KCCT在学7年間の振り返り・反省


このページは『誰が書くねん Advent Calendar 2022』の22日目の記事です。

こんにちは|こんばんは|おはようございます|はじめまして!水晶発振器です。小餅氏主催のAdventarに記事を書くのは今年が初めてです。対戦よろしくお願いします。

まずは自己紹介

KCCTの電子科から専攻科に行き,現在KCCTの専攻科2年です。無事大学院に合格し,専攻科卒業後の進路も決まって後は特別研究論文を書いて卒業するだけのところまで来ました。KCCT卒業記念(暫定)ということで,この記事で本科5年+専攻科2年の7年間を振り返りたいと思います。

れっつらごー

2016.04~2017.03(D1)

4月~5月

電子計算機部に入部。中学校まではプログラミングはおろか自分のPCすら持っていなかったので,ここで初めてプログラミングを学ぶ。AOJの問題を解いたりしながらC++の勉強をしてた。

8月ごろ

部活動の一環でパソコン甲子園予選に参加。電算部は毎年全員参加することになってた(3年生まで)。今もそうなってるのかな?ちなみにチーム名は「いのりちゃんの農奴専」でした。

9月末

某ふぇの〇に触発されてFGOを始める。ストーリーが面白くてハマったのでここから主にアニメや映画のTYPE-MOON作品を見るようになる。ちなみにFGOを始めてからログイン日数は途切れてない(自慢)。

通算ログインと連続ログインが一緒

10月ごろ

このころ初めて自分のPCを買ってもらう。ただ中途半端なゲーミングPCにしてしまったのが失敗だったかも。まあデスクトップPCと持ち運ぶ用のノートPCを買うまでの繋ぎにはなったから結果オーライかな?結局デスクトップとノートの2台編成が最強なんすよねー

高専祭

電算部の部展示の膝枕VRが好評だった記憶。展示してたのはアバターに膝枕してもらうVRだったけど,これにプラスしてアバターに膝枕されるVRを作れば,お互いにしあわせになれる計画が出たものの結局実現には至らず。2日目は部長が日々の疲れからか大寝坊をかましてしまい,15時くらいに謝罪メールが来た。休日と夜勤のダブルブーストをかけてバイトしてたみたいなことを言ってた気がする(うろ覚え)。

部長…

3月

電子科の人と一緒に7days to dieをやる。春休みはずっとこれで遊んでなかったか?某く〇っぺが数万ピンで火星からプレイしてたのは記憶に新しい

1人だけPINGの値がおかしいやつがいるな…

このとき初めてやったFPSは攻殻機動隊S.A.C. Ghost In The Shellでした。サービス終了しちゃったね。

懐かしすぎんか?

2017.04~2018.03(D2)

4月

春の学年学科行事は京都。このとき撮った写真を見返すと某ミッ〇が全く顔を隠さずに写ってて驚いた。そんな時代もあったのか

この日は天気が悪く雨が降っていた

6月

無料配布されていたCo-op FPS PAYDAY2を始める。銀行強盗は楽しい!毎日が給料日!今もアップデート続いててDLCも増えてるけど最近全然やってないなー。セール来ないのが悪い

7月

電子科の人に誘われてRainbow Six Siege を始める。なんだかんだ言って誘ってくれた人がVALORANTやらOWやらAPEXやら他のFPSをやるようになっても一人だけずっとシージやってるので結構気に入ってると思います。ちなみに誘ってくれた人を含め高専のリア友でシージをやってる人は誰一人としていなくなりました。おかしいな…
ちなみにいつでもシージのお誘い待ってます(届かない願い)

10月

秋の学年学科行事は三宮周辺でした。最後の集合時間を間違えてしまい,電話がかかってくるまで悠長にコーナンで土を物色していた。

高専祭

チコリータ

3月末

春休み,同じクラスの人と青春18きっぷを使って佐世保まで行く。ギリギリ神戸から1日で行ける範囲なんですよね。結構面白かったけど今思い返すとアホなことしたなーって感じ

佐世保バーガー。おいしかった

2018.04~2019.03(D3)

4月

せっかく新しいコースができたし…ということで成長産業技術者教育プログラムで医療分野を選択。思い返せば今の研究の分野も医療よりになっているので割と重要な選択だったかな?

8月ごろ

父上から養育費の支払いを拒否される。いきなりなんやねんと思って父上の実家に行って話を聞いたところ,このころ父上は再婚を考えていたらしい。父上曰く「再婚相手とその家族に金を使うから自分たちに使う金はない」かららしい。待て待て待て。再婚は勝手にやってもらって構わんが「再婚して金足らんから養育費払えませーん」は通らないでしょう。この時点で何を言ってるんだと思ったが,極めつけは父方のおばあちゃん(父上のお母さん)が「さんざん父上に面倒見てもらったんだからそれくらい我慢しろ,金がないならバイトをやれ」的なことを言ってくるんですよね。これらの話を聞いて疑問に思った点は

  • そもそも養育費で毎月金が減ることになったのは自業自得である

父上の暴力が原因で離婚しているため,毎月養育費を払わなければいけないのは全て父上のせいである。というか,自分が子供を作ったんだからその程度の責任ぐらい取るべきじゃない?これはお前が始めた物語だろ。面倒見る気もない,金を使ってあげたくもないならば最初から子供など作るべきではなかった。

  • 養育費払いながらでも再婚して普通に生活できるくね?

金がないアピールをしたかったのか,聞いてもないのに父上が月収の手取りを公開してきましたが,個人的には金額的に養育費を払いながらでも余裕で生活できる額だと思いました。なぜこのような意味が分からない弁明をしたかですが,再婚相手に問題があったからではと推測しています。実はこの夏休みに父上・再婚相手・再婚相手の子供(2人)・再婚相手の父親・自分でBBQをさせられたのですが,その時の会話で再婚相手が職を探している的なことを言っていたのです。恐らくですが,再婚相手は子供・父親を養わなければいけない立場であるにも関わらず無職であり,父上の収入を当てにしていたと考えられます。働かない再婚相手とその家族を養うことを考えると,あの手取り金額で金がないと言った父上の発言にも合点がいきます。父上としてはこのとき既に
再婚相手とその家族 > 実の子供
だった訳ですね。非常に残念ですがこの夏休みを機に父上の家族とは関わらないことを決めます。父方のおばあちゃんの感じを見るに,このままいくと逆に金をたかられそうだしね。これ以降父上とは全く合わず連絡も取り合わないようになります。父上今までありがとう。そしてさようなら

9月

デスクトップPCを買う。実験レポートなどなどの生産性が爆発的に上がった。ノートPCの小さい画面はやりにくい。このとき買ったデスクトップPCをずっと使っているので,ぼちぼちグラボとかを買い替えたいなー。でも最近半導体不足で値段が高いので全然買い替えが進んでない。

10月

父上からの養育費がなくなって金がない!ということで同じクラスの人に誘われたバイトを始める。ホテルの結婚式や宴会で料理を出したりするバイトだった。実はバイトの内容は結構肉体労働で,誘ってくれた人はすぐに辞めました。時給はいいし,最初の研修もちゃんとしてるのでブラックバイトではない(個人的見解)。

高専祭

ポッチャマ

1月

運良くチケットが当選し,大阪インテックスのFGO冬まつりに行く。一緒に行ったセラコンくんはインフル貰って帰ってきた。

狂気の具現化

3月

再び同じクラスの人と青春18きっぷを使って佐世保まで行く。今回は行きは出雲大社,帰りは呉を経由して2日かけて行き帰りするルートで行った。楽しかったけど呉の大和ミュージアムが休館日で行けなかったのが心残り。次の年からは例のウイルスによってみんなで泊まりで旅行することが難しくなってしまったので,みんなで泊まりで遊びに行っといてよかったかも。

出雲大社の鳥居

2019.04~2020.03(D4)

4月

春の学年学科行事は三菱電機ビルテクノサービス株式会社とカップヌードルミュージアムだった。企業見学(工場見学?)で入った-30℃の冷房室がめっちゃ寒かった覚えがある。カップヌードルミュージアムではオリジナルのカップヌードルを作ったりして楽しかった。

カップヌードルミュージアム近くにある一風堂 池田店限定メニューの百福元味

8月

インターン。1週間あったけどほとんど業務内容の見学だった。見学の他には,精算機や改札機のオーバーホール作業の実習をやらせてもらった。同学年の他高専の人と仲良くなったので1週間ずっと楽しかった。自分がインターンで行った会社に某と〇いちゃんが就職したのはまた別の話。なんかとわとわしてきたな…

10月

秋の学年学科行事はBBQ。毎年D3,D4,D5の3学年でやってたらしいけど去年は雨で中止になったので,自分たちの学年はこの年しかBBQできませんでした。D5の先輩が精肉店から肉を持ってきてくれて,とてもおいしかった思い出。自分はトングを使わず軍手でグリルの番人をした結果,腕毛が燃えて短くなりました。

10~11月

ホテルのバイトをやめ,塾講師のバイトを始める。ちなみに今も同じ塾でバイトしてます。ホテルのバイトしんどかったけど,デスクトップPC買った分のお金は稼いだので良かったかな。あとテーブルマナーとかは普通に勉強になった。次の年から例のウイルスが流行り出すので,このタイミングでバイト変えたのはファインプレーだったかなー。

高専祭

電算部のメンバーと一緒に曲(DTM)を作ってCDを頒布したり,コスプレしたり,この年の高専祭が一番エンジョイしてたんじゃないかな?(次の年からは例のウイルスで高専祭の規模が小さくなったからね…)

←水晶発振器 ペストマスクのお兄さん→

12月

修学旅行。屋久島・種子島に行った。屋久島の縄文杉を見たり,種子島宇宙センターを観光したり結構楽しかった。縄文杉を見に行くトレッキングの途中でデジカメ君が息を引き取ってしまい,デジカメで写真を残せなかったのがとても残念だった。

トレッキング中に遭遇したおさるさん。この写真を撮った直後にデジカメが逝く

2月ごろ

何を思ったかこのタイミングで写真部に入部する。ちなみに一眼レフとか持ってるカメラガチ勢ではないです。このころの学生会館2Fはタコ飯の炊き出ししてたり,キックボードとパイプ椅子が合体した留年号が廊下を走っていたりで楽しかった。

3月

壊れたデジカメの代わりに新しいデジカメを購入する。壊れたカメラはOLYMPUS STYLUS SH-2で,高専入学祝いで親戚からのプレゼントでした。買ったカメラはその後継機?のSH-3。SH-3くんは広角はダメだけどズームは結構強いので,広角撮影はスマホに任せると割り切って使ってます。

デジカメだけのズームでここまでいける

2020.04~2021.03(D5)

4月~

例のウイルスが襲来。前期は全部オンライン授業になった。このころは同じクラスの人とずっとモンハンワールドやってたな。オンライン授業だったので授業中にもやってる猛者もいた。

6月

専攻科に合格し,卒業後の進路を決める。この年は例のウイルスで専攻科推薦入試は面接がなくなり,TOEICのスコアも学内の英語の成績に置き換えになった結果,願書を出すだけで合格するという超絶イージーモードだった。

10月

プロセカをやり始める。プロセカはストーリーが結構面白くてハマりました。なんかこれFGOの時も言ってたな。我々はストーリーを読むついでにソシャゲで遊んでいる。

高専祭

例のウイルスのおかげで,この年はスポーツ大会と合体したバージョンになった。みんなでコスプレしたり,動画を撮って学生会に送る形式だったステージ部門で(自分たちしか動画を出してなかったので実質)優勝したりいい思い出にはなった。ちなみにこの結果ひじきが前人未到のステージ部門5連覇を達成した。

高専祭のコスプレ
コスプレしたままスポーツ大会のソフトテニスに出る羽目に

3月

本科卒業。専攻科に行くのでまだ少し高専生活は続きます。

2021.04~2022.03(AE1)

4月

専攻科入学。春の学年学科行事は新神戸駅から再度公園まで登山をした。久しぶりに登山して楽しかった。ちなみに学科行事終わった直後に例のウイルスのせいでまたオンライン授業に戻ることになる。

昼食はここで食べました

8月

初学会発表(FIT2021)。オンライン発表だったのでそんなに緊張しなかった。医用画像処理の分野で集まって発表をしてたけど,座長の人が専門外だったようでそこまで厳しい質問は飛んでこなかった。どちらかというと学校内の特別研究発表の方がきつい質問される気がする。

9月

セラコンくんに触発されて二輪の免許を取りに自動車学校へ通い出す。ちなみにこのころ同じ研究室の先輩がバイクで事故にあい休学,セラコン君も追突されてバイクが廃車になるなどこの時点で不穏な空気が漂い始める。

10月

初国際学会(IEEE NSS MIC 2021)。横浜で開催される予定だったけど,例のウイルスのせいでオンライン開催になってしまった。オンラインでしかもポスター発表だったので,真夜中にzoomに入って虚無の時間を過ごすだけだった。Conference Record(CR)が発表者用にダウンロードできるようになるはずなのに,未だに連絡が来なくて困っているので,発表学会のヘッダーがついたCRの入手方法について詳しい人がいたら教えてください。

2月

無事免許を取得する。正直最後の試験は結構自信なかったけど受かっていてマジで助かった。

3月

特別研究Ⅰ最終発表で主にProf.MNMにボコられる。まあこの時はあまりいい結果が出せていなかったので仕方なかった部分はある。特別研究Ⅱの最終発表はボコられないようにしたいねー。
あとは春休みにバイクを買いました。おバイクたのしい。GIXXERくんは単気筒なので燃費はすこぶるいいのですが,単気筒ゆえに高回転域ではめちゃくちゃ揺れて尻が死ぬので高速道路は不向き。

買ったバイク。GIXXER SF 250 (2022年式)

2022.04~(AE2)

4月

春の学年学科行事はまたもや登山。新長田から高取山までだったので去年ほどしんどくはなかった。

晴れてたらもっと遠くまで見えたかも

7月

大学院入試。推薦をもらえるかどうか不安だったけどすごく軽い感じで推薦書を書いてくれた。Prof.KYには頭が上がりません。研究室のボスが副校長になって忙しくなったこともあり,入試当日まで面接練習をせずにぶっつけ本番で挑む。この時の自分は「どうせ喋ることなんて研究発表の時とあんま変わらんやろwww」ぐらいのノリでした。面接本番は自分の日本語力が足りないせいで面接官の質問の意図を汲み取れず,面接官の質問→自分が回答→そういうことを聞いてるんじゃなくて~→すみません,○○は…です~というやり取りを2回くらい繰り返してしまう。正直オワタと思ってたけど結果は合格でした。推薦はよっぽど変なことを喋らない限り全員取ってくれる感じだったっぽい。進路決まってよかった。

筑波大学大学院に合格しました

8月

学会発表(FIT2022)。これもオンライン。発表スライドを見直してたら結果がおかしいことに気づき,発表直前でプログラムを修正してスライドを作り直す羽目に。ギリ間に合ったので良かった。

10月

今年は秋の学年学科行事があり,明石海峡大橋と神戸市下水道施設(西部処理場)を見学した(前年は秋の学年学科行事はなし)。普段は入れない,明石海峡大橋の管理通路を歩いて橋脚を見学したので,なかなか面白かった。

明石海峡大橋の管理通路。スリル満点

現在

結局例のウイルスにはかからずに今日まで生きてます。つくば行くまでにワクチン4回目打っとかないとな。今は論文を書かないとなーの気持ち。結果を出せていないわけではないので,出てきた結果をどうまとめるか,どう考察するかが悩みどころ。去年ほど絶望的な状況ではないかな。

反省

  • 課外活動をもっとやっておくべきだった

電算部のプロコンとか,CRPとかの課外活動とか。普通に本科を卒業しただけのおじさんになってしまった

  • 発表した学会が全部オンラインだった

これは例のウイルスの流行があって多少は仕方がない部分はあるけど,せっかく専攻科に入ったのに対面での学会発表の経験を積めなかったのは残念。大学院でしごかれることになるでしょう。

総括

自分が中学校から高専に進学した理由は,イジメとかもあって中学校が死ぬほどつまらなかったことにあります。この流れで同じような普通の高校に行くと絶対不登校になると水晶発振器少年が考えたんですね。自分はイジメられてないしイジメにも加担してなかったけど。なんで高専を選んだのは割といい選択だったんじゃないかなーと思ってます。母子家庭なので学費が安く済んだ点も良かった。高専にいた7年間はまあまあ楽しく過ごせたんじゃないかなと思ってます。小学校にいた6年間よりも1年長いはずなのに,7年間って一瞬ですね。もうすぐ専攻科も終わりとか信じられないよー(現実逃避)。

What's next?

来年度から7年間通った高専を離れ大学院に行き,一人暮らしになるので自分の周囲の環境が大きく変化します。大学院生活に関しては新しい生活への期待が半分,不安が半分といったところですかね。例のウイルスで実際に大学に行って研究室見学ができなかったので,大学院の研究室に馴染めずに死ぬ可能性が結構あると思ってます。どうなるかなー
来年からつくば在住なので,関東圏の方がいたら仲良くしてください。

後は大学院入った後の進路を決めないといけない問題もあります。今のところ「働きたくない」という理由で就職活動から逃げるように進学してきたので,そろそろ逃走ルートに限界が見えてきた。やべ。Doctorに行くかどうかは金がないという問題があるので,奨学金で学費を引っ張ってこれるかと研究室の相性次第な気がしてます。

以上,水晶発振器の7年間のまとめでした。ここまで読んでくれた人はかなりの物好きでしょう。次回,「水晶発振器in大学院編」にご期待ください。
それでは!



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