ド新規なのに新曲を聴いてクソデカ感情が爆発した

私は今もだけど元々は女の子アイドルのオタクで、アイドルという職は永遠じゃないと思い知らされる事が死ぬほどあった。辛いから適切な距離でいたいと何度も思った。男性に比べてやっぱり年齢とか恋愛禁止だったりとかが要因として多いと思う。
その点ジャニーズは幼い頃からずっと年齢を重ねても長く続けられるイメージがあったのでここ数年の解散脱退休止がとても意外に感じていた。だけど長くやってればそんな事もあるよな、くらいのどこか他人事に思っていた。
そんな中、約1年前から急激にHey!Say!JUMPにハマってしまい、全然触れてこなかったジャニーズ文化に足を踏み入れたわけだけど、見てみてひしひしと感じたのは相当な覚悟がないと解散も脱退も休止もできないということ。おおよその女の子がなんとなく迎える”期限”みたいなものではなく、明らかに個人の、グループの意思で決まるものだ。自分の大好きなグループが、続けようと思えば続けられるのになんらかの理由があって本人達の意思で無くなったり欠けたりしてしまう。自分の好きなものが好きなもの達の手によって壊されてしまう。でも、それを本人達が望んでいるのだから”ファン”としては否定できない。Hey!Say!JUMPを好きになってたった1年ちょっとのわたしでも分かる、どう考えても苦しい。
しかし、人間と人間の関わりであることや一人一人の男性としての人生を考えると案外例外ではない。本人達にとって、「アイドルをしている自分」<「自分そのもの」が大切になった時、どんなにファンが辛くても急に終わりは来てしまう。ジャニーズも”期限”が無いだけで言ってしまえば覚悟さえできれば終わらせられる。よっぽどアイドルをしている自分を好きでいてくれ続けない限り、ジャニーズでもアイドルは永遠じゃないのだ。

話は変わるが、Hey!Say!JUMPの新曲Sing−alongはとても綺麗な曲だと思う。曲そのものだけなら過去の自分なら絶対にハマらない曲。なぜなら歌詞が綺麗すぎる。ジャニオタとしては遅咲き過ぎる二十代中盤の私、合唱に出てきそうな未来や希望、光などのワードではもう悲しいことに感動できないようになってしまった。しかし、昨今のジャニーズグループの状況や、15周年という特別なタイミングでのリリースを重ね合わせるとみえる情景が変わってくる。

「みなぎる力の正体 
気づけばいつも背中を押してくれるもの
優しく強くどんな言葉より大切な絆で結んだ」

15年という考えられないほどの長い月日が”いつも”や”絆”といった子供でも分かる単語の解像度を確実に上げているし、重みが違う。満を辞してやってきた、知念くんセンター曲冒頭ロングソロを見つめるメンバーの姿も、それを指差す姿もまた”どんな言葉より”というフレーズと相まってグッと来る。そしてやっぱりサビのこのフレーズ

「降り注ぐ日々は奇跡」

ただ単に言葉の羅列で見ると平凡なこの歌詞も、先ほど話していたアイドルという職が永遠ではないということを前提とすると今この瞬間は本当に奇跡なんだと思わされる。降り注ぐようになんとなく享受しているこの日々も、Hey!Say!JUMPたちが、”アイドルHey!Say!JUMP”を愛し続けてくれている奇跡によって作り出されているのだ。
15周年目を迎えるタイミングでこの歌詞でくるのは、表向きの世界体操のテーマソングで振り付けや覚えやすい明るいエールソングとは打って変わってファンにとっては少しセンチメンタルに感じるのではないかと思う。
しかし、15年を経てもあえて簡単で綺麗な言葉たちで夢や希望を歌ってくれる事によって、簡単な言葉だからこその言葉の重みが増し、JUMP達ならまだまだ我々を春夏秋冬JUMP色に染めてくれるのではないかと思わせてくれる。永遠では無いかも知れない、でもHey!Say!JUMPが奇跡を起こしてくれている間はこの奇跡を大切にしていこうと強く感じたし、メンバーは知念くんが長く一緒にいたいと口に出している間は一緒にいてくれるのではと思っている(オチ)


ここまで読んでくれた方がもしいたら殴り書きで読みづらかったと思います!!すみません!!!
辻村さんがここまで考えたかわからないしファンゆえの拡大解釈であることは間違いないです、でも私の今までのアイドル観と曲とタイミングで感情が溢れ出してこんなに書いてしまいました…ただアイドルという文化が好きなJUMPド新規の独り言でした!


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