着る服によって自分の精神的ポジションが変わる。
新しい人間関係の初期段階において、「親戚の集まりに放り込まれた一人の子ども」という役を本能的に演じている自覚がある。
この心理は服装とも紐づいていて、ドレッシー=大人、カジュアル=子どもと捉えるならば、例えば初対面かつ厳密に状況が設定されていない場においては、服はなるべくカジュアルに寄せようという心理が働く。
ドレッシーを選択するということは本能に反することであり、心理的抵抗感があるので、求められない限り自分ではなるべく避けるようにしている。
ところで、10代前半は服に無頓着だった。
10代後半は背伸びしたくてドレッシーを意識していた。
20代前半は本能的にカジュアルに寄せていた。
20代後半となった今はどうしたいだろうか。
ヒントは10代後半と20代前半にある。
言ってしまえば、どちらも無意識に集団との関係性の中で選択していたスタイルなのだ。
なのでこれからは、集団との関係性を考慮することも無視することも自由に選べる。
極端な例を挙げると、集団との関係性を考慮するということは、新橋のサラリーマンの1人となることを受け入れるということだ。
一方で集団との関係性を無視するということは、仮装おじさんとなって『月曜から夜ふかし』でさらし者になることを受け入れるということだ。
正直どちらも耐えがたい。風景の一部にもテレビの中の住人にもなりたくない。
どうすれば環境に飲み込まれないスタイルを実現できるだろうか。