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センチメンタル・未来人


原始人や縄文人からしたら、我々は起きていすぎる未来人なんだろうな。

太陽が沈んだら夕飯を食べて風呂に入って寝る。
太陽が昇ったら寝床から出て1日が始まる。

そんな風に生活したいなーと最近思う。そんな風に生活できたら時計は不必要になるんだろうか。現代の仕事をしている以上、時間を気にしないことは無理なのか。

23時を目前に暗い布団の中でぽちぽちスマホを叩いてるわけだけど、縄文人からしたら「なんでそんな暗い中起きてんの?」状態だな。

でも縄文人のことを一括りにして決めつけてる私も浅はかだよな。縄文人の中にも、23時だけど竪穴住居から飛び出してダンスしたい人もおっただろうし、夜中に閃いて絵を描く人もおっただろうし、この人は朝日が昇る頃に寝てひとつも狩りに出ない!!って奥様に呆れられてた人もおっただろうし。

そう考えたら別に現代人も縄文人もそない違いはない気がしてきたな。

それにしても「起きていすぎる未来人」っていう日本語は正しいのでしょうか。いや間違ってるよな?「起きすぎている」か。

私は縄文人からしたら未来人だけど、今を生きてる現代人である。そして、縄文人とも友達になれると思う。会いたいけど会えないんだな。気の合う縄文人と出会いたかった。仕方がない。1980年代に生まれてしまったのが運命であり宿命である。縄文人には会えない。

こんな時の気持ちを、こう言うのです。

センチメンタル。

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