見出し画像

ニシエヒガシエ

まず、今も日々戦ってる医療従事者の方々や、その他インフラに関わる皆さんがいて、日本の治安が成り立ってる事に感謝します。
想像力が足りないので一括りにします。とにかく感謝します。

日本は今、大きな転機にいる。


政府は、すごく大きな判断を迫られている。

あなたは、今どうだろうか。
今あなたは、どこで何をしているのだろうか。

僕は今、2020年4月の最終日の夜、こうしてデスクに向かっている。

どうやら、すごい時代を生きているらしい。
いや、すごい時代だと思い込んでいるだけなのかもしれない。
それが分からないくらい混乱してしまっている。

ここのところの僕は、超が付くほど自由な時を過ごしている。
とにかく家にいて、YouTubeをアップし、読書をし、Amazon Primeで観ていなかったアニメや映画にも手を出した。
新しい事にも取り組んではいるが、その集中力にも限度があり、それ以上に時間を持て余している。

自由とは時に残酷で、吸収力も高く、インプットの脳のキャパも空いているため、たくさんの情報を取得できる。取得できてしまう。
それは何とも残酷な事だと感じている。

Twitterは日に日に苛立ちを見せ、YouTubeはネガティブな情報に溢れ、自宅にいるのに居場所がなくなるような錯覚さえ起こしている。

人間を諦めたくなった。

僕は、知らぬ間に人間に大いに期待をしていた。
そもそも期待すること自体が間違いなのだ。
いや、それ自体は間違っていないのかもしれない。
とにかく、この思考する生物が苦手になってしまいそうだ。

もちろん、自分も含めてだ。

どこかで掛け違ったボタンは、はずして付け替えればいいと思っていたが、そもそもジャケット自体が左右で違っていて、そんなもの合うはずもないのだ。

また君の中の常識が揺らいでる
知らなきゃよかったって思う事ばっかり
そしていつしか慣れるんだ
当たり前のもんとして受け入れるんだ

桜井さんが『ニシエヒガシエ』を作詞したのは何歳の時だったのだろう。
現在は、人生における感情の揺らめきのとある分岐点に過ぎないのだろうか。

思えば、登り下りの多い人生だ。
こんなの慣れっこじゃないか。

そのはずなのに。
僕の中の常識は揺らいでしまっている。

この記事は何年後かにでも、インターネット上で確認できるのだろうか。
その時に、この記事は僕に何を伝えるのだろう。

~拝啓 何年後かの僕へ~

お前がこれを読んでいるという事は、今もお前は生きているという事だ。
ひとまずおめでとう。
そして、この時代のこの感情はきっと忘れてないはずだ。

それとも、まったく記憶に残ってないのか?
少なくとも「今の俺」には非常に息苦しい時代だ。
ふざけんなって思ってるよ。
その事は伝えておきたい。
人間が嫌いになりそうだ。

今のお前は人間が好きか?
人を好きになれてるといいな。

敬具


見届けてやろうと思う。
人間の過程を。

We need Social Distance


この執筆活動が、僕の知らない誰かの人生のお役に立てたら、これほど嬉しいことはないなぁ。 そう思いながら、PCに向かっています。 応援していただけたらありがたいですm(__)m