言葉のフシギ

最近 言葉を濁してもいい事はないんだなぁ、と思った。

何と言うか、言葉を濁しても、生まれるのは誤解だけなのかな?と言うか。

例えば、「~けど」と言う言葉。

「午後二時でいいかな?」と言う投げかけに対して、「うん、いいけど」と言う返答。

けど…何?

結局、いいの?悪いの?それとも別案があるの?そんな感じになって仕方がない。

それはもしかしたら気遣いなのかも知れないけれど、でも、結局よく分からない。

気持ちは分かる。言葉は何でも、はっきり言うと是でも非でも、同じだけハッキリした感情が帰ってくるし、傷つける可能性も生まれるのだろう、と考えてしまうものじゃないかと思う。

と、同じく、自分が傷つく可能性も生まれるのだろう。

なら濁した方がいいと思う、或いは、無意識か知らないけど、思わず濁してしまう事もあるんだと思う。

けど、そうしても、その場はいいのだろうけど、そうして微妙に積もった誤解やすれ違い、わだかまりとかが、いつか決定的に関係を壊す要素を作る事もあるんじゃないかな?と思う。

僕は別に争うべきだ…とは思わないけど、でも、人間そえぞれ考えを持っているのだし、争うっちゃうとき、争うべきときと言うのもあると思う。変な言い方、喧嘩する程仲がいい、と言うのは、つまり、お互い本音で、真剣にぶつかっていってるからなのだと思うし。少なくとも、僕は子供の頃から弟とはそんな感じだった気がするし、今親友と呼べるであろう人や、販売所の仲間たちとは、そんな感じだと思う。まぁ、相性もあるとは思うけど。

何度も何度も言い争ったし、お互い無視する程亀裂が入ったこともあった。

でも、そうしてお互いに絆が出来た気がする。相手がどう思ってるかはしらないが。

ずれたが、僕はもう少しはっきり言った方が言いと思う。

それはきっと、言葉を表現と言い換えたとき、絵でも詩でも何でも同じなのかな、と思う。

気をつけなきゃなぁ~。



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