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Clubhouseの使用感

2021年1月末(数年後に見返したときのためにこのように書いておく)に突然日本のネット上で話題になりはじめた音声SNSであるClubhouseに招待してもらい、寝不足な毎日になっている。こういうワクワク感のあるサービスと対峙したのはニコニコ生放送のとき以来で、ひさしぶりである。

音声SNSで「ラジオに似ている」というふれこみだったが、「ヤフーボイスチャットにtwitterが合体している」というのが個人的な印象である。

招待制というのがかつてのOrkutやmixiを彷彿とさせるが、テック系の人だけでなく流行りはじめた当初からギョーカイ的な人がたくさん集まっている点が異なる。いつ誰に招待されたかがたどれるので(いきついたさきを「先祖」と呼んでいる人がいた)、どういう経路で人が集まっていったかを調べる人も出てくるかもしれない。

自分でも「招待」に何度かチャレンジしているが、「待ってました」とばかりに飛びついてくれる人と、「もう少し様子見」という人と、はなから「無理! 」という人に分かれ、知り合いをサンプルとしたイノベーション理論の検証を行っているような気分になれる。

会話を行うルームのUIは、部屋を開いたモデレーターを中心に、スピーカーとオーディエンスに分かれ、Zoomなどにくらべて送受信に遅延が少ないのか対面での会話に近い感覚で利用することができる(音かぶりが生じて、「あ、すみません、どうぞ」みたいなシーンはある)。アイコンはスーパー楕円で表示され、自分のしゃべり声にあわせてピコピコと強調表示される。映像はないので頷いている様を相手に伝えることができず、しゃべるか黙るかでしか反応ができないので、おしゃべりが苦手な人にはつらいサービスだが、いまのところコロナ下でたまった何かを音声にこめて吐き出せる場としてのカタルシスがある。

利用する目的が不透明だと何に使っていいか分からないサービスだが、趣味を同じくする人や、同業者、同業者の近接領域の人との出会いがあると突発的に話が盛り上がって時間が溶けていく。例えば、トークショーなどに行かなければ、行っても会話はできないような著者と直接会話ができるのが驚きで、何(/誰)かを破壊してしまうかもしれない鮮烈さがある。数年ぶりに「寝落ち」も体験した。

いまのところiOSデバイスでしか使用できず、「僕、アンドロイドなんだ」という令和のウナギ文が生み出されたり、オーディエンスをスピーカーにあげるさいに多くの人が思わず「よっこいしょ」と言ってしまうのが言語学的に面白い。

登録に携帯電話番号が必要だったり、連絡先のデータを吸い取られたり、音声データが中国のサーバーで処理されているらしかったりして不安な部分は大いにあるが、それを差し出して(差し出しているからこそ? )おつりがくる感じの中毒性の高いサービスだと思う。

突発的なブームから数週間経って、早期参加者はしゃべりすぎ、ききすぎでドーパミンも出なくなってきたのか、冷めてきた印象もある。が、プラットフォームとして考えるなら「僕ドロ問題」さえ解消されれば、性善説を前提として、オンライン授業周辺にかかわるツールやオンライン学会・研究会の休憩室として利用できそうだ(上記のセキュリティの問題はあるが)。

ルームが盛り上がるポイントとしては、「対談」なのだろう。誰かが楽しそうにしゃべっているところに人が集まってきて、僕も私もとしゃべる人が上がったり下がったりして5、6人程度のルームで盛り上がるのが面白い。

これまたいま話題の新書『スマホ脳』ではないが、Clubhouseをはじめてからケータイをとじていると、よりそわそわするようになった。小学生だったころ、夏休みの午前中に窓の外から友達たちが遊ぶ声が聞こえてきてそわそわした感覚である。

やがてGoogleやFacebookに売却されるのだろうか? サブスクしないと使用前に音声広告が入ったり、バックグラウンド再生ができなくなったりするのだろうか? そうしなくてもいいくらいの対価をすでに支払っている気もするが、twitterのような「もはやインフラ」にまで浸透するか、Second Lifeになるか、ゆるい緊張感をもって注視していきたい。

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