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死に損なった私が本当の幸せを見つけるまで

 うつ病に摂食障害に自殺未遂。生きることが辛くて苦しくて、でも死ぬことすらできずに絶望の淵にいた私。そんな私が、今では最愛の旦那様や素晴らしい仕事に恵まれ、一切の悩みもなく、朝起きた瞬間からずっと幸せを感じて生きています。そんなことを言ってもとても信じてもらえません。宗教の話?なんて言われてしまうのともあります。


 でも、私が今のこの状態になるためにしてきたことはたった1つです。それは、自分と対話をして自分の本当の声を聞くこと。そう、特別なことは何一つしていません。私だけでなくみんなに等しくできること。誰でも、自分が望むままの幸せを手に入れることができるんです。でも、みんなが思うほどそんなに簡単なことではないのも確かで、コツがいくつかあるんです。

 だから、私の人生の暗黒期からそれを抜け出して今の生活を手に入れるまでを、ストーリーにしてみました。あなたが、幸せになるための何かヒントになるといいなと思います。

誰もが

自分だけの幸せを手に入れて

笑顔で毎日生きられますように。



1.転落


 小さな頃から人が好きだった。私の周りは常に愛に溢れていて、この世に悪い人間なんていないのだと思っていた。一番身近にいる両親は最も愛すべき存在だ。大好きな両親に私のことをもっと好きになってもらいたい。こう思うのは当然のことだと思う。だから、私は親の言うことは何でも聞いていい子になった。もっと褒めてもらうために。もっと愛してもらうために。そうすることが私にとって何よりの幸せだと信じていた。でも。純粋な気持ちからしていたこの行為が、その後何十年も自分を苦しめるなんて、この時は思ってもみなかった――。


 中学生の頃まで、私は絵に描いたような優等生を生きていた。成績は常にトップ、通知表の全ての科目で◎が並び、先生達の期待の星だった。勉強だけじゃない。所属していた剣道部ではレギュラーを勝ち取り、都大会に出場した。美術で作った作品が都展に選ばれ、合唱コンクールではピアノ伴奏を買って出る。何もかも完璧――。まさにそんな子供だったと思う。もちろん、私が天才だったわけじゃない。勉強だって部活だって、血ヘドを吐くくらいに努力をして勝ち取ったものだ。これまでの功績は全て、友達と遊ぶ時間も寝る暇も惜しんで努力した結果なのだ。これほどまでストイックに結果を求めた理由は、もちろん認めてもらうためだ。母は、成績や学歴、部活や習い事での活躍で人を評価する節があった。私が頑張れば頑張るほど母にとって自慢の娘になる。それが嬉しくて、この頃には既に承認欲求を満たすことが私の生きがいになっていたのだ。


 最初の挫折は高校受験だった。あんなに猛勉強したのに、第一志望の高校に落ちたのだ。努力すれば大抵のことは成し遂げてきた私の、初めての敗北。「不合格」の文字が、それまで私が何年も積み上げてきた自信を粉々にした。それ以来、頑張ることが怖くなってしまった。頑張っても失敗したらどうしよう。努力が報われない事を知ってしまった私は自分のことがまるで信じられなくなってしまった。第二志望の高校に進学するも、抜け殻状態の日々を過ごしていた。何をするにもやる気が出ず、友達と遊んでいても楽しくない。それどころか、テストへの恐怖心、将来への漠然とした不安、そういったものが頭からこびりついて離れなくなってしまった。そんな状態は徐々に体をも蝕み、私は体を動かすことすらしんどく、学校を徐々に遅刻するようになったのだ。

 そんな抑うつ状態の私が、唯一夢中になったものがあった。ダイエットだ。受験の失敗以来、自分に自信がなくなっていたけれど、ダイエットに成功すると気持ちが安定した。「頑張れば結果が出る」。ダイエットは、失った自尊心を取り戻す唯一の方法だったのだ。そして、どんどんストイックにのめり込んでいく。もっと結果を出すため、ワカメしか食べないダイエットを始めた。そして、見る見る痩せる代わりに、体力を失って歩くのもしんどくなった。でも、気持ちは安定する。そんなことを繰り返し、気が付けば体重は37㎏。いつもふらふらして頭が働かず、疲れが取れない体になった。ちゃんと食べれば回復する。それは分かっていた。でも、もうこの時には食べることが恐怖に変わっていた。――摂食障害の始まりだ。


2.地獄


 高3の時には、続く抑うつ状態と体調不良で遅刻が重なり、留年寸前になった。大学には行きたい。行かなければ。だけど体は言うことを聞かない。そんなやるせなさや苛立ちの捌け口を求めるように、いつしか私は過食をするようになった。動けなくなるくらい大量に食べて、あとで全部吐く。隠れてそんなことをしていた。もちろん、誰にも言えなかった。


 結局、一年浪人をして大学に入った。バイトもしたしサークルにも入り、見た目には普通の女子大生ライフを過ごしていたけれど、相変わらず抑うつ状態は続き、過食も止まらなかった。そうやってごまかしごまかし日々を過ごしていたけれど、とうとう限界がきたのだろう。大学2年生の時、ふと何もかもが嫌になってしまった。何も考えることができず、学校へ行くこともできなくなった。そして、原因不明の高熱が出た。何か所も病院に行ったけれど、いつも診察結果は「原因不明」。また、長く続く抑うつ状態が苦しくて精神科も受診した。うつ病、境界性人格障害、精神分裂病、あるいはただの怠け病。そんな風に診断され、一生治らないとまで言われた。この苦しみを救ってほしくて専門家のところに言ったのに、心ない言葉に絶望した。過食のことは、医者にも隠し通した。もちろん親にも。摂食障害が今ほど認知されていなかったこの頃、食べ物を吐くなんて行為をする自分は狂っているんだと思っていたし、心配もかけたくなかった。私は、世界中の誰にも弱みを見せることも頼ることもできなかったのだ。ただただ孤独だった。


 この状態は2年間続き、やむを得ず大学は休学した。朝起きて、また地獄のような1日が始まるのだという絶望感。どこにも属していないという孤独感。家族に迷惑をかけているという罪悪感。

あんなに頑張ってきたのに、どうしてこんなことになっちゃったの?


 真っ暗なトンネルの中にいるような気持ちだった。出口は見えず、ほんの少しの光すら差さない場所。自分のいる位置すら分からないから、あとどれくらいでトンネルを抜けることが出来るのかも分からない。もしかして、一生出ることはないのだろうか?嫌だ。怖い。苦しい。辛い。助けて。タスケテ。さらに追い打ちをかけたのは、父の優しさだった。「娘が大学に戻れる道を残しておいてあげたい」と休学中の学費を払い続けてくれたのだ。復学の見込みは薄いと医者にも言われていたのに。家計は決して裕福ではなかったのに。普段無口であまりコミュニケーションも取って来なかった父が、「大事な日だから」と有給を取って銀行に大金を振り込みに行くのだ。その背中を見るのはあまりに辛すぎた。迷惑かけてごめんなさい。出来の悪い娘でごめんなさい。――生きていてごめんなさい。

 そして私は、自殺を決行した。


3.生きる


 ところが、私は死ぬことができなかった。リストカット、薬の過剰摂取、様々な手段で自殺を試みるも、その度に家族に発見され、一命を取り留めた。そして、3度目の自殺が失敗に終わり、病院のベッドで目を覚ました時――。絶望で目の前が真っ暗になった。

まだ生きている。また死ねなかった。また…。


もう無理なのだと思った。私は死ぬことができない。少なくとも、私が取れる方法では死ぬことができない。生キルシカナイ――。生きていたくないのに、生きなければならない。それは、この苦しみから逃れたい私にとって、受け入れがたいことだった。だったら、と私は思った。少しでも苦しくないように、しんどい思いをしないように楽に生きたい。嫌なことからは徹底的に逃げて、心にさざ波を立てないように。両親と会いたくなければ部屋に引きこもり、お風呂に入るのが面倒だったら入らない。出かけるのが嫌だったら誘いは断る。1つ1つがほんの小さなことだったけれど、息を吸うのすら苦行だった私には、こんなレベルで何とか自分の生命をつなぎとめていくしか術がなかったのだ。


 そんなことを日々繰り返し、ふと気が付いた。こんなに自分の心の声を聴いてあげたことが、これまであっただろうか?私は、両親や周りの大人に愛されたくて、いい子でいたくて彼らの言うことを全て聞いてきた。――毎日コツコツ勉強しなさい、人の何倍も努力しなさい、いい学校に行きなさい。そうすればきっと未来は明るいから――だけど、肝心の自分の心は何と言っていた? 周りの声と同じくらい、ちゃんと自分の声を聴いてあげてた?分からない。分からない。どんなに考えても、自分の気持ちが分からなかった。だって、両親に喜んでもらうのが私の喜びだったはずで、認めてもらえたらそれが何よりの幸せなはずだった。両親の言うことを聞いておけば間違いはない。そう信じてずっと生きてきたのだから、自分の意思なんて持つ必要がなかった。むしろ邪魔だった。


 私は愕然とした。そうだ、私には意志がない。だから、自分が何をしたいのか、望みは何なのか、それすら分からない。その気付きをきっかけとして、私はしたくないことから逃げるという作業から一歩踏み出し、自分がその瞬間瞬間で何をしたいのか、自分の心と徹底的に対話することを始めた。とは言え、初めはうまくいかなかった。どんなに考えてもやりたいことも欲しいことも出てこないのだ。ないというより、心の奥底で自分の意思を持つことに恐怖心があった。自分自身を信じることができなかった。だから、ほんの小さなことから始めた。今日は何が食べたい? 洋服は何が着たい?そんな日常の一挙手一投足の意思決定から、一つ一つ心の声を聞くことにしたのだ。それを繰り返していくうちに自覚せざるを得なかった。これまで、そんな些細なことですら、自分の気持ちを無視して物事を決めていたことに。どうせ吐いてしまうんだから、こんな高いものは食べない方がいい。今日は外出をしなきゃいけないんだから、こっちのきちんとした服を着た方がいい。自分の気持ちよりも、外側の世界を気にして選択していることがあまりに多いことに驚いた。


 しばらくして、2年間も続いていたあの原因不明の熱が下がった。そして、「学校に行きたい」と思うようになった。2年ぶりにくぐる大学の正門。正面に見えるレンガ色の校舎に緑の芝生道。またここに帰ってくることができた。復学後はいつも最前列で授業に出席した。休学前もそうだったけれど、理由は全然違う。あの頃のように、「良い成績を取るため」にそうしているのではない。勉強をしたいから。私がそうしたいからしている。それが私の意思なのだ。あの真っ暗闇のトンネルに、一筋の光が差した気がした。こうして私の人生の歯車は再び回り始めた。けれど、依然として摂食障害の悩みは抱えたままだった。


4.自分を生きる


 気づけば大学も卒業して社会人2年目に突入していた。どうして? なんでまだ治らないの? 体調だって戻り始めてるし復学だってした。ちゃんと生きている。それなのに、なぜ。治したいのに。摂食障害を治したいのに。

 ――本当に――?


   その時に心の中で聞こえた自分の一言に、私は大きな衝撃を受けた。声は私が驚きのあまり言葉を失っているのをいいことに、次々語りかける。

『摂食障害を本当に治したいと思ってる?本当は、ずっとそのままがいいと思っているんでしょう? だって、そうすればいいことたくさんあるよね? 好きなもの好きなだけ食べてもどうせ吐くから痩せるし、病気を言い訳に頑張らないでも許される。周りの人からも心配してもらえる。ほら、いいこと尽くしでしょ?』


 私の頭の中から、耳を塞ぎたくなるような言葉が次々と矢のように突き刺さる。違う、そんなことない!私は。私は。――本当にその通りかもしれない。摂食障害が治ったあとのことをいざ想像してみたら、ゾッとするような現実がまず浮かんでしまったのだ。太ってしまうかもしれない。ストレス解消方法がなくなってしまう。ダラダラしていい理由がなくなってしまう。かわいそうな自分を演出できない。

 何てことだろう。私は、本当は病気のままでいたかったのだ。何年も摂食障害に苦しんで、そこから脱したいと思っていたはずの私にとって、この現実は正視に堪えなかった。治したいと思いつつ、心の奥底では治りたくないと思っていたなんて。私は再び絶望の谷に突き落とされた。3度目の自殺未遂から目覚めたあの時のように。再び自分に問いかける。私は、このままずっと病気を言い訳にして辛い苦しいと言いながら誰かに助けを求めて生きていきたいの? 私はどうしたい?とことん自分と向き合った。何度も何度も繰り返し自問自答した。本当は、誰かに自分の進む道を委ねるなんてしたくない。心の中の自分が呟く。他の誰でもない私の人生なんだから、自分で思うように、自分のしたいように生きていきたい。でも。ねえ、でもそれって。こんなに怖いことだったの――?他人の言うことを聞いていれば正しい道に行けると信じていた。そんな私には、自分ひとりの足で立つことも、自分ひとりで何かを決めることも恐怖でしかなかった。


 そうか、生きるって、こんなに覚悟のいることだったんだ。
そして、私にはその覚悟がなかった。「少しでも楽に生きたい」。これじゃダメなんだ。そんな姿勢じゃダメなのだ。私に足りないのは、「自分自身を生きる」という覚悟だ――。自分を生きる。それはどういうことだろう。私は考えた。自分と丁寧に向き合って、自分の心にウソをつかず正直に生きることだ。だから再び自分の心に問いかけた。
「私は、どんな風に生きていきたいの?」私の心は、ためらいがちに、でも以前よりもすんなり本当の気持ちを告白してくれた。

毎日を楽しく生きたい。

 「少しでもマシに」とか「辛くないように」とかじゃなく、私は毎日を心から楽しんで生きたいのだ。自殺未遂から復活し、うつ病からも脱した今の私の、これが素直な気持ちだった。心の奥底から、怯えながらも出てきたその気持ちが、すごく愛おしくなった。だったら、あとは覚悟を持つだけだ。逃げずに、目をそらさずに、自分が自分を幸せにする覚悟を。

 次に、私を悩ませる食べ物の事を考えた。そもそも、生きるというのは食べることだ。自然界に存在する命の恵を頂いて、体の中に取り込んで私という体と心を健全に維持するもの。生命の循環だ。決して胃の中に入れて再び体外に出すためのものではない。生きるということはきちんと食べること。食べることから逃げない。恐れない。だって私は生きたいのだから。私は、そう「決めた」。最初からうまくはいかなかったけれど、それでも少しずつ私は普通の食生活を取り戻した。こうして、私の食べ物に支配されてきた地獄の日々が幕を閉じた。最初に摂食障害を発症してから、実に10年もの月日が経っていた。


 本当の意味で生きることを決意してから、私の世界はまた少しずつ変化していった。毎日が楽しくなるにはどうしたらいい? どうしたら楽しい気持ちになれる? 私は常にそのことばかりを考えていた。不思議だ。つい数年前は、苦しみから逃げるためにどうしたい?と自問自答していたのに。でも、あの日々があったから、私は自分の心と向き合うことができた。心の奥底の鍵付きクローゼットにしまい込んでいた自分の気持ちを引っ張りだしてくることができたのだ。もちろん、摂食障害の症状が出なくなっても、すぐに人生が前向きに好転したわけではない。いつかぶり返すのではないか。こんなにうまくいくはずがない。そのうちきっとツケが回ってくる。そんな揺り戻しへの恐怖に苛まれた。だから、暗い歌、ダイエット関連のニュース、拒食症の主人公が出てくる映画、過食嘔吐に関するブログやSNS記事、メンヘラの友達。少しでも自分にマイナスの作用を及ぼしそうなものを全てシャットアウトした。ネガティブなものを遠ざけても、それでもまだ嫌な事は起こった。
 彼とのケンカ、仕事での失敗やトラブル、母との口論。こうしたマイナスな出来事でまた人生が嫌になって摂食障害に逃げ込むことになったら――。その恐ろしさに、私の心は休まらなかった。

 でも、実際どうだったか?何も起こらなかった。私が心配していたような、あの辛い日々に引き戻されることなんて全くなかった。なぜだろう? 不思議に思ったけれど、やがて一つの可能性に思い当った時、思わず「あ!」と声が出てしまった。

私、気持ちがブレてない。

何か自分にマイナスの影響を及ぼしそうな事があっても、気持ちが安定している。もちろん、その一瞬一瞬で嫌な気持ちになったりすることはある。でも、そこからすぐに浮上できるのだ。ウソ……。私、いつの間に変わったの? だって、これまでの私ときたら、失敗したら自己嫌悪と自信喪失でどん底まで落ち込み、そのストレスを発散するために過食嘔吐してはまた落ち込むという繰り返しだったのに。いつから、どうやってこの負の連鎖を断ち切れた?


5.幸せになる覚悟


 自分に起こった変化が信じられなくて、私はこれまで自分が取ってきた行動を振り返った。自分を生きると決意をあらたにして、食べることと向き合って、摂食障害が落ち着いて、それから――。あぁ、そうだ。一番大切なことを忘れていた。私は、毎日毎日、どうしたら自分が常に楽しくウキウキしていられるかをストイックに考え続けてきたではないか。朝、仕事に出かける前に豆を自分で丁寧に挽いてコーヒーを飲むこと。お気に入りの曲を聴きながら窓の外を見ること。美味しいチョコレートを食べること。一つ一つ丁寧に自分の「幸せ」を拾って、日常の一瞬一瞬を全てそれで埋め尽くそうと必死に頑張ってきた。だから、ちょっと嫌な事があってもすぐに気持ちを切り替えられるようになった。うっすらグレーな自分の心をピンク色に塗り替える方法は、いくらでも知っているのだから。すごい。楽しいをどこまでも追及していったら、こんなに気持ちが安定するんだ――。

 私はその頃、仕事でうまくいっていなかった。何をどう頑張ってもミスしてばかりで、上司にため息をつかれるのは日常茶飯事。職場には苦手なスタッフがいて、常にその人のご機嫌を伺いながらビクビクする。サービス残業も常態化していて、私を含め社員は皆疲れ果てていた。そんな地獄のような職場に通っていたことが悩みのタネだった。でも、楽しいを追求することの魔法を知った私は、こんな職場でもどうやったら楽しく働くことができるかを真剣に考えた。だって、1日の大半を仕事に費やさなければいけないなら、ここを楽しくしないと幸せにはなれないでしょう?

 まずは、苦手なスタッフ(Aさん)から向き合ってみることにした。この人との関係の改善なしに、私の仕事生活は楽しくならない。不機嫌なAさんが怖くてずっと避けてきたけれど、どうやったら彼女と仲良くなれるかを真剣に考えた。「愛の反対は無関心って言うよね。じゃあ、まずはAさんに関心を持ってみよう。一日一回は必ず自分から声をかけてみよう。」と行動してみた。あぁ、今日もまた無視されてしまった。じゃあ、明日はこんな話題を振ってみよう――。まるで片思い中の中学生のようだ。でも、その甲斐あって、次第にAさんは私に心を開いてくれるようになった。そして、ある日のこと。「V6の中で誰が一番好き?」彼女のこんな言葉を聞くことができた。「あ…岡田くん…ですかねぇ」私の返事を聞いた瞬間、彼女はこれまで見たことがないくらいに目をキラキラさせた。彼女も岡田くんが好きだった。彼女の心が溶けて扉が開いた瞬間だった。そこから急激に心の距離が縮まった。Aさんは仕事のフォローもしてくれるようになり、仲良く雑談までできるようになった。彼女が本当はとても職場思いなことも知ることができた。そして私に厳しかったのは、立派な社員になって欲しかったからだと知った。


 仕事が出来な過ぎて私のことを嫌っていた上司にも、同じように向き合い続けてすっかり仲良くなることができた。今では、仕事でミスをすると「おしりちゃんの苦手な仕事を頼んじゃってごめんね。」と逆に謝られるようになったのだ。こうして、私は職場でも少しずつ自分が楽しくいられるように環境を変えていくことができた。そして、不思議なことに、自分自身がそうして満たされていったら、今度は他人のことに目を向けられるようになった。


 具体的には職場のスタッフさんたちだ。職場のマニュアルには「元気に接客!」「お客様を満足させよう」「売上をあげよう」などと書いてあるけれど、みんなが楽しく働ける職場じゃないのに、そんなことをパートさんたちに求めるなんて酷だと思った。だって、私はもう知ってしまっていた。自分が満たされていない人が他人を満たせるわけがないことを。それを長期的に続けたら生きているのが苦しくなることを。スタッフさん達にとって楽しく仕事ができる環境を作りたい。それが私の仕事だ。

 今まではどうしたら自分が楽しくなるかを考えてきたけど、今度は、どうしたらみんなが楽しくなるかを考え続けた。その結果が、私独自の【おしりムギュムギュ作戦】だ。早朝5時から働いているため眠そうだったり無表情で仕事をしているスタッフさんのおしりを、ムギュっと触る真似して挨拶をすることで笑顔を引き出し明るい雰囲気を作り出すことに成功した。お客様からもスタッフの笑顔を褒められることが増えた。これ以外にも様々なことをやっていって、ついにスタッフさんたちから笑顔が零れてしまうような職場になった。お客様へ笑顔で接客するには、まず自分たちが楽しくて心から笑顔になれるような状態を作らなければ。そんな私の考えが見事にハマった試みだった。


 毎日の仕事の工程全てを楽しいものに変える。そんな取り組みを始めて1年経つ頃には、私は職場で楽しいを見つけるスペシャリストになっていた。ある意味当然だ。毎日毎日、寝ても覚めてもそればかりを考え続けてきたのだから。他の誰も、この分野で私と張り合える人はいないと断言できる。そんな私だったけれど、最後までどうしても楽しくできないことがあった。それが仕事での失敗だ。私はどういうわけか失敗が多く、注意されたり怒られてばかりだった。ずっといい子で生きてきて、褒められることはあっても人から叱られた経験すら少ない私には、失敗するということはかなり精神的に堪えた。自分の存在が否定された気持ちになり、それが辛くて言い訳をし始める。「だって、しょうがない。私のせいじゃない。仕方ない――」大抵のことはポジティブに変換できてしまっていた私でも、さすがにこれに関しては根が深かった。でも、決して諦めなかった。1年、1年半、ずっとずっとそこから逃げずにどうしたら楽しくできるか向き合って、ある日思いついたのだ。

失敗したら、好きなものを買えるというのはどうだろう?


私は早速ノートに欲しいものを書き綴った。そして、失敗の大小に合わせて欲しいものを手に入れるようになった。ちょっとしたミスならクリームたっぷりのフラペチーノ、インパクトの大きい失敗なら、ちょっとお高いワンピース。そんな風にして失敗をも楽しいものに変えてしまおうとした。それでも最初は恐れや否定の方が先に出ていた。自分のこれまでの何十年間分の生き方に関わってくるような事だから、すぐにガラっと変えられるはずもなかった。でも、この【ご褒美作戦】を始めめて半年くらいだっただろうか? ある日取引先をも巻き込む大きな失敗をして、上司からの電話を取るなり受話器越しに思いきり怒鳴られた。やっぱりそれは怖くて辛くて泣いてしまったのだけれど、ひとしきり話が済んで電話を置いた時、私が考えたことは「やったー!あのワンピ買えるー!」だったのである。いつのまにか失敗するのが楽しみになっている自分がいた。私は、半年かけて失敗することのトラウマですら乗り越えてしまったのだ。こうして、職場での最後の障害物を乗り越えた私にとって、仕事は完全に楽しいものになった。


 私がやってきたことのロジックが分かるだろうか?幸せになりたいと思ってなるものじゃない。楽しいといいな、じゃ叶わない。楽しくするにはどうすればいいのか、徹底的に考え抜くのだ。それも、一日とか一週間とか、そんな話じゃない。一年二年と、ゆっくり長い年月をそれだけ考えて生きる。そうしたら、もう人生は楽しくなるしかない。だって、頭の中は常にそれで埋め尽くされているんだから。これはスピリチュアルな話でもシンデレラストーリーでもない。ある意味訓練の類の話だ。 まずは自分の心に徹底的に向き合う勇気を持つこと。そして本当の望みから目を逸らさず、どこまでもそれを追及するのだ。少しうまく行かないことがあったって、それにいちいち囚われない。ダメなら別の方法を考えるまでだ。そうやって自分の心と向き合い、一つ一つの行動に意思を持つようになると、自分に対する信頼度が格段に上がったことに気づく。これまで、自分を信じるのが怖くて他人に答えを求めてきた人生だった。でも、私は今、自分を心から信頼できる。


6.自分を信じる


 自分の心に正直でいられるようになった頃、私は運命の相手とも言える男性に出会った。同じ職場の年下のフリーターだ。彼は夢を追いかけるバンドマンだった。彼のことを深く知るうちに、私は彼と付き合いたいと、いや、共に生きていきたいとまで思った。でも、彼とお付き合いをするには些か問題があった。私には、当時長く付き合っていた大企業勤務の彼氏がいて、しかも婚約寸前だったのだ。大きな会社に勤めていて将来性も確約できる、社会的信用のある彼氏。かたや、20代も半ばになってフリーターである好きな人。

 どちらを選ぶべきか。昔の私だったら考えるまでもなかった。結婚なんて言ったらなおのこと、二人を天秤にかけるなんて馬鹿げた話だろう。でも、何と言えばいいのだろう、職場の彼と一緒にいると、心がすごく温かい気持ちになるのだ。プレゼントが高価じゃなくても、高級レストランに行けなくても、ただ二人で手を繋いでいるだけで心の内側から満たされた。私にとってはお金や地位や名誉よりも一緒に手をつないでホッとできることの方が幸せの優先度が高かった。周りと違ったとしても、それが私の幸せだった。昔の私だったら、絶対に彼を選ぶなんてことはできなかった。でも、今の私なら、自分の選択を信じられる気がした。自分のこの感覚を信じてみたかった。両親を落胆させることになっても、悲しませることになっても、私の幸せはきっとここにある。離婚することになっても良いとさえ思えた。何というか、彼のことを信じているのではなく彼のことが好きだと思った自分の気持ちを信じてあげたかった。だから、勇気をもって両親に打ち明けた。


 結果は――やっぱり反対された。会ってももらえなかった。「どうしてそんな人と? 将来絶対苦労するに決まってる」「安定した職業の人と結婚した方が幸せなんだから」畳みかけられる言葉に、私は走馬灯のように昔のことを思い出す。「たくさん勉強して良い大学に入って良い会社に入ったら幸せになれるから」「社会で認められればその後の人生がグッと生きやすくなるのよ」。再びあの呪縛の言葉が私をがんじがらめにしようと忍び寄る。でも、私はもう知ってしまったの。母の言う通りにしても、私は幸せにはなれなかった。母の幸せと私の幸せは違ったのだ。それはどちらが正しいと言う話ではなく、ただ、違うと言うことなのだ。幸せとは、自分で決めなければいけないことだった。

「お母さん、ごめんね。お母さんが考える幸せと私の幸せは違った。
本当は、頑張り続けることがずっと苦しかった」


 私はついに両親にこれまでずっと黙っていたことを打ち明けた。いい子でい続けることが辛かったことも、誰かから認めてもらうことで自分の存在意義を計っていたことも、それが原因で病気になってしまったことも。その事実が両親を傷つけてしまうかもしれなくても、ただ伝えたかった。幸せのものさしは一人ひとり違っていて、自分の中以外に正解などないのだということを。


 母は母の考える幸せを幼かった私に教えてくれただけ。それは母の愛情以外の何物でもなかった。その事に気付いた時、感謝の気持ちでいっぱいになり涙が溢れる。

「お母さん、ありがとう。。。」


 それから、少しずつ歯車は動き始めた。頑なに彼を拒んでいた両親が、ついに会ってくれるようになった。母の方はそれでもすぐに受け入れてはくれず、「いい子だけど、結婚はまた別の話」と突っぱねたり、ちょっと失礼なことを彼に言ったりもした。でも、すごく嬉しかった。母の価値観とは違っていても、母が私のことを大事に思っているからこそ、彼に歩み寄ってくれたのだから。父の方は、初めて会ったその日に、娘をお願いしますと彼に頭を下げた。まさか父がそんな風に言うなんて思わなくて、私は思わず言葉を失った。考えてみれば、私は父とはほとんどコミュニケーションを取ってこなかったから、父が何を考えているか知らなかったし、知ろうともしなかった。学歴や地位にこだわったのは母だけど、それは父の意向だからだと思っていた。でも、事実は全然違ったのだ。父こそ、私が幸せでさえあれば他に望むことはないと思っていたのだ。私は、自分で思う以上に愛されていた。その事に今さら気付いて涙が止まらなかった。両親に理解してもらえなかったら駆け落ちする覚悟もあったけれど、逃げずに向き合ってよかった。恋も諦めたくなかったけれど、両親と分かり合いたいという気持ちも捨てきれなかった。もはや人と違う選択をすることよりも、自分の気持ちにウソをつくことの方がずっと怖かった。


 そして私と彼は結婚した。結婚をしてから、私はますます幸せになった。毎日目が覚めた瞬間から、これから過ごす一日が楽しみでワクワクする。職場の従業員達に会えば、感謝の気持ちで胸がいっぱいになる。ここにいてくれてありがとう。生きていてくれてありがとう。そんな気持ちになるのだ。帰宅したら旦那さんと今日一日あったことを笑いながら報告しあって、温かいベッドで眠る。明日はどんな一日になるかな――。そんな穏やかで満ち足りた幸せが本当にあるのだ。そして、それはこれからもずっと続いていく。私がそうありたいと思っている限り、必ず続くのだ。


 これが私が幸せを築くまでの物語です。もしかしたら肩透かしを食らったかもしれません。そのくらい、特別なことは何もしていないのです。私がしたことはただ、楽しく生きたいという自分の心の声に従って、ブレずにそれを追求しただけ。でも、それが実は意外に難しいことだということに、皆さんも何となく気付いているかもしれません。私達は、自分が思っている以上に自分の意思で行動できない生き物です。他人や社会、そういったものを判断基準にして自分の気持ちを無視することにあまりに慣れてしまっています。社会の中で生活していると、時に自分の気持ちを尊重することに迷うしまうシーンもあるかもしれません。私が覚悟を決めると言ったのはそういうことです。でも、自分の気持ちを大事にしてあげると、心が本当に満たされます。これだけで十分幸せを感じることができるのですが、自分が満たされると、今度は人を大切に思う気持ちが湧いてきます。人を愛することができるのです。自分以外の誰かを愛することができた時、人は心から幸せになると私は思っています。私がやったことは漏れなく皆ができること。必要なのは、自分で自分を幸せに導く、その勇気と覚悟だけ。いつか世の中が幸福感で満ち足りた人で溢れて、もっと優しい世界に変わればいいと、そう願っています。





◆プロフィール

おしりちゃん

おしりちゃん
キャリアコンサルタント+飲食店の店長。年商4億の店舗の運営や新入社員教育、接客研修など。たまに人事の仕事を手伝うことも。
【楽しい職場づくり】が得意で、その結果10年連続最高年商更新、新人退職率ゼロを更新中。数字分析とかできないので、お店を楽しくしてるだけ!
【おしりコンサル】過食嘔吐10年ウツ20年、3度の自殺未遂から自力で完治→以後、幸せ1000%という経験を生かして、どんな悩みも「楽しく」に変えちゃうおしりコンサルをやってます。
【生きやすい世界は自分で作れる】これを広めるための活動中!!無料のオンラインサロン【おしりちゃんのご機嫌研究室】をやってます。

名前の由来はみんなのおしりを触って挨拶をするところから。出身は東京。

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【おしりちゃんがやりたいことを見つけて輝くまで】

生きやすい世界を作る方法、楽しく生きるコツなどを発信してます。
①おしりちゃんのご機嫌のヒミツをシェア
物心ついた時から「生きづらいな、、、」って思っていたおしりちゃん。ハタチの頃に何度も自殺未遂を試みるも失敗に終わり、絶望の淵で生きることを決意!20年以上自分と向き合い、ラクに楽しく生きられる方法を研究し続けた結果、、、悩みがないのが悩みなくらい毎日幸せに💕私が見つけた幸せになれる方法を発信してます。
②100%じゃ満足できない!
 1000%の幸せを探す実験レポート
最高の人生を作ることを決意したおしりちゃん。やりたい事が分からないまま仕事を辞める決意をして『楽しいことしかやらない実験』を始めました。すると望みがどんどん叶っていったのです、、、。一体どこへ向かうのかは本人にも分かりません。
③おしりちゃんのちょっと〇〇な話
私はよく人から変わってるとか面白いって言われます。いろんな経験を経て【変わってる自分】もポジティブに受け止められるようになりました。その結果、とても生きやすくなったのです。そんな【変わってる】おしりちゃんを通してあなたの枠を壊します。
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おしりちゃんは今、こんなことをやってます。

・パートナーシップから人間関係、マインドまでどんなことも楽しく解決しちゃうお茶会

・やりたいことを見つけるお茶会

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