適応障害より一年 その4      休職期

2年前くらいから趣味としてやっていたことがあった。ゲーム🎮編集などはやれないので、ただひたすらに生配信をするだけだったが、休職に入ったころにはゲームをすることはあっても、配信までは気力が出ない状況になっていた。
いざ休みに入ったが、どう休めばいいのか、何をすれば良くなるのか、そういうことばかり考えていたと思う。

性格が真面目すぎたのもあり、休職していても休めれてなく、ただ時間が過ぎていただけでは無かったのかと今では思う。
ただ、ぼーっとしておけば良かったのに‥

家事をやるにしても洗濯・掃除くらいしか出来ないので、気分的にやれそうな時はやるが、ずっと家に引きこもって過ごしていた。
気がつけば八月に。
心療内科の診察ペースは2週間に一回だったが、ほとんど毎回安定剤を注射していた、結局は休職に入ったが休めては無かったから。
気持ちにも焦りが出てしまい、九月から仕事出来るのか?と毎日考えていた記憶はある。主治医とも話し合って、もう少しは休んだほうがいいだろうとの流れになっていた8月中旬。

職場より、書類が届く。

ざっくりした内容は、「職務規定によりこれ以上の休職は認めれないので退職をするかどうかを考えてください。」との内容だった。
ソーシャルワーカーに問い合わせると、職務規定に勤続4年以下の休職は1ヶ月しか認めない、との規定があったとの事だった。

え?他の人は数ヶ月していたのになんで?どうして?

ただひたすらにパニックに陥り、泣きまくった。よくよく考えたら、数ヶ月休職していた人がいたあの頃は理事をしていた上司が休職していた人を守ってくれていたのだ。しかし、その方も居ない。そして今のトップは‥つまり、邪魔者を消したかったわけなんだとわたしは悟った。
その書類が届いてからのわたしの精神状態は一気に悪化し、記憶も定かではない。はっきり覚えているのは、誓約書を書かされた事くらい。「この退職に異論はないと書いてください」みたいな‥
その他の退職の手続きなどは妻がしてくれていたが、ソーシャルワーカーは妻に、「1ヶ月半も休職させたのに」と逆にクレームしていたらしい。

こうして、八月いっぱいで職を失って人生初の無職生活に突入する。

             続く

#適応障害に苦しまないで   
#人生は今が一番若い時   
#人生はつらいことと楽しいことの繰り返し   、毎日同じでいい

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