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尻軽節操インスタレーション

noteから少し離れてしまいました。

どうにも木工作業(と漆の奥深さ)に没頭してしまい、次はああしようこうしようで一日が過ぎていく。

最近の私は、次から次へと本当に節操が無いなあと感じていたが、「節操」の意味を改めて調べてみると「節義を堅く守って変えないこと」「自分の信じる主義・主張などを守りとおすこと」らしいので、どうやら節操が無いわけでもないらしい。

というのも、30歳過ぎてから始めて今本職にしている仕事も、そもそもの始まりは5、6年前に耳掃除でもしながらネットで見たなんでもないバイラルメディアがきっかけだったからだ。

どこに種が、鍵が、パズルのピースが落ちているかわからない。それらが次に繋がっているかどうかもわからない。

でも私は、そういうなんでもないものが無限に広がっていく可能性を秘めている事を身をもって体験している。

最近の私の尻の軽さは、そういう実体験を元にした節操から来ている。

どうだろうね。40歳になったら寿司職人になってるかもしれないし、50歳になったら南米のコーヒー農園にいるかもしれない。

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モノづくりをするとき、その最初の消費者/使用者は自分自身だけど、ある場面になるとそれを使う/消費する「誰か」を意識し始める。

そうすると格段にモノの質の向上を意識するし、(仮想であったとしても)目的ができるとモチベーションの維持にも繋がるからだ。

そしてモノの内容だけではなく、その「誰か」の手に渡る時のこと、主にパッケージデザインのことを考え出す。

パッケージデザインのことを考えるのは本当に楽しい。世の中には創意工夫を凝らした目を惹くものが溢れている。私は「もし自分が〇〇屋だったら」を想像しながらパッケージデザインを考えるのが好きだ。

今の仕事に関しても、自分の好きなデザイナーさんに依頼して、自分が好きなモノに自分が好きな服を着せるという一連の流れは新作を出す度にワクワクする。

そこで私は気が付いた。何かしらのクリエイティビティに従事するというのは、もしかしたらそんな「もしもの世界」を自分の身を用いて表現するインスタレーションなんじゃないか、と。

そう考えたら、何にでも手を出したくなってくる。もし自分が喫茶店のマスターだったら。花屋だったら。大工だったら。きっと数年後には全く違う仕事をしているかもしれないし、それが例え今の私が望んでいない仕事であったとしても、私は「もしもの世界」に迷い込んでしまった可哀そうな中年なのだと考えたら少し楽観的に捉えられるような気さえする。

私は充実した「今」を生きているわけだけど、そこまで執着する必要もないのかもしれない。次は何が待っているだろう。


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