分のために努力してきたキレイへの努力が、誰かのためにもなった素晴らしい場面でもある。
自分が満足できる美であり、人が憧れ、そして勇気を持てるキレイになろう。
この姿勢が、私が松山久美子を大好きな理由のひとつだ。
メモリアル5
仕事が終わって帰るだけと告げると、久美子はPをバーへと誘う。そこにはかつて久美子と同じピアノ教室に通っていた女性がいた。
かつての社畜根性が抜けずに事務所で残業コマンドを選んだので、初見では見られなかった分岐コミュである。ちなみに残業コマンドもそれはそれでときめくイベントが発生するので、よければ見てほしい。
このメモリアル5は、これまでの1~4のメモリアルからだいぶ時間が経過していると思われる。
おそらく久美子さんがアイドルとしてデビューし、ピアノと向き合って人前でピアノを弾くようになり、他のアイドルと一緒に演奏ライブをする活動などを経た上でのコミュだ。
だからピアノに対するかつての諦めは乗り越えているし、それを懐かしむ余裕もある。
自分の至らなさや、目を背けるしかなかった弱さを思い返し、それでも子どもの頃の些細な思い出にせずにいる。過去の自分は確かに幼くて視野が狭かったけれど、否定しようとは思わない。
この自己肯定感の力強さに私は惹かれる。その瞬間瞬間に感じた思いをを色褪せずに保持するということは、自身の負の部分も含めてちゃんと認める必要があるからだ。こういう強さが好きだ。自分にはないからこそ。
このコミュで少し意外だな、と思ったのは久美子さんがピアノを弾かなかったところだ。ここに至るまでに久美子さんはピアノを人前で弾いてきているはずで、自信だってつけたはずだ。ピアニストにはならなかったけど、プロになった人がその一音一音の丁寧さを褒めるぐらいなのだから、それなりの演奏ができるはずだ。
でも弾かなかった。
それはたぶん、ピアニストの彼女の前だから引かなかったのだろう。臆したわけでもなく、遠慮したわけでもないと思う。
久美子さんはここできちんと線を引いたのだ。自分はアイドルとしてピアノを弾く。だからプロのピアニストが演奏している舞台に上がるときは、アマチュアのピアノ弾きとしてではなく、プロのアイドルとして立つ。
同じプロとして並び立つことができる。アイドル松山久美子の成長した姿がこのコミュの中にある。
おわりに
アイドルになる前の松山久美子は、何者かになろうとしたけどなれないまま焦っていた人である。
今の松山久美子は、何者かになろうとする人を勇気付け、どこまでも研鑽を怠らないアイドルである。
松山久美子が素敵なアイドルであることを私は知っている。でも、その証明としての声をライブの中でも聞けて、それが私だけではない誰かにも伝わればいいなと思っている。