背廣のポケット

最近背廣を着なくなつて久しいが、思ひ返せば背廣のポケットには何も入れないと云ふことをできるだけぐわんばつてゐたやうな記憶がある。ポケットに物を入れてしまふと型が崩れるからである。とするならばポケットがない方が背廣のシルエットが綺麗に見えると云ふのは恐らく間違ひない。使用すれば型がくづれてしまふほどにデリケートなのだとすれば、最初からポケットなどない方がより纖細な線が出さうなものである。それに伴つてかレディーススーツにポケットがないのはシルエットの綺麗さが需要の第一ポイントであると云ふ市場の結果であるので、フェミニズムの領域ではないとする風潮があるやうである。

シルエットを重視するのはその服自體が重要な時であるやうに思はれる。實際財布やらなんやらはいちいち鞄に入れるやうに心がけるモチベーションがあるほどには、背廣は中々に貴重だつた。逆に言へば消耗品の如きリクルートスーツ等では平氣でポケットに物を入れると云ふことでもある。いくら冠婚葬祭で使用可能と云ふ設計であらうとも、リクルートスーツではその性質上行動における利便性を優先するのはやむを得ない。リクルートスーツ的なものの要求され工合に男女の別がなくなつてゐるのだとすれば、レディーススーツにもシルエットよりは物を入れる用途のポケットの方に需要が存在しうると考へる方が容易い。

現に別の部署ではパンツスーツが可だがある部署ではスカートしか不可と云ふ現場を見たことがあるが、そこでは上のをつさん連中の趣味でさうなつてゐるのでそれに付き合はされてゐると云ふ愚癡を聞いた記憶がある。これはスカート等の女性的シルエットとされるものにこだはつてゐるのは、それを着てゐる本人達ではないと云ふことがあると云ふことでもある。

そもそも現在スカートは何故女しか履きづらいのか。近代以前はスカート型の服を穿くことに對して男女の別はなかつたやうにも見える。これは一說によると勞働と云ふものに價値がおかれるやうになつたからとも言はれてゐる。勞働にはパンツ型の方があきらかに動きやすい。從つて勞働を擔ふ男はパンツを穿くやうになつた。そこで勞働のために着飾ることを斷念せざるを得なかつた男は、自らの所有する女をスカート等で着飾らせることでその裝飾慾を滿たしたと云ふ說である。そこでは男がスカートを穿くと云ふことは、この構造上下に位置する女の側に行くことになるのでそれゆゑに避けられ、逆に女がパンツを穿くことは上に位置する男の側に行くことになるので抵抗感は低い、と云ふ風に說明される。

もしレディーススーツの方にのみ殊更シルエット重視と云ふ風潮があるのだとすれば、それは單純に着る者の需要に對する供給と云ふものの他に上記のやうなジェンダーロールが紛れ込んでゐる可能性が確かになくはない。從つて市場の結果ではなくフェミニズムの領分であるとすることはそれなりに妥當なやうに思へる。

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