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終焉に触れる

11年間くらい一緒だったなぁ

去年の3月、家族や幼馴染の友達の次に長い付き合いだったペットのウサギが死んだ。

今のご時世では考えられないくらいの安価で、ペットショップで見つけたウサギ。(いま、当時の10倍くらいの値段ついてません…?)

赤ちゃんの時から触られるのがとにかく嫌いで、抱っこはまったくさせてくれなかった。かろうじで頭は撫でさせてくれたけど、私が撫でた後は必ず顔の毛づくろいをしていた。

当然懐くということはなく、飼い主の私は1日1回の部屋んぽ(お部屋内を散歩させるというウサギ用語)と、食料と水の交換という最低限のお世話をしつつ、お互い適度な距離を保ちながらの生活。

そんな飼い主との距離感が良かったのか元々丈夫だったのかはわからないけど、ウサギの平均寿命約7年と言われる中、うちのウサギは11年くらい生きた。

その11年間、私の環境はコロコロ変化し、引っ越しも2回。引っ越し業者は当然生き物は運べないので、そのたびにケージを自家用車に乗せて移動し、新しい環境に(強制的に)ついてきてくれた。

最期のときまで…

死因はおそらく老衰。徐々に弱っていくウサギ。

弱ってきて、自分で毛づくろいができなくなって初めて抱っこさせてくれたので、亡くなる1か月前くらいから毎日、抱き上げて膝の上でブラッシングした。毛並みがちょっとでも乱れるとすかさず毛づくろいする子だったので、気になってるだろうなと思ったから。

でもブラッシングの最中絶対膝の上でおしっこをするので、ペットシーツを介しての抱っこだった。おそらくこれは、ウサギの習性である縄張りを主張するためにおしっこを飛ばすスプレー行動。求愛行動という説もあるが、私たちの場合は違うと思う。最後まで警戒されていた。

最期の日

ウサギが死ぬまでの2~3か月は、毎日朝起きた時や仕事から帰った時、ウサギの呼吸確認をするのが日課になっていた。

状態も低空飛行だったある日、娘のクラスが感染症の流行で学級閉鎖になった。

私もその日は急遽仕事を休んで自宅待機することに。

朝、職場に休みの連絡をして、いつもは夜にやっていたケージの掃除とブラッシングを早めにやるか、と無抵抗のウサギを抱き上げた瞬間

さっきまで浅く呼吸していたウサギが明らかに脱力していて

その瞬間、死を悟った。

急いでまだ寝室にいた娘を呼んで

2人で看取った。

普段なら私は仕事、娘は学校にいっている時間で

看取ることができたのは本当に奇跡で

本当にこんなことってあるんだなと不思議だった。

この11年間、希薄な関係ではあったけど、誰よりも近くで私のことを感じてくれていたウサギ。

🐰『この人、仕事中に自分が死んだら落ち込んでしばらく立ち直れないだろうな』と察してくれたんだと思う、たぶん。

ちょっとそこには11年間の絆を感じた。めっちゃ見透かされてた。

私は今までの人生の中の一部を一緒に過ごしたけど、当時10歳の娘は生まれてからずっと一緒だったので(もちろん娘にも懐いてはなかったけど)

しくしく泣いていた。びっくりしたし、悲しかったと思う。
娘が泣いていたので、私はあまり泣かなかった。生きとし生けるものは、いつかは死ぬ。それを見せられたのかなと、つい教育的視点になってしまう。

一緒に悲しんでいいのにね。

お別れの準備

状態が悪くなってから亡くなるまで、結構期間が長かったので

とにかく早く肉体から解放してあげたいなぁと思ったのと

娘と一緒に見送ってあげられるタイミングがその時しかなかったので

亡くなった直後に市がやっているペットの火葬場に連絡して持って行くことにした。

プラスチックやポリエステルの素材は燃やせないので、段ボールに入れて包むなら綿のタオルにしてください、とのことだったので

火葬場に行く途中にホームセンターで綿のタオルを買って、車の中で包んであげた。その瞬間、急に涙があふれてきた。

ちゃんとお見送りできるかな。私、この子がいなくても大丈夫なんだろうか。ちゃんとお別れできるかな。

そんなことがグルグル頭を駆け巡って、いっぱい泣いた。

きっと、お別れの準備が整ってしまってはじめて、実感が湧いたんだと思う。ウサギが、いなくなる。

死んだ瞬間は全然泣いてなかったのに、火葬場への行きしなに突然泣き出した母親を見て、娘はちょっと困っていた…のは水でいっぱいになってぼやけた視界からちょっと見えた。

でも、悲しみを受け止めるのがひとりじゃなくてよかった。悲しみは、娘が半分こしてくれた。ありがとう。

煙になるまで

涙を止めて、半泣きで火葬場へ。

手続きをしてからはとってもスムーズで

一瞬で火葬炉へ案内された。

合同火葬の場だけど
ちゃんとお線香やお花が置いてある祭壇が用意してあって

その祭壇の前にウサギの入った段ボール箱を置く。

職員さんが「ここで最後のお別れをしてください」と声をかけてくれたので

「じゃあね、またね」と声をかけて、すぐにその場を去った。

一緒にいた期間が長すぎて、最期の言葉がそれしか出てこなかったし
それで十分だと思った…のは言い訳で

正直後ろから見ず知らずの職員さんに見られている状況で取り乱したくなかった。警戒心が強いのは、私も一緒か…。

すぐに火葬されたわけではないのはわかってたけど

帰り際に火葬炉の上から煙が上がっているのを娘にみせて

「ほら、ウサギは煙になって登っていったよ。お空に還ったよ。」と

また教育的視点で接した。

そうすることで、自分を保った。また娘に助けられた。

虹の橋

ペットロスの人達の心を癒すであろう、虹の橋という詩がある。

海外の詩で、原作者は不詳だという。

要約するとこうだ。

天国の少し手前には虹の橋と呼ばれる場所がある。
生前に誰かと寄り添い暮らしていた動物たちは、その命の灯が消えた時に虹の橋のふもとにたどり着く。

そこには美しい草原や丘が広がり、動物たちはそこで駆け回りじゃれあって楽しく遊んでいる。

おなかいっぱいのごはん、きれいな水。そして優しい太陽の光にあふれていて、皆そのあたたかな場所でのんびりくらしている。

病気にかかっていた子も、年老いた子もみんな元気を取り戻し、痛みに苦しんでいた子もすっかり健康なからだを取り戻して、昔のように夢のように過ごしている。

そうやって幸せに過ごしている動物たちにも、たったひとつだけ心を満たしていないことがある。

それは、かつてともに過ごし、愛し合い、寄り添っていた人がここにいないこと。それが恋しくて、寂しい。

動物たちが一緒に遊んで駆け回っていたある日、ある子がふと立ち止まり、遠くを見つめていた。

その子の目は次第にキラキラと輝きだし、よろこびで震えだす。
突然、その子は仲間から外れ、草原を飛ぶように走っていく。速く、速く。風のように。

その子の視線の先にいたのは、ともに過ごし愛し合い、寄り添っていたあなた。

その子とあなたは、虹のふもとで再び出会い、あなたは愛する我が子を抱きしめ愛情いっぱいに触れ合い、二度と離れることはない。

そうしてあなたたちは寄り添いあって、ともに天国へと続く虹の橋を渡っていく…

全然要約できず、ほぼ全文です。

生きとし生けるものなら、平等に訪れる死。

同じように自分の人生をまっとうした時、また会えるかな。

この詩には私にも例外なく響き

ちょっと会うのが楽しみになりました。ちょっとね。

たぶん、キラキラした目では寄ってこないし、あの警戒した見開いた目で見られると思う。抱っこもさせてくれないと思う。

でもお互いに、たぶん気づく。

また、会おうね。それで、程よい距離感のまま、一緒に天国行こう。
(🐰何年待たな、あかんのん…)

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