普通ってなんだろう。

始めまして マルシオと申します。普段は格闘ゲームしたり、カードゲームしています。三十路のおっさんです。今はフリーターです。ADHDとうつ病を患っています。ADHDのほうは患うっていうのかわかんないけど。

僕は強烈に「普通」へのあこがれがあります。子供のころは自分と自分の家庭環境が普通だと思って育ちます。ほかの家庭の状況を知らないからです。

ちょっと大人になって幼稚園ぐらいになると自分の環境が人と違うことに気付きます。みんながもっているおもちゃをもっていないと「変」で会話に混ざることができません。みんなができるダンスをできないと「変」でからかわれます。ここら辺から多数派にいなければならないという協調圧力が生まれてくるのだと思います。ちなみに協調圧力は日本独自のものと思われている方もいらっしゃると思いますが、外国でも存在します。程度はわかりませんが。

小学校にあがると「変」に対するアレルギー反応のようなものは加速します。容姿、成績などいろんなことが原因でいじめが起こります。私もいじめをしたことがあります。からかうと相手の反応が面白いので、相手が嫌がる言葉を投げかけていました。それが多数派であったので「普通にしたい」私にみては当然の行動でした。

中学生にあがると私に対するいじめ(といっても特定の人からのみでクラス全員とかではありません)が始まりました。私が小学生の時にいじめていた人からいじめ返されたのでそれは自業自得かと思いますが、ほかの人からいじめられるいわれはありません。初めてここでマジョリティーからマイノリティーになったのです。はじめていじめを受ける私はどうしたらいいのかわかりませんでしたが、いじめを受けるのは「普通じゃない」ので、両親や教師にばれたくなかったのです。また、学校を休むということは「普通じゃない」のでどんなに嫌でも学校に行き続けました。ここらへんから「普通」とは真面目にすることだと思うようになっていきました。

よくいじめの話題になると親に相談すれば?とか教師に相談すれば?ということを言われる方がいます。上記の通り私はいじめられているということは「変」であることを告白することになるため、私は相談するのに覚悟がいりました。遺書を書き、自殺を本気で考えるレベルにならなければ、親に相談できませんでした。また教師への相談は(一応)いじめている奴らも学校というコミュニティの一員です。小さいころは家庭か学校のコミュニティしかないので、教師への相談は「チクリ」として学校のコミュニティからの排除が考えられるからです。それぐらい難しいことなのです。

高校に入っても軽いいじめみたいなのがありましたが、部活というコミュニティがあったため難を逃れました。ここまで不登校にならなかったのは「普通じゃない」という圧力のほかに姉が不登校になってしまい、自分だけでも「普通」にしなければ親がかわいそうという強迫観念のようなものがあったからです。

高校卒業後。大学に進学することになるのですが、小さいころから「いい大学にいって、いい会社に入る」というのが「普通」だと教わっていたので勉強してそれなりの大学にいくことができました。

大学に入ると一気に多様性が認められるようになります。真面目な奴もいればふざけたやつもいました。「普通」の概念があまりなく、とりあえず真面目に勉強できそうな部活に入り、なんとなく単位だけ落とさない勉強をして過ごしました。「普通」のいい大学に入るほうはなんとか成功したといえます。

大学3年生になると「普通」、就職活動がスタートします。まず最初にやるのが「普通」、自己分析です。自分は今までの人生何を大事して生きてきたか?何を目標にどのように頑張ってどのような結果を出したのか?というのを自分で考えるのが自己分析のようです。私も例にもれず「普通」に自己分析をはじめました。

私が大事にしてきたことは「普通」であることによる平穏な日常だけでした。「何かを目標にして頑張ったか」というところは定期テストで馬鹿にされないように頑張ったとか運動ができないと思われないように頑張ったとかしかありませんでした。目標はひたすら「普通」です。

この大学時代の自己分析で、私は絶望しました。なぜなら自己分析の結果、頑張ったもの なし 成果 なし やりたいこと なし 大事にしてきたもの 自分の評価という本当になんにもないことに気付いてしまったからです。そこから精神を病み、自暴自棄になりました。昼からアルコールを飲んでいっそ中毒になったほうが楽になれるのではないかと思いました。

自己分析を終えて、なにもない私が「いいところ」に就職するにはある程度は勉強でどうにかなる公務員しかないと思い、公務員勉強をはじめました。

結果、奇跡的に公務員になることがなることができました。本当に奇跡です。子供の頃言われた「いい大学に行っていい会社に就職する」という目標は達成されました。僕の目標は達成しました。終わり。

というわけにはいかず、社会人としての日々が始まります。社会人は学校ではありませんでした。非常に厳しかったです。いろいろなことがありました。「毎日会社に行って8時間仕事をする」の大変さを知らずに「普通」のひとはそうしてるからという理由で頑張りましたがいろいろな事情でまたも精神を病み、今度は休職するに至りました。休職中に自己否定を延々繰り返しました。なぜ普通の人はできるのに自分はできないのだろうと。自分は欠損品であるのではないかと。

復帰しては体調不良になり休職を繰り返して6年。やっと仕事を辞めるという決意ができました。公務員の仕事を辞めるということは通常ではありません。もうここで「普通」の人生からは道をはずれます。でもやっぱり「普通」の人生を送るのを夢見て、精神障害があることを隠して転職活動して転職しましたが、やっぱり上手くいきませんでした。

もう障がい者手帳も持っており、いわゆる普通(正社員で結婚し、子供を持つ)の人生から降りることにしたのですが、ここまで私を苦しめる普通とは①世間の風潮、偏見②親の期待ぐらいしか今のところ思いません。

特に②親の期待のほうが大事だと思います。私はずっと親の呪縛にかかっていました、親の期待に応えることが子供の役割だと思っていました。

しかし、大人になってやっと今わかりましたが、自分の人生を決めるのは自分です親のことは一切とまでは言わないまでも考えなくていいのかなと思うようになりました。

今、親と私は共依存の関係にある気がします。私も親を頼ってますし、親もうつ病の子供を放っておけない。多分普通ではないでしょう。

普通に生きるというのは思っているより困難です。みんなそれぞれの人生を生きています。「普通」という言葉に縛られないで生きていくのは常識を疑うことのようなものですから困難です。でもそれでも生きていくしかありません。

でも私はまた普通にあこがれてフルタイムの仕事に就こうと頑張ってしまっています。消え去れないのかもしれません。うつ病と同じく死ぬまでくっついてくるでしょう。そいつとどううまく付き合うかを考えていきます。


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