適応障害より一年 無職へ‥

2020年九月より完全な無職となる。
看護学校を卒業後からずっと働いていたし、結婚・家族ができ、仕事をすることが全てを守るものだと思っていた。
その仕事が無くなったとき、自分の生きる価値すら無くなってしまったと苦しむ日々が始まった。

退職後は、ほとんど家に引きこもりが続いていた。ただ、Twitterでは「忍野ブラスト」を続けていた‥
いや‥演じていたのだと思う。
自分=忍野ブラスト、ではなく、忍野ブラストを演じる事で、自我を保っていたのだと今では思う。しかし、Twitterで沢山の人たちに支えられて、助けられていたと本当に感謝している。

この頃から主治医とのカウンセリングを行い、双極性障害II型の疑いが強いため薬の切り替えをした。
薬の切り替えの時の辛さは本当に酷かった事は今でも覚えている。
まぁ、薬を飲んで、切り替えるのだから元々飲んでた薬の虚脱症状を甘くみていただけなんだけれど🥲

薬を変えて、少しずつ馴染んできたが、毎日自分を責める日々だった。生真面目な性格が良くない方向にしかいかなくて、「ま、いっか」とうまく流す事ができなかったから。妻にも子供にも本当に申し訳ない日々が続いた。

完全な無職となったために妻が扶養内で働いていたのを解除し働きを増やすこととなり、契約などで12月から妻の勤務形態が変わった。その時には妻から家の事をできる範囲で任されていたが、うまくいくはずもなく、妻が友人に「家の事を全然してくれない」と話していたことはかなりショックだった。
あの頃の妻は、病院に行って薬飲んでるから治るだろう、くらいに考えていたのだ。そう思ってしまったら、考えはマイナスにしか向かわなくて、年末年始は家から一歩も出る事がなく、食事・水分も一切取らない時もあった。
薬の副作用もあり体重増加で軽い拒食症もあったのかもしれない。


これが2020年度の病気と自分の事。
ここからまだ現在に至るまでは一進一退を繰り返していた。

              続く

#適応障害に苦しまないで    
#人生は今が一番若い時    
#人生はつらいことと楽しいことの繰り返し    、毎日同じでいい

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