天然痘を発生させる方法【仮説/考察】

例えば、天然痘を発生させることができるとすれば既存のウイルス理論は全て崩壊する。この世界において意図的に天然痘を発生させることができた人は存在しない。とすれば、もし今のオカシクなった世界をひっくり返せるとすれば、その環境要因の全てを記録して世界中にそれを公表し、その環境要因で世界中の革命を望む人間に天然痘を引き起こさせることである。
つまりは、『天然痘革命』である。

前提として、私達の提唱するPleomorphism (microbiology)では、病気の原因は単一のウイルスなどの物質では無く。その人間の免疫反応や細菌の反応まで幅広いモノを対象として疑い、その発生機序や身体が何を目的に反応しているのかを考えます。

天然痘と発生時期に導入された文化

この日本という国において、まず天然痘というのは存在しなかった。これは古神道側の勢力の文化の中では天然痘が発生しない文化形態であり、仏教の勢力の導入した文化の中にその原因が存在しているということを意味しています。

また、古代の方々の考えとして残っているのが
『会津地方に天然痘がはやったときに赤べこの人形を持っていた子どもは病気にかからなかったという伝承もある』wikiより

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会津地方では魔よけや福を招く郷土玩具として、一家に一つはあるほど親しまれている。「語りべさんの中で、赤ベコの話ができるのは恒子さんしかいないんですよ」。民俗館の理事長、渡部認さん(56)がそう話した。
 赤ベコの由来は諸説ある。大同(だいどう)2(807)年、徳一大師といわれる僧侶が福島県柳津(やないづ)町の福満虚空蔵(ふくまんこくうぞう)堂を建立する際に、重い材料などを黙々と運ぶ赤い牛がおり、完成前夜に石になって寺院の守り神になったという。
 その赤ベコの供養のために張り子人形が作られ、会津地方に天然痘がはやった際に赤ベコの張り子人形を持っていた子供たちは病気にかからなかったと言い伝えられている。
https://www.sankei.com/region/news/140905/rgn1409050062-

私が天然痘の発生で疑ったのはこの伝承だ。天然痘が発生した地域で『赤べこ』を持っていた子供が何故か病気に罹らなかったというものだ。科学的に見てしまえば、ただの偶然で終わらせることができるが…『赤べこ』が齎したのは行動の変容ではないのか?

何故なら、この人形のお腹にはしっかりと「痘」が描かれているではないか…これは厄除けではなく先人達の病原を疑うメッセージだと私は認識している。それに同じように『痘』が発生するのは『牛痘』だ。先人達が牛を病原だと疑うのはオカシナ話ではない。

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そして、日本で渡来人が持ち込んだ文化が『犂』です。

疱瘡は天平7年(735年)に朝鮮半島の新羅から伝わったとある(天平の疫病大流行)。当時は外交を司る大宰府が九州の筑前国(現・福岡県)筑紫郡に置かれたため、外国人との接触が多いこの地が疱瘡の流行源となることが多く、大宰府に左遷された菅原道真や藤原広嗣らの御霊信仰とも関連づけられ、疱瘡は怨霊の祟りとも考えられた
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%96%B1%E7%98%A1%E7%A5%9E
日本においてプラウは、その伝来の経緯から犂(すき)と呼ばれ、カラスキ(唐犂)、もしくはクビキスキ(軛鋤・頸木鋤)や牛(馬)引き鋤(うしびきすき、ぎゅうひきすき/うまびきすき、まびきすき)・牛鋤/馬鋤(うしすき、ぎゅうすき・うますき、ますき)とも呼ばれていた。正倉院に収蔵されている子日手辛鋤(ねのひのてからすき)は、758年正月の行事に使われたと伝えられており、また、滋賀県草津市の中畑遺跡からは平安時代のカラスキが出土している。犂の種類には、中国から伝来し、大化の改新の時代、時の政府が推奨した長床犂と、朝鮮半島からの渡来人がもたらした無床犂があり、長床犂はプラウのヒールに相当する床が長く、安定して耕起することが出来て取り扱いやすい反面、大きな牽引力が必要で長い床の為に深く耕すことが出来なかった。一方、無床犂は床がないために深く耕すことが出来たが、取り扱いには熟練を要し、その取り扱う姿から抱持立犂(かかえもったてすき)とも呼ばれた。最初に犂が伝来した九州の北部をはじめ、西日本では犂を使っての耕起が盛んであった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%A6
朝鮮系渡来人によって6世紀以降に朝鮮半島を起源とする無床犂が伝わり、中国唐代の唐犂(カラスキ)を起源とする長床犂は7世紀に遣唐使などにより伝来し、天智政権のもとに地方にひろめられたとされる。香川県下川津遺跡や兵庫県梶原遺跡では、7世紀の遺構から長床犂が出土している。
http://matsuyama-museum.or.jp/history/index.html
渡来人の移動が活発になった6世紀半ばに最初のエピデミックが見られたと考えられている。折しも新羅から弥勒菩薩像が送られ、敏達天皇が仏教の普及を認めた時期と重なったため、日本古来の神をないがしろにした神罰という見方が広がり、仏教を支持していた蘇我氏の影響力が低下するなどの影響が見られた。735年から738年にかけては西日本から畿内にかけて大流行し、「豌豆瘡(「わんずかさ」もしくは「えんどうそう」とも)」と称され、平城京では政権を担当していた藤原四兄弟が相次いで死去した(天平の疫病大流行)。四兄弟以外の高位貴族も相次いで死亡した。こうして政治を行える人材が激減したため、朝廷の政治は大混乱に陥った。この時の天然痘について『続古事談』などの記述から、当時新羅に派遣されていた遣新羅使の往来などによって同国から流入したとするのが通説であるが、遣新羅使の新羅到着前に最初の死亡者が出ていることから、反対に日本から新羅に流入した可能性も指摘されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%84%B6%E7%97%98

天然痘が最初に流行った時期に共通するのは、渡来人が入ってきたというのは確かに考えられますが、それよりも文化が入ってきています。年表をまとめましょう。

500年以降 朝鮮半島を起源とする無床犂が伝わる
500年中期 最初の天然痘発生
600年以降 唐代の唐犂を起源とする長床犂が伝わる
645年~650年 大化の改新 (渡来人同士の争い)
733年 全国的に不作が多く、朝廷から数度にわたり援助
735年~738年 天平の疫病大流行
735年 疱瘡は朝鮮半島の新羅から伝わったとある。
758年 子日手辛鋤が正月の行事に使われたと伝えられている

そして、犂を導入した地域と天平の疫病大流行の地域に733年に起きた不作を絡めて考えると…
犂が伝来した九州の北部をはじめ、
 西日本では犂を使っての耕起が盛んであった。
733年に不作が起きて、畿内に耕す文化が急速に広がったのではないか?
西日本から畿内にかけて大流行した

つまり、 病気の最初に発生した理由は農法が変化したこと、天平の疫病大流行で起きたのは733年の不作により、それから耕す文化が急激に導入されたこと…原因は犂とそれを引っ張る牛にあったのではないかと推察できる。

淘汰された牛が犂を曳く農業方法

移動式の蒸気機関である蒸気自動車の登場により、1850年頃から蒸気の動力がプラウ耕に応用されるようになった。しかし、ヨーロッパでは、重い蒸気機関の重量を支えることが出来ないくらいに軟らかい土壌条件であった。
その代わりに、バランス・プラウとして知られる車輪を備えたシーソー状のプラウが、畑を横切るワイヤケーブルに牽引され、畑の両サイドに位置する蒸気機関がそのワイヤを交互に牽いた。バランス・プラウは向き合った2組のプラウを備え、片方が耕起している時、もう片方は空中に浮いていた。一方の方向にプラウが牽かれると、牽引されるプラウは、ワイヤケーブルの張力で地面へと突き刺さり耕起を行う。プラウが圃場の端に達したとき、反対側のワイヤが他の蒸気自動車によって牽かれてバランス・プラウはシーソーのように傾き、今度は逆の方向に向かってプラウが耕起することが出来た。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%A6

私が天然痘の原因と疑う「牛がプラウを曳く」行為は1850年から徐々に減り始めたことが考えられます。

天然痘と衛生環境による撲滅

彼は私とは違う目線で天然痘の撲滅について言及してくれているのだが、彼の視点は「ワクチンでは無く公衆衛生の発達が天然痘を一掃した」という考えである。

種痘が天然痘を制圧したという嘘の歴史

1798年に『牛痘の原因と効果についての研究』を刊行し、エドワード・ジェンナー (Edward Jenner)は種痘法を広く公表した。医学界の一部からの反対は根強く残ったものの、牛痘の接種はそれまでの天然痘の直接接種に比べはるかに安全性が高いうえ効果も劣るものではなかったため、この方法はイギリスのみならずヨーロッパに瞬く間に広まり、以後この方法が主流となった

その後1930年代以降の研究で種痘に用いられているウイルスはワクチニアウイルスというウイルスであり天然痘ウイルスとも牛痘ウイルスとも違うことが判明しワクチニアウイルスの由来は一体何か様々な研究がなされてきた。この中で牛痘ウイルスが継代されていく間に変異しワクチニアウイルスとなったと考えられていた時期もあったが、2013年モンゴルで採取された馬痘ウイルスのゲノム解析をした結果、種痘に用いられているワクチニアウイルスと馬痘ウイルスが99.7%同一のゲノムであることが判明しワクチニアウイルスとは馬痘ウイルスもしくはその近縁のウイルスである事がわかった。つまりジェンナーの種痘は牛痘ウイルスではなく馬痘ウイルスがたまたま牛に感染したものを種痘として利用したものであり種痘には一度も牛痘ウイルスは使用されていなかったことになる。

これは天然痘のwikiに書かれていることであり、ジェンナーの種痘神話の公的な嘘だという判断である。またその効果の表示についても問題があり、それを統計的に見てくれているブログサイトもあります。

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天然痘ワクチン接種群と、未接種群で、天然痘の致死率を比較できるデータ。ワクチン接種群の方が天然痘致死率が2倍以上も高いことに注目して下さい。ロンドンとレスターという地域も他の条件も異なり,しかも時期の異なるものを比較しています。当時のロンドンって相当,不衛生で環境悪そうです。レスターがどうだったかしりませんが。
 また,天然痘患者の致死率を比較していますが,ワクチンによって天然痘にならない人も多く,ワクチン接種にも拘わらず天然痘になった人は元々体力的に弱かったということも考えられます。従って,患者の致死率ではなくて全人口に対する致死率を比較すべきですね。

天然痘を再発生させる方法の考察

まず、天然痘の多くはプラウを牛が曳く地域で多発したことが予想されること、衛生環境が改善したことにより患者数が激減したこと、天然痘自身がアレルギーに近い疾患ではないかと予想することができると思います。この事から、天然痘を再発生させる為の考察としては、

①人間側の傷口や腸内環境の悪化から
何らかの環境要因から細菌・細胞が直接侵入した可能性
②その環境には、牛がプラウを曳いていることも条件になりそう。
③牛に損傷が発生していることも関係しそう
④それが蔓延する為には媒介が必要であり、田畑から流れるその牛の体液の何かが川に混流したのではないかと考えられる。
⑤その水を人間が身体を洗う、または飲む事が必要である。
⑥既にワクチンの接種・アレルギーになっている場合は、この再現が困難になる可能性がある。(他の病状として出現)
⑦後は引っかかっているのが牛乳を飲むこと(天然痘の予防要因として)

ここら辺を満たした場合において、天然痘を環境から病気として発生させることが可能ではないのかと疑える。

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