「ゲッダン」の奇蹟

YouTubeの自動再生は遠い昔に聞いた曲の記憶を呼覺ますこともあれば、何度聞いても全く聞いた記憶がない曲が選ばれることもある。前者が以前言及したモーニング娘。の「ザ☆ピ〜ス!」だとすれば後者は廣瀨香美の「promise」が該當する。いくら平成の樂曲に疎いと雖も同時代を生きてゐれば聞いたことくらゐあるだらう、との指摘通りに試しに聞いてみればさはりの部分だけは聞いたことがある、と云ふことも確かに屢あるのだが、廣瀨香美は確實に聞いたことがないと自信を持つて言へる。

平成の樂曲が記憶に殘るパターンはいくつかあるが、その中の一で大きな要因を占める學校環境での强制にて全く引掛らなかつたのは「promise」の歌詞がどうやら大人の戀心に關するもののやうに聞こえることも影響してゐさうではある。一方でそれなりに時期が近くより生々しい內容の大黑摩季の「夏が來る」はその歌詞を聞けば吹出してしまふまでに印象に殘つてゐるが、これには周圍の大人の好みによる偶然だらう。現にその大人個人が聞いてゐるところ以外では聞いた記憶が全くない。

自分の音樂ソースの大部分はラジオに依存してゐる。テレビやコンピュータの使用時間の制限があつた當時、ラジオだけはその規制に含まれてゐなかつたこともあり、引籠り氣質の自分はラジオを四六時中聞いてゐた。娛樂と云へばプロ野球中繼と、「吉田照美のやる氣MANMAN!」「伊集院光 日曜日の祕密基地」「朝鮮の聲放送」だつたわけだ。ラジオの內でも陽の雰圍氣が漂ふFM放送は避けてをり、AM放送の中でもTBSと文化放送がメインだつたのだが、その中でも音樂ソースとして一番よく聞いたのが文化放送にてナイターオフシーズンにバンブー竹內と云ふアナウンサーがやつてゐた「竹內靖夫の電リク・ハローパーティー」と云ふ番組だつた。この番組の特徴はリクエスト曲はフルコーラスでかゝる、リクエスト曲は昭和歌謠が殆どと云ふもので所謂懷メロ番組だつた。その結果昭和の曲はそれなりに分るのだが、平成の曲が絕望的にわからないと云ふ事態を生出した。ゆゑにギリギリ昭和の杏里の「ソノーフレイクの街角」邊りは普通に聞いたことがあり、大黑摩季の「夏が來る」はたまたま周圍の大人が聞いてゐたから記憶にあつたが、廣瀨香美の「promise」は全く聞いたことがないと云ふことになつた。

そもそも平成の曲と云ふものにはあまりよい印象がない。音樂の話題が共有されたのは專ら學校空間であり、從つてそのセンスは學內階級にもろに依存した。ゆゑに學內上層に對して恐怖を抱いてゐた自分は彼らの好んだ音樂に對する印象が頗る惡い。現に修二と彰の「青春アミーゴ」の出だしを聞くと今でも當時の恐怖を思ひ出し暗雲が漂ふ。音樂が世界を平和にすると云ふのは大噓であり、波風が立たないことを平和と定義するとすれば、音樂はないに越したことはない。しかしそんな中でも廣瀨香美の「promise」はよい記憶と共に視界に入る可能性もあつた筈なのである。それが「ゲッダン」である。

「ゲッダン」は「promise」のさはりの部分を利用したMADである。八頭身モナーが亂回轉するその動畫は、FLASH全盛期のノリそのマヽであり、おもしろFLASH倉庫は普通に見てゐた自分が全くこれに觸れることがなかつたことは奇蹟に近い。が、これも殘當と云へば殘當なのである。MADはFLASHと云ふよりはニコニコ文化圈だからである。

FLASH全盛期にはみ〜や等の當時職人と呼ばれた人たちの影響を受けて、「FFAA」のやうな何かを作りたいとFLASHの勉强をしたものである。しかし數萬圓以上する高額なFLASH開發環境と、タイムラインと云ふ難解な槪念があまり理解できずにこれは斷念、代りにHSPで何かを作ると云ふ方向に向ふのだが、さうかうしてゐる內にFLASHブームはいつの間にか下火となつてゐた。と云ふよりもFLASHで恐らく作品は作られてゐたのだらうが、それらを見ようとして接續する先が、おもしろFLASH倉庫等の誰でも見られるところから、ニコニコ動畫へと移行したのである。この影響は甚大である。當時のニコニコ動畫はアカウントがないとコンテンツを見ることができず、アカウントの作成にはメールアドレスが必要だつたからである。携帶電話の普及率を考へればメールアドレスを持たない人の方が少數派だつた可能性は高いのでそんなことで不便を被つた人などあまりゐないのだらうが、携帶電話と云ふものに拒否反應を持つてゐた自分はそれに紐づくメールアドレスの所持も暫く拒否してをり、その結果ニコニコ動畫のコンテンツを見ることができるやうになつたのはアカウントなしでも動畫を見れるやうになつた大分後の頃にほゞ一致する。そんなわけで閉鎖的な環境にFLASHコンテンツを奪はれたとしてニコニコ動畫そのものを恨んでゐた時期も長く、ゆゑにそこで流行つてゐたものの攝取には時差が生じてゐる。「ゲッダン」は見事漏れたのである。

なぜこのやうな他愛もない話を書いたのかと云へば、YouTubeにあつた「promise」の動畫のコメント欄に、「『ゲッダン』を回避して過ごせたのは奇蹟に近い」と云つた內容のコメントが書かれてゐたからである。奇蹟は起きてもおこらなくても奇蹟と言ふものだ。


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