DVDの価値は、メニュー画面で挿入歌が無限にループする時間にある。そうでない時もある。
映画鑑賞に限った話をする。
映画館で観る映画と、スマホで早送りで観る映画には違いがあるだろうかと考える。まだ答えは出ていないが、きっと違いはあると信じている。
なぜそう思うかというと、違いとかどうでも良くない?という人になりたくないから。ただそれだけである。
そういう意味では、自分自身、映画の違いなどどうでも良いと思っている。
映画の違いとは、自分にとって他人との違いを確認するための議題にすぎない。
そして他人と議論する時間があったら、自分の「好き」を見つける時間に充てる方が良い。
ところで、DVDで映画を観終わると、トップメニューの画面に戻って挿入歌が延々とループする時間に突入する。
この時間が好きだ。
作品を観ている間は始めから終わりに向かって一方向に時間が流れている。
メニュー画面は時間に方向が与えられていない。
たぶんそのバランスに心地良さを感じている。
映画館の映画も早送りの映画も、そうではないものとのバランス関係が心地良いと思える条件がある気がする。
そこのバランスが分からないと、過剰に映画館を推奨したり、早送りを否定したりすることになる。
どうでも良いというスタンスとどっちか派というスタンスは表裏一体にあって、その両者の対極に丁度良いスタンスがあるような気がする。
そして丁度良さについて語る人をあまり見かけない。
それこそが丁度良さの性質ではないかと思う。
丁度良さは言語化しづらい。
言語化とは論理展開。つまり言葉に方向を持たせることを意味する。
丁度良さを求めるなら、論理があるようなないような具合を探る必要がある。
それはとても曖昧な作業だが、「好き」というセンサーが働くうちは取り組む価値はあると思う。
ところで丁度良い「好き」というものはあるだろうか。