H×H連載再開記念覚え書き2 掲載後約20年経過して思う『対等に話してくれる誰か』の価値

 休載期間は長いとはいえ、36巻(2022年10月現在)というしっかりとした『長編ストーリー』であるH×H。古参のファンはトータル10年くらい「ねぇねぇ、一番好きな場面ってどれ?」等の雑談に興じて休載期間を耐えてきた。
 欲目を抜きにしても欲目全開で見ても、ヨークシンシティ編の『9月3日』における「ネオンとクロロのとこ」を挙げる人は多いと思われる。単に”やたら彼氏力の高いスーツのいい男がポロっ泣いちゃう”からではない。”静と動”で言えば、急降下の前にジェットコースターがゆっくり上がっていくような”静”の部分であるこのターン、直後に連続するバトルシーンの方が派手なのだが、『H×Hにおける人間の描き方』が凝縮されているのはだんぜんこちらの方である。

 ネオン=ノストラードは『大人をふりまわす典型的なワガママ娘』として描かれている。父親がノストラード一・ファミリーのボスだから……というだけではなく、その父のマフィアとしての成功、今後の生き方が、全てネオンの『占い』にかかっているためだ。
 
 しかし同時に、ネオンは『登場人物の99%から蔑ろにされている』女の子でもある。
 まず、本来彼女をもっとも尊重すべき父親のライト=ノストラードは、娘を金とコネを生む道具として見ている。もっとも、男尊女卑の激しいマフィアの世界ではそう珍しくもないかもしれないが、一方でライトは過剰にネオンを失うことを恐れ、それが捻れた上下関係を生んでしまっている。本来、同世代の友達やボーイフレンドと学校や放課後に遊んで過ごすはずの青春という選択肢が、ネオンには最初から与えられていない。
 母親の情報は一切出てこないが、姿がないので離婚か死別か、とにかくいないものと思われる。最も身近な女性は侍女ということになるが、彼女たちは仕事のためにネオンに優しくしているのであるし、エリザは「嫌いなわけじゃないけど、ちょっともうしんどい」とこの仕事を辞めたがっている。職場恋愛中のスクワラがまあなかなかいい男で、「犬もエリザも面倒みれる転職先ねーかな」と求人をチェックする様子などはすこぶる健全なカップルぶりだ。そういうごくごく平凡な健全さ、というものをネオンはことごとく奪われている。
 少年漫画における主人公サイドというのは、基本的に”正義”であり、クラピカもその側にいる。王道であれば、近づいたきっかけはどうであれ「人体収集なんてやめなよ、悲しむ人がいっぱいいるよ」と諭すのが役目だ。ゴンならそうするが、怪物を追う故に同じ怪物に近づいていく(それも猛スピードで)クラピカにその発想は全く無い。ネオンは人体収集家ネットワークへリンクを繋げるためのとっかりに過ぎないのだ。
 
 こうして誰もが「お金のためだし」とか「出世に必要」とか「目的のためには…」と、うんざりとした感情を抑え「とりあえず機嫌とっておかないと」と仕事に徹する中、唯一人間として対等に会話をする場面があるのが、我らが幻影旅団団長なんである。
 
 ここで少し幻影旅団の話をすると、岡田斗司夫の解説によれば旅団には『ツンデレの階級』がある。ノブナガのように最初期から感情を剥き出しにするキャラクターと、マチやシズクのようにセリフは多いが核心的な心情は語らないキャラクターがいて、最上位にフェイタンやクロロのような『何を考えているかわからない』が存在する。旅団と敵対するのはクラピカだが、団員と関わったのはキルア&ゴンの方がずっと時間が長く、その中で団員側が少しずつゴンの心情に絆されていく。最終的にフィンクスがオークション会場で「パクはおまえらに感謝してたぜ」と宣言するわけだが、この時隣にいたフェイタンも感化されているわけで、この過程で読者も旅団を好きになっちゃうんだよ、という解説。

 とまあこの解説にある通り、初登場時からしばらくの間、クロロはミステリアスで冷酷(に見えるよう)に描かれている。ウボォーギンvs陰獣戦で和気あいあいとしていた見守り隊にも、救助隊にも同行していないし、その後彼らから見てウボォーが『行方不明』になった際も最優先して考えるのは「どの段階でウボォーは帰らない」と見切りをつけ、オークション品の強奪作戦を変更するかという点でしかない。
 そのクロロが初めて単体で動き出すのが、シャルナークによってハンターサイトから情報を取得し、ネオンと接触する時だ。
 この時、冨樫義博のお家芸とも言うべき『普段はオールバックのキャラが髪を下ろす』が炸裂する。作者本人がお気に入りの演出だと公言していて、他作品でもある演出なんだが、これまで厨二病ルックの権化だったクロロが「やたらとシュッとしたスーツ姿の兄ちゃん」になって登場する。スーツ衣装はこの時だけなのだが、ファンアートで描かれることも多い。皆大好き好青年団長が異様なまでに彼氏力を発揮する回である。流星街に義務教育制度は無いはずであるが、『女の子のエスコートの仕方』は必須科目なのだろうか。
 そもそもクロロに限らず、旅団メンバーは全グレ集団のくせにやたらとドレスアップがスマートである。オークション会場のようにドレスコードを求められる場所へ潜入するため、といえばそうなのだが、普段はジャージが正装の連中でも「これが俺らの正装や!」等とゴネずさっさとお着替えをするあたり、結婚式の服装で迷う一般人よりもこなれ感があったりする。
 さて。買い物中に「ひとりでオークション会場へ行ってやるもん」と護衛を抜け出したネオンであるが、彼女は参加証を持っていない。だから検閲でちゃんと弾かれるはず、とパパは予想するが、そこで「会場に入りたいならオレが同行させてあげるよ」と親切なにいちゃんをよそおってクロロが接触してしまう(もしもネオンの母親が身近にいたら「甘いことを言ってくる顔の良い男には絶対ついていっちゃダメだ」という教育をしていたかもしれない)読者は「やっべぇ」と思う。性格はどうあれ、ネオンは無力な女の子であり、だからこそ必死になって大量のボディガードが配置されていた。それがいきなり悪の親玉とエンカウントしてしまうという事態。
  「No.095 9月3日⑪」「No.096 9月3日⑫」のわずか2話、うちネオンとクロロが揃っている場面は読めば体感でも五分ほど。この体感五分に、キャラクターの履歴書が詰まっている。

 クロロの年齢を知ったネオンは「けっこう年上なんだ」と感想を言うが、だからといって対応は変わらない。彼女は普段から自分よりずっと年上の人間にばかり囲まれて過ごしているからだ。一方で占いの直後、例のあの涙を見て驚く。それは普段接しているその大人たちは、マフィアの沽券にかけて人前で泣いたりなぞしないからである。ネオンの周囲には人として素のままの感情をまじえてコミュニケーションを取る人間がいない。
 『天使の自動筆記』はれっきとした念能力であるが、ネオンは修行の経験はおろか、念の概念すら知らず、自身のオーラの目視すらできない。マフィア界にはプロ・アマ問わず念能力者が用心棒として集まっており、雇用主のライトは一般人だとしても、少なくともダルツォルネは真横で『占い』を目にしているのだから「お嬢さんの占いってってのはあれは念能力ですね」くらいの会話はしているはずだ。念能力者でボディガードを固めつつ、誰ひとりとして「あなたのその力はね、」と教えてくれる人がいないんである。
 ネオンが何を求め、どう生きたいかを問う人間も、その扱いの不当さを追求する人間もひとりもいない。クロロだとて親切に接しているのは「盗み」のためだが、「念能力を使用を目にする」「能力について質問し答えを得る」の条件を満たした後、彼はひとつだけ「死後の世界ってあると思う?」と余計な質問をする。ネオンの回答は「NO」「占いはあくまで生きている人のためのもの」「慰められるのは霊じゃなくあなたの方だと思うよ」と持論を述べるが、それを聞いて納得したクロロを見て、さらにネオンは「受け売りよ」と付け加える。クロロはここは演技ではなく本気で納得している……と予想するのは、(長期の休載期間ゆえに山ほど作られた)考察の中でもよく「『盗賊の極意』の誓約は嘘を吐かない(吐けない)ではないか?」とあげられていて、薄っぺらな嘘吐きヒソカとは対照的にクロロは「あえて黙っている」ことはあっても虚偽は述べない点と、クロロに限らず旅団団員にとって「あーおたくの○○さんね、あの人亡くなりましたよ」という死亡通知が来ることが無い集団だからだ。どんな人間でも、死ねば警察を通じて身元探しが行われるし、行方不明になれば捜索願いを出す。そのシステムが全く稼働しないのが流星街出身者であって、この時点でウボォーの死亡は「読者は知っている」が「旅団員は、『帰ってこないんだから死んでるのかなぁ』状態」だ。確信を持って死を知ることができた=慰め、というネオンの発言は的を射ている。そしてネオンは誰かの言葉を引用して話し相手に感銘を与えた時、知ったかぶりを通すのではなくきちんと元ネタを明かすことができる謙虚さを持っている。ここでさらにネオンは小さい頃にテレビで見た占い師の、「一生懸命生きている人を幸せにするためのもの」「なるべく悪いことばかり占うようにしている」「そうすれば皆、そうならないように願ったり努力したりする」という言葉に感動し、自分もこの職業に憧れるようになった、と説明する。
  「占い師」という職業に憧れる→念能力の発露、へと繋がっていると思われるが、つまりネオンは父親のマリオネットとしてただただ「占い」をしているわけではなく、きちんとした信念があり、尚且つそれが大変強いものだからこそ能力という形になっている、と短いやり取りの中で「神の視点」を持つ読者にのみ説明される場面だ。「悪い出来事」の最大値は「死」であるが、それが身近に発生するマフィアが顧客だからこそ、ネオンの信念は正しい方向へ向かっている。しかし、この点は下手したら父親すらわかっていない。誰も彼女の内面に興味を持たないし、もしかしたら”内面”というものが存在する人間として、最初から認識していないのかもしれない。 
 親も主人公サイドのメインキャラも意に介さない、「蔑ろにされている女の子の内面」を、この章における”悪”の頂点に立つ人間がごく自然に解析していく、というこの点が冨樫義博の天才なところだと思う。
 幻影旅団はアトラクションに一切登場しないにも関わらずUSJのクールジャパンコラボで単体グッズを売り場にならべ早々に完売させた集団である。にも関わらず、かなり断片的な側面しか描かれていない。結成秘話とか、各団員の過去エピソードが極めて少ない。過去どころか必殺技すら年単位で待たないと披露さえない。みんなやたらと団長団長と連呼して、実際『命令』は絶対』というルールを作りながら、なぜそのルールを作ったのか一切語らない。極端な面だけを、さも当たり前のように存在するもののように扱ってくる冨樫。緋色の幻影っていうタイトル詐欺までしておいて結局過去編は描いてくれなかった冨樫。だけど、こういう形でさらっと「この旅団の団長ってのは、こういう人間性を持ってるんだよ」と見せてきて、「あっ、そうか、だから皆『この人について行こう』って思うのか」「それがコミュニティから弾き出された異端児や悪童なら尚更だな」と理解させる冨樫。読者がその読み方に気がつくまでに10年以上かかるギミックを仕込む冨樫(初読が仮に30代くらいなら最初から気づくかもしれないが、ジャンプのメインの読者層である小学~中学生は分からないと思う)
 時は流れて2022年、リアルタイム読者はとっくに26歳を通りこした。通り過ぎた先で、末期の形を待っている。 

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