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春先と秋口は走りたくなる、と60年後も同じことが言えるだろうか。

春先と秋口の夜は涼しく、外を走るにはうってつけの気候だ。

それに、走ることを気持ち良いと思えるということは、それなりに自分は走れるんだぞという自信があることの証明でもある。

さらに言えばこの自信というのは、箸を持つのと同じぐらい当たり前にできるという形で認識しているので、意識しなければ「自信がある」という表現に起こす気にもならない。

20代の自分にとって、春先と秋口の夜に走るのは当たり前のように気持ち良いイベントだが、数十年後の自分にとってはどうだろうか。

何か準備や条件がなければ当たり前の気持ち良さを享受できなくなっているだろうか。

であれば、その時は何を目指して準備をするだろうか。どのような条件が必要になってくるだろうか。

それはたぶん「20代の時のコンディションをいかに再現できるか」に集約されると思う。

であれば、もっと「20代の時のコンディション」の解像度を上げておく必要がある。

どうすればいいかは分かっている。