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終わりと始まり、そこにいた私の話

2022/6/14
この日が防弾少年団のchapter2の始まりなら、
やっぱりちゃんとこの数日の自分の気持ちを残しておきたくて、これを書くことにした。

防弾少年団9周年のFestaが始まり、
その内容が明らかになっていくにつれ、
何か今までの活動を一区切りするかのような雰囲気に、
どんどん不安は色濃くなり、
かの国に定められた制度の事も含め、
あなた達を失う可能性ばかりを私は考えていた。

そうしてFestaに乗り切れなかった私は、
6/13の00:00にジョングクが届けてくれた歌に、
自分でも驚くほど救われることになる。

あの日、マンネのMyYouは、哀しい可能性を全て消してくれた訳ではなかった。
哀しい可能性は変わらずあったけれど、
それでも、彼の想いが、歌が、歌声が、
この先の未来が明るいということを、
私に信じさせてくれたのだ。

本当に、アミでない方からするとバカみたいな話だろうけど、
あの曲を聞いている間、確かに彼は、
私の弟だった。
不安で不安で泣いている私の横で、
ずっと背中をさすってくれている、
優しい弟だった。
勿論今までの人生で沢山の歌に救われてはきたけれど、
これまでは私が勝手に気持ちを寄せていただけだ。
私たちだけを想い、作られ、届けられた歌。
届くことを祈るように、語るように、その心が乗せられた歌声。
それがどれほど私を救ったか。
こんな体験は初めてだった。

マンネに救われ、
ある程度の心の準備が出来ていたからか、
あの防弾会食の動画で彼等の決断を聞いたときは、
静かにその決定を受け止めた気持ちだった。
ひとりひとり、兄弟皆が少年団を想い、
アミを思いながら紡がれる言葉が、胸にしみた。
その中で、ここまでとは思いもしなかった告白が、
ナムジュンとユンギから出た。

芯からRapperである二人が、
ナムジュン
「歌詞を書くときもそうだし、どんな話をして、どんなメッセージを投げるのかをすごく大切だと考える人だから、僕が生きる意味なのに、そういったものが無くなってしまった気がした」
「どんな話をすればいいか分からない」
ユンギ
「言葉が出ない」
「何を言うべきなのかわからない」
そうカメラの前で言っていた。
よくぞここまで見せてくれたなと思う。
これを見せることは、彼等にはマイナスでしかない筈なのに。
今現在のありのままを私たちに見せることを、
自分たちにできる最大限の誠実さだと思ってくれていることが、
痛いくらい伝わってきた。

あの動画が出る少し前、
まだFesta中だったある日。
急に気付いたことがあった。
それまで、いわゆる「供給」の多さに嬉しいながらも戸惑いも感じていて。
日々投下される、とても追いきれない量のコンテンツ。
ゆっくり一つ一つを咀嚼する時間もない。
そのことに、苦笑いでちょっと文句を言ってみたり。

でもその時、バカな私は初めて気付いた。
私達が追いきれないこのコンテンツは、
1年や2年かけてゆっくり作られたものではない。
実際に行動してそれをつくっているのは、誰か。
私達が一瞬で消費するものを、
その身と時間を捧げて作りあげこなし続けているのは、誰か。

ただ消費するだけの私達ですらついていけないスピードと回数のスケジュールを、
少年団がこなしているから、
この供給があるということ。
どうしてそれに気付かなかったのかと、
凄いな、ありがたいなとその時思った。

ただそれだけだった。
それがK-popアイドルの仕事なのだとでも納得したのか、
深く考えることを、私はしなかった。
その後、あの動画が出た。
私は、深く考えもしなかった自分を恥じた。

大きな責任を背負ったことで、過度なプレッシャーや疲れを感じているだろうとは思っていたけれど、こんなにも日常の中で疲れていたのか。
それでもまだ葛藤してくれていたのか。
その中での決断だったのか。

「Yet  To Comeの歌詞にすべて込めました」
とナムジュンは言った。
これを聞いた時、
世界に向けて発する言葉は見失っていても、
私たちアミに向けて言いたい言葉だけは、
変わらずあなた達の中にあること。
色々なものに感情を擦り減らし、
その言葉すら無くなって、
私たちとの関係を信じられなくなる前に、
今回の決断をしてくれたこと。
自己満な解釈ではあるけれど、それにとても安堵し、感謝した。

こんな誠実な愛をくれるあなた達の決断を、
否定出来るはずもない。
なにもかも、防弾少年団が防弾少年団でいるためであり、
その決断の中に、アミの存在が確かに、確かにあること。
十分に伝わったのだから。

今となっては、
何がそんなに怖かったのだろうと思う。
どうしてこの人たちを無くしてしまうような気持ちになっていたのかと。

最後に、もう少しだけ、喪失の恐怖について。

少年団が自分の中で大きな存在になればなるほど
いつからか、昔読んだ小説の一説がよく頭に浮かぶようになった。

「 こんなものを手に入れてしまって
 どうしよう。
 形あるものはみな壊れるのに。」

もう久しく目を通していない本なのに、
感性が鋭敏な時期に読んだものだからなのか、
鮮明に覚えている一文。
この言葉が頭を離れなくなった。
尊くて、好きで好きで仕方ないものを手に入れてしまったことへの不安。
この不安は、いつか訪れる喪失への不安に他ならない。
私はこれが怖くて怖くて仕方がなかったし、
今もその不安は完全には消えていない。

もう何年も読んでいなかった本を押し入れから引っ張り出す。
続きはこうだった。

-------
「 こんなものを手に入れてしまってどうしよう。形あるものはみな壊れるのに。」
と私が泣いたら、彼は
「何度手放してもまたいくらでも作れるから。作ってあげるよ。」
と言った。
(中略)
たとえそれが嘘だとしても、それは私にとって、(中略)
自分では気付かなかったが
心細かったらしい私、
何もかもいっぺんに変わったり、
なくなったりすることが
この世には本当にあるから、
だから怖くて何も心にとどめにくくなっていた私にとって、
一番重要な呪文だった。
--------

あの一文はこんな続きだったか。

今、私は、会ったこともない防弾少年団から
惜しみなく愛をもらっていることを、
ひしひしと感じている。
これはアミじゃないとわからない感覚かもしれない。
本当に浴びせかけるように愛をもらっているような、この気持ち。
私がこの愛の喪失におびえると、
あなた達はまたすぐに、いくらでもと、別の愛を投げかけてくれる。
何度でも言ってくれる。
何があっても大好きだと。
その安心感がどれほどのものか。
そうか。私もとっくに、この呪文を貰っていたんだなと思った。

哀しくもあり素晴らしくもあることだけど、
時間は止められない。
私も、あなた達も、歳を取る。
いつかこの世界からいなくなる。
その日は急に訪れるかもしれない。
そのことに対する恐怖は消せないけれど、
いつ来るかわからないその日に怯え、
不安に苛まれていたずらに時間を使うのではなく、
しっかりと生きた心で、今生きているあなた達を見ていたい。感じていたい。
共に歩いている実感を持ちながら、
いつか来るその日まで、その瞬間までは、
一緒に、末永く一緒に、歩いていきたい。

多分、その道の半ばで、あなた達は2年ほど、
アーティストではない男の人になるだろう。
(義務としてはもう少し長い期間があるけれど)
この長い長い旅路の中の、たった数年。
何を恐れることがあろうか。

防弾少年団、
Chapter1、お疲れさまでした。
Chapter2、どんな景色を一緒に見ようか。
きっと、最高だよ。

Yet To Comeなのだから。

ーーー
※抜粋した一文は「血と水」より。吉本ばなな短編集『とかげ』収録。
※防弾会食動画はこちらを参考にさせて頂きました。Munitan様、細かいニュアンスなど、知れて良かったです。本当にありがとうございました。


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