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人生の転機

数年前。長年にわたる配偶者からのDV(暴力・経済・性的・精神的)で元々低い自己肯定感は、リーマンショックの日経平均なんて目じゃ無いほど落ち込み、「自分は人間じゃ無い」「死んだら死体処理で迷惑がかかるから消えたい」そこまで追い詰められていました。

振り返ればあれは運命の出会い

別に朝食に食べ損ねたパンを咥えて出会い頭にイケメンにあったとか、王子様が迎えにきてくれたとか、そんなんじゃなく。
ごく普通に、同じ漫画を好きだったら、Twitterでフォローしたのがきっかけ。フォロワー8000人を超えるインフルエンサー。居ても価値がなく、いなくなっても迷惑をかける自分には眩しくて、認知して欲しい。そんな下心でオフ会やら、作業通話にお邪魔しました。

「それは間違ってない」

とはいえ、DVに遭遇した人に結構共通していると思うんですが、洗脳状態にあると、自分の境遇のことを過小評価、矮小化してしまいます。
「自分にも悪いところがある」「人に話して笑われたらどうしよう」と他人には話せない。
「老齢の親を心配させたく無い」「未婚の兄弟の(結婚への)イメージを悪くしたく無い」と親族にも話せません。
「そんなのみんな我慢してる」「そんなの暴力とは言えない」と否定されるのが怖くて警察や福祉にも繋がれません。
SNSでうまくそう言った境遇の人と繋がれれば客観視できるのですが、調べようという気にもならない。なぜか「自分も悪いところがあるから」です。私はよくわからない「しんどさをどうにかしたい!」と色々試しました。配偶者にはなにをしても、ことごとく否定・批判・批評されましたが、なんとか動けてたのが功を奏したんだと思います。
ずっと、もうずっと誰にも言い出せませんでした。
お前が未熟だからだ、お前が我慢しないからだ、お前がわがままだからだ、おまえが要求が多すぎるからだ……。
呪いの言葉が後から後から自分を責めてきて、自縄自縛に陥っていました。
そんな時、ぽろっとその人に言ったんです。
「私は人の心が分からないから」
そしたらその人は簡単に言ったんです。
「それは間違ったことじゃ無い。おかしなことじゃ無い」
自分の認知がおかしいかも知れない。世間の常識・世の中の普遍の真理。そう言って私を貶めていた配偶者の言葉に疑問を持ったきっかけでした。

あの鐘を鳴らすのはあなたじゃない

人はいろんな感じ方をします。純粋な思いで褒めても嫌味ととったり、嫌味を言ったつもりが全く響いていなかったり。
だから、福祉からは寄ってきてくれません。自分から助けを求めなければ何もしてくれません。自分は困っている!自分は苦しい!自分から発信しなければ、誰にも気づいてもらえません。
その人の言葉をきっかけに、私は身の上を少しずつ話すようになりました。
その度に「それはおかしくない」「間違っていない」と、ぐしゃぐしゃに潰れてしまい自分の言葉に自信が持てなかった私に、1滴ずつ水を落としてくれました。
もちろん、イエスマンでは無いので間違ったことは間違っていると、ちゃんと指摘もしてくれました。だからこの人なら信頼できる。そう思えたのも良かったんだと思います。
最初のきっかけから丸三年。
別居してから丸一年。
いまだに私は後遺症に苛まれています。
でも、あの時きっかけをくれたから、毎日否定されない。いきなり怒鳴られない。玄関の鍵が開く音に怯えなくていい。
そんな幸せな、でも当たり前な毎日を送ることができています。

一生かけても返しきれない感謝を胸に、少しずつ少しずつ、私は私を取り戻していきたいと思います。

#一人じゃ気づけなかったこと

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