見出し画像

2021年増えたもの減ったもの

COVID-19 changed the world.

コロナに翻弄されて浮つきながら過ごした2020年と違い、2021年は割と落ち着いた1年だったと思う。
生活全般もコロナありきの世界に適応完了した感じ。

2020年やそれ以前と比較すると「意図的に変えたこと/意図せずに変わってしまったこと」が浮かび上がってくる。

その【変化】を徒然なるままに振り返ってみよう。

・テレワークが増えた

2020年はコロナの状況に応じてムラがあった(コロナが落ち着くと「出社しろ」となる)が、2021年は仕組みとして固定したので1年を通して家にいることが増えた。

・読書量が減った

その結果、目に見える形で読書量が減ってしまった。
なぜかといえば、通勤時に本を読んでいたからだ。家で読めばいいじゃないか、という話もあるが、本は電車の中や会社の昼休みに読む、という習慣が定着していたのでなかなか家で読もうという気分にならないのだ。
ちなみに、今年の本のベストは「バグダードのフランケンシュタイン」。

画像1

舞台はアメリカのイラク侵攻によるフセイン政権崩壊後のイラク。アメリカの傀儡政権に反発する勢力によって多発する自爆テロで亡くなった人の肉体の破片を繋ぎ合わせて造られた「人間」が…。ともう“設定で独り勝ち感”がやばい。

今年の序盤に中東の近代史を掘ってたことがあったから「フセイン時代がどういう雰囲気だったのか」とか「米軍が現地でどういう風に思われていたのか」とかその辺りの教科書的な背景や状況は理解していたつもりだったけど、物語として語られることによってそのリアルな空気感が肌身に伝わってくる感じがした。あーやっぱり人間にとって大事なのはnarrativeなんだよなって。

ちなみにベストに選んどいてなんですが、現時点でまだ読み終わってません。(終盤で図書館の返却期間がきてしまい、再レンタル待ち)
即ち、読み途中にも関わらずベストに選んで皆さんにお知らせしたくなるぐらい設定の独り勝ち感がやばい、ということです。

・図書館通いが増えた

今年のベスト本すら買わずに図書館でレンタルしていることからも分かる通り、今年は図書館を有効活用している。
これもテレワークの良き面だ。会社に朝から晩まで毎日通っていた頃は平日18時とかに閉まる図書館に通いようが無かったが、今はそれができる。
素晴らしいことに、横浜市民は横浜市中の図書館の蔵書を最寄りの図書館に取り寄せてレンタルすることができる。
この仕組みを知って以降、家の本棚に本を並べることに全く興味が無くなってしまった(折角去年本棚を新調したのに)。

そう、横浜市中の図書館が自分の本棚になったのだ。即ち、テレワークのお陰でほぼ無尽蔵に本にアクセスできる環境になった。が、テレワークのせいで通勤時間が減って本を読む時間が確保できない。これはなかなかのジレンマである。

・映像視聴量が増えた

じゃ、家で空いた時間はなにやってるのよ、というと映像を見てる時間が増えたのだと思う。コロナ前はEテレを映すぐらいしか使い道のなかったテレビは、NetflixとYouTubeで永遠と映像を流しだす魔法の箱(板か)に変わった。在宅勤務時は、昼休みや仕事終わりに映画を観る。映画の細切れ視聴も全く気にしなくなってしまった。

ちなみに、今年、家で観た映像のベストは「カウボーイビバップ」(アニメの方)です。実写版に備えて久しぶりに観直したけど今観てもやっぱり超最高だったな。
大学生の頃にWOWOWの無料放送かなんかで観た映画版に心を撃ち抜かれて。当時はなかなかテレビ版を全話まとめて観る術がなく。10年近く前に海外UK版のDVDコンプリートボックス(当時日本とリージョンが同じなのがUK版しかなかった)が発売されたのを個人輸入して貪るように観たことを思いだしたり。
それが今やリモコンのボタンを押すだけでどこでも観れるようになった便利さを素直に悦びつつ、でも、あの当時の不便さ/アクセスの難しさもコンテンツ自体への欲望を掻き立てる装置としてはなかなか愛おしいものだったんだよなー等と思ったり(これこそオジサンのノスタルジーだよな)。

・オートミールの消費量が増えた

話変わって食生活。
以前から朝(鳥の餌)と晩(米化させる)はオートミールだったのだが、在宅勤務日に昼に食べることが増えて、晴れて「主食」と相成った。
今年は特にトレーニング量が減った一年だったけど全く太らないのはオートミールのお陰だと思われる。

目下の悩みは最近のオートミールブームのせいか贔屓にしてるお店の在庫が時々ショートすること。主食を切らす訳にはいかない身として、かなり前のめり気味に注文(毎回6kg頼む)しているので家庭内在庫が積み上がりがち。在庫はコスト。

画像2

・走行距離が減った

そう、トレーニング量が減ったのはランニングの走行距離が減ったから。
大会がなくなりモチベーションがあがらず…というのもまがいも無くその一つの理由ではあるけど、昨年から引き続きフォームの大幅改善を試みているので走行距離を増やせない、というのが根本的な理由。

フォームの改善、というのはタイムの向上などと違って目に見えるアウトプットが出てきにくい。走れば走る程、結果が上向くモノではなく、寧ろ、10数年親しんだフォームからの身体の適応を促すためにかなり慎重に歩を進めるべきモノなのだ。たから上述の通り、距離をそんなに踏めないのである。
ただ今年後半から手応えは感じ出していて、例えば、
年始には特定のシューズ(跳ねる系のやつ)じゃないと巧くハマらなかったのが他のシューズ(そんなに跳ねない系のやつ)でもちゃんとハマる様になったり(即ち、シューズを選ばずにフォームが身に付いてきた、ということ)、
以前は少し長い距離を踏むと左ケツに張りの気配を感じていたのがなくなったり(即ち、左脚のフォームの不自然さが緩和してきたorフォームに相応しい筋力がついてきた、ということ)
と、自分の実感としての変化は感じられる様になってきてる。
目論見としてはここでフォームをきちんとインストールして土台を築けば、心肺機能とか距離耐性とか諸々の能力の上乗せは一段と楽にできる、ということ。その辺りは一回経験したことだからね。“不惑”に差し掛かかりつつある中でやはり経験はモノを言うのだフフフフ。

・メルカリの売上が増えた

だもんでランニング、特にトレイルランのウェアとかギアはメルカリで売りまくった。蔵書も売りまくった。図書館に置いてある本はいつでもレンタルして読めるからだ。CDも売りまくった。配信で聴ける音楽は配信で聴けば良い。
使わないものを手元に持っているのは勿体ない。在庫はコストなのだ。サブスクリプション万歳\⍩⃝/

で、増えまくったメルカリの売上をどうしたか、と言えば服とスニーカーに使った。結局、家庭内にモノの在庫を蓄えている。
これでは全く意味がないじゃないか。
そして、音楽や書籍をファッションに置換するのはサブカル的に不健全な感じがする。

グッバイ2021

さて、2021年の【変化】を徒然なるままに振り返ってみたのだが、この限られた情報からでも今年1年が自分にとってどういう1年だったかがかなり正確に再現できている様な気がする。
やはり”今日”を過去から未来に流れる単なる時間経過ではない唯一無二の存在として際立てているのは、”昨日”との間で生じる【変化】なのだ。
そう、この【変化】の集積こそが退屈に見える日々を「人生」たらしめるものなのである。

この記事は 2021 Advent Calendar 2021 21日目の記事として書かれました。昨日はyamanokuさん、明日はmactkgさんです。お楽しみに!