共感性と云ふ虛構

2chのヒトコワ系の話には人間の"共感性"が詰つてゐる。今回はその中で氣になつたものを一つ。

高校生の娘を持つ父親が別の高校生の女を金で買つてボコボコにした上で强姦した。そして父はさう云ふ嗜好の持ち主だつたとのことである。そしてその嗜好がこれまで家族に向いたことはなく、家庭ではそれなりに良き父だつたと。

事件が發覺した娘は父に問ふ。「私があなたがボコボコにした娘と同じ目にあつたらどう思ふ?」。と。父は答へる。「お前はあの娘ではないからその質問は無意味だ。」と。それを受け娘は再び問ふ。「私が他の男に金で買はれてボコボコにされた上に强姦されたらどう思ふ?」と。父は答へる。「その男を殺す。」と。娘はかう結論する。「父には共感性がない。」

この話を讀んだ人が變態の父親を白眼視すると云ふ共感性に基づく一致行動を見せるだらうことは疑ひやうがない。しかし、この娘の言つてゐることは明かにをかしい。

娘の期待する內容には以下の2つがあることが推論できる。

・父は娘の私がボコボコにされることに對して心を痛める
・同樣に父は娘を持つ他の父の心の痛みについても理解を示す

父は前者の期待には應へてゐることは明白である。娘がボコボコにされた場合は加害者を殺すと宣言してゐるからである。一方で後者の期待には應へてゐないことも同樣に明白である。それを受けて他人の痛みを理解できないことを察した娘は父の共感性のなさを指摘してゐる。

しかし父は特にをかしなことを言つてゐるわけではない。自分の娘が暴行された時に報復したいと激昂することと、他人の娘を暴行することの享樂及び自らの娘では享樂が得られないことが同時に存在することの間には特に論理的な矛盾はなく、その際に暴行對象の父に對して心を寄せないと云ふのは全く普通のことである(それどころかこゝでその父の存在は自らの嗜好をより補强し得ることにも留意が必要である)。從つて最初の娘の質問に對して無意味であると答へるのは全く正しい答辯であり、それ以外には答へやうがない。それを單に氣持ちが惡いと切捨てることに留めるとすればそれは受取り手の自由の問題に過ぎないが、一方的にをかしなことであると見做す恣意的な共感性の强要には根據がないのだ。現に父親による自らの欲望丸出しの無矛盾の感性に對して、娘は全く"共感性"を示してはゐないではないか。

このやうに共感性のなさを突くことで他者を攻擊することは大抵間違つてゐる。そのやうな脅迫で他者の兇行を事前に止めることはできないのだ。云ふまでもなくこの父には自らの享樂に對する代償を拂はせる必要がある。しかしそれは共感性に基づく私刑ではなく、法によつてなされるべきものの筈である。

ところでこの一般的な共感性には無論效能もある。現にこの恣意的な共感性を有する個體は平常時に於て他者を警戒する必要がない。何が異常で何が正常な感性かと云ふ恣意的な選擇結果が共有されてをり、あらゆる個體がその選擇に遵つた出力のみをすると信じることが可能だからである。從つてかやうな異質な個體が出た時にのみ怯えるだけで濟む。一方で我々には根據がないがゆゑに、常に他者に對して恐怖を抱き續けると云ふ消耗戰を强ひられてゐることもまた事實である。

元スレ:https://kohada.open2ch.net/test/read.cgi/kankon/1513605030/


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