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ミラクル道東紀行 2日目

360度写真が撮れるカメラRICOH「THETA SC2」(シータ)と、見た目は一眼レフ型のデジタルカメラCANON「COOLPIX B700」、そしてスマホのカメラ。この3台のカメラで撮影した写真を交えて、今回沢山のミラクルに遭遇した道東の旅の2日目をここに綴りました。

旅の行く先を左右する通行止め

遠足の前の日はなかなか熟睡出来ないもの。すでに旅の途中なのに、そんな感じで5時半には目が覚めてしまう理由は分かっていた。心配事の知床横断道路の通行止めが解除されるか否かだ。10月末をもって知床半島の観光シーズンはオフとなる。5社ある知床半島を海から満喫する観光船も4社は営業を終え、もう一つの会社も予約人数や天候により11月半ばまで運行を終了する。お天気は良いものの予約人数の関係か、既にこの日の午前便の運休は発表されていた。知床五湖までの道路も、知床横断道路と同様にこの日の11月8日が最終日だ。
通行止めが解除されれば、知床半島を横断し羅臼峠からの雄大な眺め、羅臼国後展望塔から北方領土の国後島を望み、羅臼昆布で有名な羅臼や標津で生筋子を入手したり、いくらを加工する作業所を見学させてもらえたらと思う午前中のルートだ。
一方通行止めならば少々遠回りだが来た道を戻り、前日暗くて見学出来なかったオシンコシンの滝を見て斜里まで戻り、天に続く道を眺め、国道244号線で標津へ向うルートだ。

窓を開けると私達の部屋からの眺めはウトロ港の東側を見下ろす景色。すでに港では漁師の方々が作業を始めていた。

朝食までの時間、朝風呂を楽しむことにする。夜、朝と男女入れ替わった大浴場からの眺めに暫し目を奪われた。ウトロ港の左側にはウトロ崎とオンコロ岩が見え、右手には知床半島の雄大な雪を被った知床硫黄山が望めた。外気の気温は0度。それでも露天風呂の温かさは外気に負けず、とっても気持ちが良かった。

写真はホテルのホームページより

部屋に戻り、スマホで情報を探る。羅臼峠のライブカメラを見てみると、駐車場には薄っすら雪が積もっている。ウトロ港で0度ならば峠道は凍結しているに違いない。ホテルのフロントに聞くと、観光協会を通して発表される通行止めか否かの連絡がホテルに入るのは9時だと。それまで待てず8時になり、管轄する国土交通省の開発局に電話を入れるとやはり通行止めは解除されず、春まで知床横断道路は通行止めとなると言うことだ。一旦斜里に戻ろう。長いドライブになりそうだ。その前に腹ごしらえだ。
前日同様ブッフェの朝食。夕食もそうだが、海の幸山の幸を堪能。いくら醤油漬けもあった。

オンコロ岩から2日目の観光スタート

ホテルを出てすぐ近くのオンコロ岩へ向う。ここには森繁久彌氏の「知床旅情」の歌碑が立つ。父が「千曲川」と並んで大好きだった歌だ。私自身、この旅が決まり、この日まで脳内で何度歌ったことか。そしてこの快晴を願っていた。

オシンコシンの滝

オンコロ岩から車で15分くらいだったかオシンコシンの滝の駐車場に到着。流石にシーズンオフだ。誰もいない。滝へは階段を登りですぐ到着。朝からマイナスイオンを浴びる。海の眺めもいい。

ん?そうだ!そうだよ!

知床半島に来たならばここを見逃してはならないと知床半島自身が通行止めにして私を導いたのだ。これから行く天に続く道だってそうだ。そう理解した。遠回りさせられてるだけではないのだ。

天に続く道

昨日来た道を更に斜里まで戻る。途中左に曲がり海岸線とはお別れする。雄大な平原、山々。右手には大雪山連峰も見てとれる。真っ直ぐに丘の上まで続く道。丘の上に上がる少し前に息子に来た道を振り返させる。「おおっ!」と言う息子に「スゴイね。でも見せたいのはこの道ではないんだ。上がりきった所で右手を見てごらん」
たどり着いた場所には左手に駐車場がある。車を停め、表示のある台に登りパシャリ。

そして360写真は、登ってきた海へと続く道と両方楽しめる。グリグリ動かして欲しい。

標津町の楽しいヒ・ミ・ツ

標津町を訪れる目的は鮭。生筋子にまみれたい。いやまみれちゃダメだ。自分の店に来るお客さんにまみれさせたいためにここへ来たのだ。朝ホテルを旅立つ前にお土産用の昆布を販売する男性に話を聞いていた。生筋子を探すのなら羅臼ではなく標津町だと。通行止めになった意味はここでも教えられる。「今回の旅は羅臼じゃない」と。今度来る時に羅臼と知床半島の旅はお預けと言う訳なのだろう。知床五湖、カムイワッカ湯の滝、観光船に乗れば車や徒歩ではたどり着けない知床岬やヒクマやクジラにも会えたのかも知れない。

カーナビに、とある場所の大まかの住所を入れ、スマホのグーグルマップでもナビゲーションしてもらうが、息子にナイショにしているこの場所が分からず。目的の交差点から順に4方向に車を走らせてみる。違う、違う、違う。多分助手席の息子は「親父何をしたいんだろ。どこへ行きたいのだろう」そう思ったに違いない。そしてようやくこの交差点までに来た道を戻る4つ目のルートに見つけた!
車をバックさせる。

「これからこの道を60キロで走行するから、窓を開けて動画を撮影してくれ」

・・・ぶ〜ぶ〜ぶぶ〜ぶ ぶぶぶぶ〜♫・・・

路面に特殊加工された部分と車のタイヤの摩擦音でメロディを奏でるメロディーロード。全国に数か所あるようで、ここのメロディは「知床旅情」だ。ちょっと音程がズレたり、間隔が空いたり、尻切れトンボだったりするが聞こえる!聞こえる!そして一緒に歌っちゃいました。

で、録画した動画を確かめてみると・・・

風切り音しか聞こえてこない!動画は大失敗でした。しかも息子はこの歌知らないしね。でも驚いていました。

北方領土国後島と標津サーモン科学館

当時21歳の秋。稚内市、宗谷岬を訪れた時に遠くに樺太・サハリンを望んだ。初めて眺める異国・ロシアであった。私の祖母は当時日本の一部であった樺太に渡り、そして戦後に青森に戻ったと聞いていた。その時、旅に同行していた祖母は、どんな気持ちで樺太を眺めていたのだろう。今となっては聞くことは出来ないが。
そんな気持ちもあって、息子に失われた日本の領土、北方領土を見せたかった。私も見たかった。
晴れ間の広がるオホーツク海側から移動した標津町、根室海峡泊湾。天気も違う。鈍色の空と海の向こうに薄っすらと国後島を望めた。

そしてホテルの土産用昆布屋の店主に教えてもらった標津サーモン科学館へ。今回の目的はここで泳ぐ鮭の姿や幻の魚イトウを見ることではなくて「生筋子」。ここの売店でも手に入るかもと聞かされていたので受付の女性に聞くと、ここでは販売しておらず、標津町の海産物専門のお土産屋さんを案内された。手渡されたパンフレットには加工されたいくらのパッケージが。
「いやいや、そうではないのです。お土産のいくらが欲しいのではなくて生筋子。町民の方々は、ご家庭で食べるための生筋子はどこへ行ってお買いになりますか」
「ああ、ナマコですね。それでしたら隣の中標津町の大きなスーパーマーケットとかに行きますよ」
「ん?ナマコ?いやナマコではないんです。生筋子。ナマコも美味しいですけどね」
「ああ。こちらでは生筋子のことを生子と呼んでいるんですよ」
優しいお姉さん。ありがとう。中標津町にはこれから味噌ラーメンを食べに行くのでついでに寄れます。

訪れたビックハウス中標津店。感動の生筋子もとい生子とご対面。でもやはり北海道でも高かった。100グラム780円。クール便代が赤字になるほど、地元の卸売市場と相場は大きく変わらなかった。

大好きな味噌ラーメン

ネット上の口コミやグーグルマップでの営業時間確認は大変に役立つ。もちろん口コミが全てではなく、人の味覚も同じではない。でもやはり食べ比べが出来ない一発勝負の旅では、ついつい一番評判の良い店を選んでしまう。らー麺たら福。醤油や塩もあるが、やっぱりここは北海道。味噌バターコーンラーメンっしょ!
少し太めの縮れ麺にコクのある味噌と絡まるバターの風味。いやぁ旨い。息子は初めて見る穴開きのスプーンにナニコレ!と。コーンを救うためのスプーンになるほどと。彼には「バター」は余計だったようだ。

次なる目的地は厚岸町。太平洋へと車を走らせる。長い直線道路を進む。今、自分は高速道路を走っているのではないかと錯覚するほどである。とても少ない交通量だ。うっかりしてると80キロ出ていることもある。イケナイイケナイ。こういう観光客が取締に引っかかる訳だ。すると100メートルくらい先をエゾ鹿が横切った。事故を起こす程ではないがビックリした。レンタカー会社でも聞かされていたので、車での移動中はずっと注意していた。

カキえもんとマルえもん

厚岸町に到着。ここに来た理由は牡蠣だ。一年中食べられると言うカキえもんとマルえもん。2つの食べ比べだ。そんな楽しいことを格安でしてくれる道の駅厚岸グルメパーク。ちょっとした小高い丘の上に建つ建物の上には展望台もあり、厚岸町、厚岸湾、厚岸湖が一望出来るスポットだ。ワクワクしながら建物の入口に。なんとそこには定休日の立て看板が。や、やってしまった!
夕暮れ間際の4時。他にはどこかないかと観光協会に電話するも食堂を案内される。試食販売しているお土産屋さんとかは無いと言う。
諦めきれずに周辺の水産会社に問い合わせすると馬場商店と言うお店なら食べさせてくれますよとまさに助け舟を出してくれた。ここに来る前に通過してきた所だ。
あまりにも綺麗な厚岸町の夕暮れ。まさに天から後光がさしていた。

案内された馬場商店。マルえもんの取り扱いはないがカキえもんは4サイズ。Lサイズを剥いてもらう。安い!容器に入ったレモン果汁をかけてパクリ。う、旨い!そして身が大きい。どちらに対しても失礼だが宮城県産や広島県産、島根県産を食べてきた私にとっては厚岸町産はとっても味が濃厚である。濃厚と言えばオーストラリア、ブリスベンで食べた牡蠣も小ぶりながら濃厚であった。
そして盛り付けに目からウロコ。一般的には凹みのある下側の殻に牡蠣の身を残すのだが、ここでは殻の上を逆さにして牡蠣の身を置いてある。不要な水分はお皿に流れるのだ。たまらず更に3個注文。あと10個でもイケる。しかしホテルの夕食も待っているので、後は宅急便で送ってもらい自宅で白ワインと共に味わおう。

タンチョウヅルに会いたかった

今夜のお宿は阿寒湖近くのカムイの湯 ラビスタ阿寒川。渓流沿いに建つホテルだ。本来ここへ向う道の途中でタンチョウ観察センターへ行き、越冬のために来ているタンチョウヅルを写真に収めたかったが、とても日没に間に合わないことが判明。そしてここへ向う釧路市経由の道が2時間40分と最も時間がかかるとカーナビは案内する。最もオススメなのは弟子屈町経由の国道で向うと2時間20分。ホテルへの道道で最短ルートで2時間ちょっと。私はこ最短ルートを選択した。理由は「早くホテルに着きたい」「弟子屈町経由のルートは明日走るので、今朝のように来た道を戻りたくない」そんな理由だった。するとこの地元の方の農道や生活道路であろう道沿い、収穫を終えた畑に二羽のタンチョウヅルを見つけて停車。この道を選んで正解だったと思った。日没前に出会えたのだ。幼い頃見て好きだった「池中玄太80キロ」。池中玄太扮する西田敏行さんはプロのカメラマンで、タンチョウヅルをこよなく愛し、亡くなった奥さんの名前も「鶴子さん」たったと記憶する。私は鶴を眺めながら脳内では劇中にかかる杉田かおるさんの「鳥の詩」が何度も何度もリピートした。

ここから塘路湖沿いの道を通り、カーナビの指示通りのクチョロ原野塘路線に入るも入口には通行止めのゲート閉じている。きっとここからは冬期は厳しい道なのだろう。仕方がなく標茶町経由弟子屈町へ向い、そこから阿寒湖への道のりでホテルへと向かうルートに変更だ。ちょっと前に気づいたガソリンの量。インジケーターは半分を表示している。車乗りの方ならお気づきだろう。ガソリンの残量は表示通りではない。残量が減るほど表示もどんどん早く減っていく。このままホテルに向かうには問題はないが、翌日の観光及び空港までの行程にガソリン残量にビクビクして走らなければならない。もしクチョロ原野塘路線が通行止めになっていなければ、ホテルまでの道のりで給油は出来なかっただろう。カーナビを検索すると、迂回した標茶町にはないが、その先の弟子屈町にはガソリンスタンドがある。ガソリン満タンって心強い。普段の生活ならばガソリン半分って何も思わないけど、ここは北海道なのだ。
後にホテルに到着し、レンタカー会社から渡された地図を見てみると、先程まで走行していたルートに「道幅の狭い危険な道!ナビがルートをつくっても絶対に通行しないこと!」と書かれていて、険しい道であったことが伺える。タンチョウヅルには会え、ガソリンスタンドにも立ち寄れたので私達にはある意味カーナビ様々でもあった。

濃霧そして・・・

弟子屈町から阿寒湖方面へ向う真っ暗な道。快適な直線道路は峠道に変わる。緩やかな登り坂を上がるにつれ霧が出てきた。速度も20キロくらいで慎重に登っていく。私の視界には入らなかったが助手席の息子は2度鹿を捉えた。霧と鹿。歓迎してくれているのだろうか。

カムイの湯 ラビスタ阿寒川に到着

阿寒湖畔に建つホテル街とは離れ、阿寒川沿いに建つ隠れ宿カムイの湯 ラビスタ阿寒川に6時過ぎに到着。霧雨降る夜なので前夜のような星空は拝められない。きっとこんな山奥の宿からは満天の星空が眺められるのだろうなぁとホテルまで徒歩一分の駐車場から空を眺める。ホテルに入ると山小屋風の豪華なロビーがあり、旅行者を迎えてくれる。フロントでのチェックインの際に「8時の夕食のお時間まで、これで空腹をしのいで下さい」と手渡されたミルクパンの気遣いが嬉しい。予約した川側の部屋からは外灯に照らされた渓流が見てとれる。きっと明朝は見惚れてしまう景色だろう。

夕食までの時間をのんびり温泉に浸かって過ごす。よく走った。ウトロから308キロ。高速道路を使わずに一人で走った最長距離だろう。お湯に浸かって腰や肩のコリをほぐす。露天風呂は2つ。岩風呂とひとり用の円形の檜の湯。寒い外気のおかげでず〜と入ってられる気持ちの良さ。部屋で息子は大学の授業をオンラインで受けている。本来なら大学内で受講なのだろうが、このご時世ゆえにオンラインで。オンラインならばどこからでも構わないので休校せずに私と一緒に旅に出られた訳だ。何が幸いするか分からないものだ。
本来なら一人旅の予定。「安い航空運賃で、安くレンタカーを借り、ビジネスホテルに泊まり、周辺の居酒屋で旨いもの旨い酒を飲み観光地を周る」。
ひとりドライブも楽しいが、隣に息子がいて、食や景色の価値観を共有が出来たり、音楽を流してくれたり、写真を撮ってくれたり、カーナビを操作してくれたりととっても助かった。
そしてもう一つの感謝。この晩の宿泊代は妻がプレゼントしてくれた。一人当たり18,500円くらいだったと記憶する。一人旅なら釧路市内のビジネスホテルに宿泊していただろう。そんな事をお湯に浸かりながら思った。

(ホテルのホームページより)

豪華な夕食そして・・・

食堂での私達の席は、川を望む二人がけのテーブルで横並びに座る。ホテルからサービスされた瓶ビールとウーロン茶の心遣いが嬉しい。懐石料理は北海道ならではの食材で目も舌も楽しませてくれる。食堂の入口に展示されていた厚岸ウイスキーは料理長の私物と言う事で味わう事は出来なかったが、北海道の日本酒に梅酒のソーダ割りを食事と一緒に楽しんだ。

部屋に戻り、前日同様北海道の芋焼酎「喜多里」を楽しむ。先程までお腹いっぱいに夕食を堪能したのに、このホテルにはサービスの夜鳴きそばがあるのを楽しまない手はない。本来夕食は5時半からと8時からの2部制で私達は後半の8時に。5時半の食事の方にはうってつけだろう。夜鳴きそばの提供時間は午後8時半から10時半まで。私はギリギリの10時20分に、まだ満腹感の拭えない腹を抱え部屋を出た。
メニューに書かれたようにあっさり味のしょうゆラーメン。この透明感のあるスープはお酒を飲んだ胃袋にも優しい。この他にも湯上り処にアイスキャンディーや牛乳、朝にはソフトカツゲン(雪印メグミルクの北海道限定乳酸菌飲料)も無料で振る舞われている。部屋の冷蔵庫にも北海道限定のリボンシトロンやミネラルウォーターが。料金に含まれているとは言えこんなところにも嬉しい心遣い。

翌日はゆっくりチェックアウト。観光しながら女満別空港までの旅に備えて就寝。前夜とは違い、深い眠りについた。

ミラクル道東紀行3日目に続く

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