Chim↑Pom展:ハッピースプリング
かなり駆け足で見てしまいました
東京のスーパーラット、疎まれるカラス、幾層にも塗り固められ埋められるアスファルト、原爆、原発
覆い隠されている、無いものとされている、積極的には語られない
そういった事象に覆いかぶさっている布を
ためらいもなく、清々しい方法で剥ぎ去る
その行為自体
虚構のようであり、悪戯のようであり、、
芸術がもつ役割として、それを観る前と観た後で
なにかしらの変容をもたらす事があるとすれば
確かに芸術でした
特に広島出身者としては
広島の空をピカっとさせる
に思いを強く抱く
個人として、その行為に不快感を感じないが
誰かが不快に感じるだろう、と想像するのは難しくない
自分が不快に感じないことと誰かが不快に感じること
その隔たりはどうして生まれてしまうのか
誰もが自然と意識を向けないことに
ふとしたきっかけで意識を向けてもらう
ということは非常に物語があって良いなと思った。
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