死亡フラグと神回避
嫁は心配性である。
ほとんどの場合、その過剰な心配は教養・知識そして客観性の無さに由来する(別にdisっているわけではないが)。
ちょっと考えてみればわかるような事でも自分の主観のみで物事を憶測し、いつも「最悪のケース」を私に突き出す。
息子と海岸で花火をしようとすれば「草に燃え移って火事にならないようにね」、近所のダム池に架けてある吊り橋に遊びに行こうと言えば「落ちたりしないかな」。
花火してて草に燃え移ったことある?夏ですよ。冬の枯れ草ならまだしも。というか海岸に草は生えてません。吊り橋だってそう、まず最低限の安全を担保されて設計しているし、それを渡る人間の意識のプライオリティはまず落ちないようにすることだ。
なので私はため息をつきながらこう言い返す。
「火事なんかになるわけないじゃん」「落ちるわけないじゃん」
そう言ったあと、必ず思う事がある。
(あ、これ死亡フラグだ)
本来なら「そうだね、そうならないよう気をつけるよ」と言うべきだろうが、あまりにも馬鹿馬鹿しく行き過ぎた心配をフラットまで戻す為に、どうしてもこちら側も過剰な表現をしてしまう。もちろん100%安全ではないということは分かっているのだ。
実際そういう不遇や不運に巻き込まれるのは注意深く生活している限り99.9%ありえない。上記のようなセリフはいつも決まって「0.1%側」の人間のものだ。その嫁の心配性を打ち消す為に、私は意図せずそちら側の人間になり毎回死亡フラグを立てるハメになる。
だがどうにかして今日も無事に生きている。
奈良公園の鹿の角で刺殺されることなく。自販機で買ったジュースに毒が入っていることなく。散歩道の藪からマムシが飛び出てくることなく。風呂場でケツ毛を刈る為のトリマーで感電することなく。イスが後ろに倒れてたまたまそこに「アンパンマン ねらってパンチおおきなもぐりんブロックセット」のもぐりんの鼻があって延髄に突き刺さることなく。
数多の死亡フラグを立てさせられ、えっちらおっちら神回避し続けているのだ。
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