エリクソン研究会記録『ミルトン・エリクソンの心理療法セミナー』P334~P337 第43回

※本記事はめんたねにて2013年3月〜2017年6月まで行われたエリクソン研究会のメモ書きを文字起こししたものです。テキストは『ミルトン・エリクソンの心理療法セミナー』を使用しました。メモ書きなのでテキストを読んだ前提でないと、わからない書き方になっていることにご注意ください。
また、エリクソン研究会では現在別のテキストの『2月の男』を読んでいます。
http://mentane.net/workshop/pg167.html

P=ページ数 L=行数
読んだページ数P334~P337

P334~335
シティーボーイ(都会の少年)とファームボーイ(田舎の少年)の話。
1970年台後半麻薬文化は都市部に行き渡っている。このワークショップは70年代にやってるから、そうした時代背景も前提に入れて読む。

P335L2
「若気の放蕩をしなければならない」
やらばければならない野性的または、性的な行動。そうした振る舞いを若いうちに通り抜けることが必要なことだとエリクソンは考えている。『アンコモンセラピー』で異性関係から出ることは辺境の生き物になるという話がある。群れから出ることにつながる。つがいになれない若者に対してエリクソンはつがいを作る方向に援助する。

オーツ麦のエピソードと、若者の話はオーツ麦で結び付けられてセットになっている。セックスと種まきを同じメタファーにしてる。次の世代へつなげる行為として。

P337L9「ただぼんやり〜」
ここでエリクソンは全体をトランス誘導している。ここの前の話は私は安全な人間ですという暗示。性的な話題であるので、特に女性はガードが出やすい。

性的な話をしている間はガードやつっこみが入ることを配慮してか、参加者に口を開かせない。それゆえ金曜日は参加者とのやり取りがない。黙って話を聞け、判断を差し控えろ、インプットに徹せよ、処理には向かわなくていいとエリクソンは考えている。

P336「姉の妊娠の話」
養子を迎えたら、妊娠する?どういうこと?子供と触れ合うことが良いものと本人が思えたら、子供を持つことへの心理的不安がなくなる。赤ちゃんを1年だけ面倒を見ることを10年も繰り返しているのは、普通の感覚ではおかしい。2才児以降への不安があった。それが妊娠を妨げる要因だった。

養子を取らせれば2歳以降まで育てる経験ができて、それ以降が大丈夫だと思える→妊娠への不安要素がなくなる。また、妊娠しなくても養子を育てれば子供はできる。

エリクソンは妊娠すると言った。断言をしないと暗示のパワーが弱いのだ。

自分の子供を持つために他人の子供を養子にする。これだと今までのものがひっくり返ってYesがでやすい。今まで自分の子供を持たいないために、他人の子供を養子に取らなかったタイムリミットもあり不安だ。自分の子供を産まず他人の子供を養子にでは抵抗が起きる。

これまでは
養子をとる=自分の子供を諦める
という話だったのに
エリクソンの働きかけで
養子をとる=自分の子供を持つための手段
になった。
養子をとるということの意味付けにリフレーミングがおきた。意味付けがひっくり返った。子供が生まれたらOKだし、生まれなかったら養子を育てればいい。セックスと心理学的な話はデリケートにつながっていると言いたい。野生動物のメスの体は子育て、妊娠に伴い激しく変化する。人間の女性も同じだ。

P337
新生児の心のなかでは何が起きているのか?という話
どんな目的で話したのか?
赤ん坊、新生児から大人へ成長の過程を話す。
Early learning set
子供時代の素直な気持ちが喚起される退行が起きて、物事を素直な気持ちで、無意識レベルで学ぶ学習が起きやすい。

赤ん坊は生まれたときは、無意識しかない。成長する過程で意識を獲得する
最初は無知で無能だ。意識はすでに知っていること、わかりきっていること、思い込んでいること、先入観が含まれている。

赤ん坊と大人には違いがある。エリクソンの言葉は自分について自分よりわかっている人の言葉。エリクソンの説明は聞いている人が言われてみるとそうかもと思える言葉だ、言われて初めて気がつく言葉でもある。そうすると自分よりもエリクソンのほうが自分のこと知っているというフレームが持ち込まれる。

自分より知っている相手には無意識的な学習が起きやすい。質的な学習は自分の考えより相手が正しいと思えないとはねのけてしまう。

神を信じていない人に、神はいる神を信じている人に神はいない。という話をしても納得させるのは大変だ。

意識/無意識の話も同じだ。私は行動を自分で考えているという人私はこういう人間だというセルフイメージを持っていいる人間が多い。セフルイメージはそうだけど実際はどうかな?という話をすると怒る人はいる。受け入れる人のほうが少ない。自分のことは自分がわかっていると普通は思う。受け入れるときはこの人は自分よりもわかっている。そうなのかもしれない。と思ったときだ。

あなたの知らないことを私が知っているという話は、言葉の影響力を持つ、質的な変化を促す。グレゴリー・ベイトソンは、相補性と対称性という言葉を使った。
相補性は一方が命令し、もう一方が受け入れる関係。1upと1downの関係。

対象性は、私が上だ。私こそ上だ。私の命令に従え、私の命令にこそ従え
と張り合い、同じ行動をする関係。

アル中の論理学。アル中はアルコールと張り合う。理屈はこうだ。私の意志の力はアルコールに対抗できる。だから一杯飲んでも大丈夫。次に二杯目も大丈夫と証明のラインをどんどん高くして気がつくと潰れる。しかしアルコールには敵わない、私にはとても無理だと屈服すると、敵わないことがわかっているので一滴も口にしない。

相補性を受け入れるワンダウンの心の状態を作る

何でつくるか?キリスト教系は神という概念を使う。私は小さな存在であるという1downのポジションをつくる。アルコールにも強くなるという言葉も言わなくなる。質的学習は相補性1downをとらないと起きにくい。

カウンセラーは相補性だけでは危うい。患者がカウンセラーに依存的になるからだ。メタな相補性を上位相補性という。

春風亭小朝師匠の小咄でこんな話がある。
「我が家では夫の私が大きい仕事をして、妻がが小さな仕事をします。しかし、何が大きい仕事で、何が小さい仕事かは、妻が決めます。さて、どちらが偉いのでしょうか?」

カウンセラーだとこういう話になる。1up,1down対等のどのポジションでも良いけどどうしましょうか?とカウンセラーがクライアントに話す。

根っこのところで指示をだし、従わせる。決めるのをあなたがきめてという話。重要なのは相補的に関わるのだが、その構造が見えないようにすること。

ダブルバインドも全くのイコールではないがこの構造がある。大体は上位相補性的アプローチ。

たとえば、会社で上司から部下に「仕事で思っていることを何でもいいから自由に述べよ」と言ったとする。文字通りに受け止めれば答える内容は部下が自由に答えるが、質問には答えろと命令をしているので相補的な関係だ。

ここで「仕事が嫌で帰りたい」と答えると、こういう社員はお荷物だからと会社での評価が下がり、仕事が好きだと答えると仕事を任されて消耗するので、どっちの転んでも部下がダメージを受ける。

逆に仕事がいやでといって、早く帰れるようにすると配慮され、仕事が好きだと答えて適量の仕事が与えられる。どっちにころんでもOKな対応ならば治療的な関わりになる。

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