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うるさい女が嫌いだ。私よりうるさい女を見たことがない。いや、私よりうるさい女は知っている。しかし、彼女たちはうるさくないのだ………。私は私が嫌いだ。

私が私を好きになるには

自分の書いた文章。書いた直後は、上手いと酔いしれている。酒など飲まぬのに、自分に溺れている。見返すとひどい。人からの評価がつかぬのも納得できる下手さだ。いや、他人からの評価など関係ないのだ。人生において。どれだけ侮辱され軽蔑されようと、自分の生き様が好きになれたら、生き易いだろう。

自分の文章を好きになれればいい。自分の文章を好きになりたいのに、なれないから、せめて他人に評価を任せているのだ。己で自己始末できぬ評価を他人に託すな。ここに私を評価するものは何一ついない。

もし、私が私を評価することができたなら、私は夢心地で、意識だけでなく身体までも浮いて、山を越え雲を越え、宇宙までは行きたくないが、七つもあるとされるあの天国へ行けるだろう。

あの、えーっと、なんだっけ、たしか、ひばり、そう、雲雀のように、一度下降してから、さらに高く上昇することができるだろう。できるのか?


いいか、文章を書ける人間など、だいたい、自分が好きだから書けるのだ。その程度に大小あれど、自分が嫌いな人間は文字を残すことなどできぬ。必然ならばやるが、少なくとも、任意の場で、なぜ文字を残そうか。つまり、自分が好きなのだ。自惚れている。うぬぼれるという言葉は、語感こそ聞き難いが、なんて可愛らしい字面だろう…!


文章の終わりが分からないよ。後始末が下手くそなんだろう。何年か後に見返せば、きっと意味も見出せよう!

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