中共の表現規制は100%正しい

すべてのものごとは政治的であると云ふテーゼのごとく、頭を空つぽにしてソシャゲをやつてゐるだけでも政治的な話題には事足りないことはない。そんなわけでバージョン2.4が出たばかりの原神で雲菫の凸を進めたいが申鶴は引きたくないと云ふガチャ天井チキンレースの末50連程で申鶴を引いてしまふと云ふ悲劇の裏で、以下のやうなお知らせが原神公式より發せられた。

『「オルタコスチューム」についてのお知らせ』なるこのお知らせによると、一部の女性表象のキャラクターの追加デザインが(恐らく無償で)新たに配布されると云ふ內容である。これだけであれば、傍から見ると何が政治的なのかと云ふ話であるし、なんなら新デザインの方が肌の露出が少なければ少ない程よく見えると云ふ個人的な嗜好と合はせればむしろ好ましく見えるくらゐであるが、これがどうも本國、要するに中共による表現規制の影響らしく、一氣に政治的な話になる。

中共はどうも肌の露出(おそらく胸の谷間の强調等)やタイツ表現が人間の精神に惡影響を與へるとしてゐるらしく、それが正しいのかどうかはひとまづ置いておくとして、その黨思想に適合させる形で各キャラクターのデザインが修正されることになつたやうである。この發表を受けての日本原神ユーザの反應は豫想通り芳しくない。今のところ日本執政支配地域向けのリリースでは追加配布と云ふ形になるとしか讀めないので單に選擇肢が殖えるだけであるが、本國向けでは新しい方のデザインのみになると言はれてをり、これをもとに本國のユーザが不公平を訴へ日本向けも新デザインのみになるのではと云つたものや、一部の地域向けに今までの方針のデザインと中共的表現規制適合のデザインをふたつ用意するのは營利企業的には單なるコストにしかならないので今後追加される新キャラクターについては新デザイン的なものしか今後は出ないのでは、と云ふ懸念が出てゐる。

そんなわけで相變らず日本では好きな表現を消費できるかどうかについてさえずつてゐるだけで、表現規制の問題は全く論じられてゐない。一方でこの手の問題では不思議な構圖を每回取る。例へば日本の男性向けオタクコンテンツは一般に肌の露出が多い女性表象が賣れると云ふ認識が持たれてをり、これに肌の露出が少ない方が良いのでもつとさういふデザインのキャラクターも出してほしいと云つた素朴な感想を述べると、大抵以下のやうな反論が出る。

企業は利益を出すためにコンテンツを造つてゐる。從つてコンテンツは主にお金を出すことが多い層の嗜好に合せる必要がある。それがオタクコンテンツの場合は肌の露出が多い女性表象である。肌の露出が少ない方を好む人は少なく、かつ金も出さないからさう云ふコンテンツが出ないだけである。

いかにも西側のイデオロギーに汚染された發想だが、要するに任意の表現について金を出す消費者がゐないものについては出ないのが當然であるが、その表現を出すこと自體は特に規制なく自由にできるので何も問題はない、と云ふことである。

かと思へば胸の大きい女性表象が苦情の多さに公的な場に揭示される廣吿から排除されさうになつた時には、「表現の自由に對する挑戰であり問題である」と云つたやうな懸念が途端に表明され始める。しかしこれは先の論に倣ふならば、廣吿はその目的上見た人に良い印象を持たせることでその宣傳對象を賣込むことにあるのだから、不快感を露にする人が多ければその表現は廣吿から淘汰されるのが當然な筈である。つけ加へるならばこの手の苦情を主に出してゐると言はれてゐるフェミニストは公權力ではないのだから、表現規制の問題にはなりやうがない。

その點中共の畫期は表現規制の問題にきちんとしたことである。表現規制は、ある表現者が內發的に表現したいことを具體化した際に、事前に公權力に檢められる、乃至それを無視して發表を强行した場合に資產の沒收や身柄の拘束が起きる場合にのみその存在が認められる。西側では表現することは人間の基本的な權利とされてゐるので、これを公權力が抑制することはよくないと云ふ諒解が取られてゐるが、少なくとも中共はこの諒解を無視する選擇をした。それもオタクコンテンツと云ふ中國內外でのドル箱であるコンテンツに對して、採算を度外視して思想の表現の具體化を優先したのである。これの强度に比べれば營利企業は表現活動をしてゐるのかすら最早怪しい。賣れる女性表象をデザインして、それをガチャで實裝して、オタクがこれを回すために落とした金を回收して利益を上げることがコンテンツの本質であるとすれば、それは表現ではなくたゞの商品であらう。少なくとも、今の消費者と企業の共犯關係を鑑みれば、企業側のクリエイターが內發的に見せたい表現そのまゝで勝負してゐると見ることは難しい。

いづれにしても商品は力を持つものがその中身を決められると云ふ風にまとめることが可能であり、このパワーバランスが金をコンテンツに十二分に落とせると云ふ權力を持つた肌の露出が多い女性表象を好む層から、さういふものはよくないと云ふ思想を持つた公權力に移つたと見做すことが可能である。一消費者とすれば、たまたま前者の表象を好まず後者の方が好ましかつたため、これからはたまたま嗜好に合つたコンテンツが出る可能性が上がると云ふ見込みに對して歡迎したい一方で、表象の選擇肢が存在しないらしい本國ユーザの犠牲の上で得られた環境でもあるので複雜な心境である。

これが日本執政支配地域內での話であれば單なる歡迎で終らせることができた。少なくとも日本では自業自得だからである。日本のユーザは中共が表現規制をする度に「日本は表現規制がない自由の國なのでよかつた」「中國企業も日本に來て創作活動をした方がよい」と云つた素朴な感想が書くことがあるが、これは噓である。少なくとも刑法175條が存在するからである。この肌の露出が多い程度の女性表象を超えたド直球の猥褻表現向けの規制に對しては廢止を訴へる運動をほとんど見ないばかりか、この規制の基準が嚴しくなると云ふ噂が出た年のコミケでは、これまでなんのためらひもなく乳輪が描かれた乳房を晒す女性表象イラストのポスター等が亂立してゐたのが、一氣に乳房部が黑塗りにされると云ふ現象まで見られた(成年向けコンテンツのゾーニングが曖昧なイベントではあるので、塗る方が配慮としては元々正しかつたのではと云ふ議論は別に存在するが)。かう云ふ慘狀を見れば日本は表現活動が自由で、これが脅かされた時には抵抗する風土があるかと問はれれば非常に疑はしい。そもそも表現規制がコンテンツに對して必ずしも有害ではないのではと云ふ疑惑もある。刑法175條に由來するコンテンツ修正に對しては、モザイクと云ふ特異な嗜好のジャンルを生むに至るし、今やhentaiは國際共通語として通じる程、日本人は變態コンテンツを消費愛好する國民と見做されてゐるのだから。

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