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世界は言葉で出来ている

はじめに

 3年生が卒業して、あっという間に1週間が経った。今年は3年生の授業しか担当していなかったので、今はもう授業はないし、クラスでの活動もないので、なにかハプニングが起きたり、考えさせられたりする場面はとても少なくなる。だから、記事にするような内容が生まれないので困ったもんだ。そこでちょっと気合いを入れて、これまで目を背けていたリクエスト記事にチャレンジしようと思う。そう、「言語論的転回」についてです。たまには国語の先生っぽいことしてみます。

言語論的転回

 今日は国語の世界のめちゃくちゃ大切な考え方、「言語論的転回」について、解説していこうと思う。そしてだからこそ、言葉をどう扱うべきなのかというところにまで言及していこうと思います。出来るだけシンプルに、そして例え話なんかしながら説明してみようかなぁ。
 みんなは言葉がどうやって出来たか考えてみたことはある?人間は様々な技術で多くのものを発明してきた。そして、どんどん生活を便利にしてきた結果が今である。そしてその「技術」の多くは、「なぜそれが出来たか」を順を追って説明することが出来る
 ここで少し話を変えて、「言葉」というものの成り立ちについて考えてみよう。「言葉」は3つの要素で出来ている。1つ目は「実体」。それが実際に存在するということです。机という言葉には、その言葉が指すものが存在する。抽象概念、例えば「幸せ」なんていう言葉は実体がないように思うけど、それが指す場面や感覚が存在しているので、これは「実体」があると考える。2つ目は「記号」。これはその言葉を指す「文字」「」が存在するという意味だね。話している音や書かれている文字がまさにそれに当たる。これがないと、言葉の重要な役割である「伝える」も実行できなくなる。そして3つ目が「意味」。その言葉が何を意味するのかという「定義」がなくてはいけない。この中のどれか1つでも欠けてしまうと、それは言葉として成立しなくなる
 では、最初の話と繋げてみよう。我々人間は言葉を、自分を表現する「道具」的に捉えている。他の技術と同様に、人間が進化していく過程で生み出したものだと思い込んでいる。そうだとすると、言葉が「どうやって出来たか」を説明できるはずだ。ここでポイントとなるのは「言葉」が出来る前には「言葉」がないということだ。何を当たり前のことを言っているんだ?と思うかも知れないけどここが最大のポイント。「言葉」がなくても、「実体」は勝手に存在する。酸素という言葉が出来る前から、酸素そのものは存在していたし、地面も空もあった。そして「記号」はあとから作ることが出来そうだ。一番問題になるのは「意味」。我々がわからない言葉にであったときには、おそらく辞書で引く。そうすると言葉の説明が言葉で書いてある。でも1つ目の言葉が出来るときにはそれを定義する言葉が存在しない。つまりそれを決めたり、共有することが不可能であるということを意味する。この部分を説明することが出来ないのが言葉の不思議である。「意味の決まり方」がどうやってもわからないのだ。このように手詰まりしたところで、言葉の世界では「人間が言葉を作った」という考え方を捨てた。そしてぐるっと向きを変え、「言葉が先にあった」「言葉は神である」と考えるようになった。これが「言語論的転回」です。この場合のというのは宗教的ものではなく、人知を超えた説明のつかないものを便宜的に神としているんだけどね。どう?何となく理解できた?
 小難しい話はここまでにして、「だから何?」というところを軽く書いておく。我々は言葉を使って生きている。何かを伝えるときも、何かを考えるときも、何かを感じるときも。言葉が全ての「認識」を司っている。そして人間にとっては、認識したものだけが「事実」であり「世界」だ。シンプルにまとめるなら、「言葉がオレだ」ということになる。言葉を大事にしないことは、自分を大事にしないこと。言葉を軽視することは、自分を軽視すること。
 オレがこの考え方を知ったのは、大学生になってからだった。なんだか損したような気分になった。もっと早く知りたいと思った。だからオレはなんとかこの難しい話を中学生に伝えている。完全に理解できなくてもいい。何となく言葉が大事なことが伝われば、それでもいい。やっぱり国語って面白いなと記事を書きながら再確認しました。

今日の名言

やるかやめるか。
それで言えば、やめるのは一番簡単な決断だ。
難しいからやめよう。不安だからやめよう。
そうしていればたしかにリスクは回避できるかもしれない。
でも、決して前には進めない。

By 栗山 英樹(野球監督)

 今日はWBCの真っ最中の侍ジャパン監督、栗山さんの言葉をもってきました。この一年発信活動を続けてきて、正直何度もやめたくなったけど、なんとかやりきった自分を重ねて、ちょっと誇らしく思いました。やめるのは簡単に出来るから、まずは続けてみる。それくらいの感覚でも続けていると見えてくるものがあるもんね。みんなも迷っていることがあったら、もう少し続けてみようか。

今日のTikTok


おわりに

 今日は内容が専門的だったこともあり、なかなかヘビーな記事になってしまいました。ここまで読みきることが出来たあなた!それは素晴らしいことです。自信をもっていいよ(笑)4月で新年度が始まるまでは、テーマに困り続けるだろうから、なにか書いてほしいことあれば、いつでもコメントなんかで教えてね。

それでは、今日も一緒にいい日にしよう。

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