2016おやすみホログラムスキースノボバスツアー(2016.3.5~6) 獄中手記 (その1)


【プロローグ】

自分は北海道出身で、家から車で1時間圏内に4つくらいスキー場がある環境、さらに子供のころから学校でスキーをやらされていたという恵まれた状況にも関わらず、周りの人間(殆どがプロ級)に比べて上手ではなかった。

さらに持ち前の怠慢な性格が災いし、スキー担いでわざわざ大金をかけて寒い思いをしに雪山に向かうなんてバカバカしいと(今でも)思っている。なので社会人に1年目に付き合いでスキーに行って以来、20年以上スキーをしていなかった。まさかそんな自分が雪山に行くなんて・・・

おやすみホログラム運営からスキースノボバスツアーの発表があったのは今年入って間もなくの渋谷LOOPでのギター1本編成ライブのMCだったと思う。正直スキースノボ自体にはあまり興味が沸かなかったが、バスツアーという響きが素晴らしかった。とうとうおやホロもバスツアーやるのか・・・僕の頭の中はかつてTwitterで見た他のアイドルグループのとても楽しそうなイベントだった。しかもメンバー二人ともお酒が飲めるので、かつて行われた「BARエメラルド」を彷彿とされるエモーショナルな時間を過ごせるのは想像に難くなかった。

参加費40,000円という1泊2日のバスツアーとしては決して安くない金額設定だったが、詳細発表された翌日には代金を速攻で振り込んでいた。みんなでバスに乗ってメンバーと楽しく語らいながら夕食や晩酌、そしてライブ・・・申し込んでから日夜、年甲斐もなくその日を想像し、思いにふけ入り、楽しみにしていた。

それが、まさか、あんな過酷で予想の斜め上なツアーになるとは。

【3/5早朝:集合・出発】

今回のツアー、全くカミさんには伝えられていなかった。泊り旅行というのもあるし、そのうえ年甲斐もなくスキー旅行なんて、理解が得られるとは1ミリも思っていなかったので、なんとかうまく穏便に話をしようと思っていたが、当日を迎えてしまった。

とりあえずと新潟方面に遠出をする、もしかしたら帰れないので泊りになるかも、という訳の分からないメッセージを残し、なし崩す様に朝5:30過ぎに家を出発。新宿に6:20頃到着。集合場所のNSビルまで徒歩10分くらいで到着。どうやら一番乗りらしい。誰もいないので間違ったか?一瞬焦るが、まずなぜか車でやってきた小川Pに声をかけられる。そして1人2人、と参加者が集まり始める。車の中にいたメンバーが出てきてみんな挨拶をする。楽しいイベントがスタートしたなぁ!と実感。だが、それ以上に今回のツアーの暗雲を示唆する出来事が始まる。

買う買わないは自由なので何の問題もないが、八月ちゃんが一生懸命書いてきた「旅のしおり」を買わないわけには行かないだろう。その時の早朝のテンションなら3,000円でも出していたと思う。という感じで次々と旅のしおりは売れて、用意していた15部は即完してしまう。

そして小川Pから「参加者にプレゼントがあります!」と大きな箱から取り出したのは、なんとマグカップだった。なんとも言えないイラストがプリントされており、見事に「粗品」にふさわしい仕上がり。センス抜群である。

もちろん参加者には1個ずつ無償プレゼントされ、少し余分に作った予備分を1個1,500円で追加販売するというもの。ほとんど売れず、僕が見た限りでは追加で売れたのは1個だけだった。

そしてそのあと(個人的には)驚愕の事実を知る。

メンバーがバスに乗ろうとしないのである。そもそもわざわざココまで車でやって来たのもなぜだろう?新宿に2日駐車するとものすごい金額である。そこで、

僕「(乗って来た車を指差し、)この車どうするんですか?」
小川P「え?僕らとメンバーが乗っていくんですよ?」
僕「え?」
小川P「前から言ってたじゃないですか?」
僕「・・・」

あまりのショックに声を失った。全く想像していなかった。個人的には「バスツアー」を名乗るなら、少なくともメンバーが乗るとか、車内でカラオケやバスガイドチックなイベントがあってしかるべきというのが念頭にあった。この事実を知った参加者も次々にショックを受けていたのを目にしたので、自分の感覚は間違っていなかったのだろうと思う。この件は末代まで追求し続けていきたいと考えている。

そして参加者はしぶしぶバスに搭乗。自分は基本的に好きな最後尾席に座る。

ソルまっくさんが痛い足を引きずりながらカートで持ってきたパンクIPA2箱から缶を早速取り出し乾杯。早朝からのIPAは染みる。たまらない。運営からもう一つの特典という事でチェキ券2枚を渡される。どこかで記念のチェキを撮ってください、という事であろう。

参加者は24名ほどだったと思うが、けんたろうくんが30分くらい遅刻。彼の到着を待ち、7:30に出発。

【3/5午前中:バス往路】

とにかくバスの中は不満が充満していた。「バスツアー」と冠しているからだれもが楽しいバス旅行を主に期待していたと思われる。しかし蓋を開けてみると野郎しか乗っていない。唯一バスのキャパが50席弱あったからほぼ2席ずつ使う事ができてゆったりする事が出来たのは良かった。これでメンバーが乗っていたら、スムーズに順番に隣に座っていって楽しい会話をする事が出来たのに・・・と考えると段々腹が立ってくる。ビールもどんどん進む。もう飲むしかないのである。そしてTwitterも進む。みんな愚痴しか書かない。この状況が後に #おやホロバスハッシュタグがトレンド入りするという奇跡を起こす。

参加予定者であった橋本くんが数日前に都合が悪くなって行けなくなってしまい、代わりに行ける人を探しているという話を聞いたが、なんと代われる人がいないため、まったくアイドル現場にも行った事がない自分の実の弟を参加させたのである。これには驚いた。なんとまだ高校生である。未成年なので、親の同意書持参である。その同意書はお母さんの直筆だったらしい。それを読んだ小川Pが彼に「いいお母さんだねぇ。」と優しく声をかけていたのが印象的だった。

そして早朝だったためか、ハッシュタグがトレンド入りを果たす。

ずっと後ろに付いていた運営の車がバスの横を通り過ぎる。こんなんなら一緒のバスに乗ってもいいだろう。この時点で最早ツアー参加者全員がこの逆境を如何に楽しもうかというモードに入ってしまった。土曜の午前中という事も幸いし、多数の暇な人間がTwitterでおやホロバスの動向に注目し出しているようだ。

IPAもすすむ。そして例の惨劇が起こる。


振る舞われたIPAを飲んだ大半の参加者が突然の尿意に教われた。不幸にも関越に入って事故渋滞が発生し、ずっとのろのろ運転でいつまでたってもSAに着かないし、集合場所であるNSビルの周りにはトイレがなく早朝のため起きがけに用を足さずに来た人も多かった筈だ。

その後、渋滞の高速道路上で何が行われたか、ここでは敢えて記さない

そんな人間の尊厳に関わるレベルの問題が発生しているのに呑気なツイートをするメンバーに殺意を覚える参加者も少なくなかったはずだ。(自分だけかも)

そしてやっと高坂SAに到着。

尿意を起こさないためにだれも飲み物を買わない。メンバーがたこ焼きを食べたり、参加者が買った食べ物をかじったりするのを眺めながら、休憩時間も終了し再び出発。

先ほどの件でテンションが落ちたのか、お酒が醒めたのか、バスの中は静淑に包まれる。寝ている人も多かったと思う。自分も多分寝ていた。あまり道中の記憶がない。

この辺りになると参加者以外もハッシュタグを使いはじめ、トレンド入りを2時間以上、最終的には4時間位トレンド入りを維持する事になる。

関越を抜けて上信越道に入る頃には先ほど参加者を苦しめた事故渋滞も解消され、スムーズに走行出来る様になった。自分はもう少し飲みたかったので、尿意を催さない家から持って来たウィスキーに切り替える。車窓を眺めながら旅は続く。

【SAでひと休憩】

そしてバスは小布施PAに到着。あまり大きくないPAだが、一応食堂はあり、ここで食事をとるという事になった(もちろん自腹)。なぜかほとんどの人がカツカレーを頼んでいた。

少しあとでメンバー車も到着。メンバーとテーブルを囲んで昼食を摂る事が出来るという僥倖を得る者もいた。

そしてこのPAでチェキ撮影会が始まる。が、この先の長さを懸念してか、だれも撮りに行こうとはしない。最終的には数名撮影したが、少なすぎたため剥がしがほぼ発生しないというとても贅沢な時間となった。

それでも自分はまだこの後メンバーがバスに同乗すると信じていた。何故なら、ほぼバスに車で並走してSA/PAに停まるんだから、途中で乗って来てもいいし、乗ってくれてもバチは当たらないと思っていた。しかし、結局メンバーがバスに乗ってくる事はなかった。

正直なことを言うと、帰りも同じ状況になりそうなのは明白、ならば発想を切り替え、Twitterハッシュタグがトレンドに乗り、少しバズリ始めていたのを逆手に取ってこの悲惨な状況を口外し、帰路は予定を変更し少しの区間でもメンバーが同乗する方向に変更させる作戦をとる事にした。そしてその結果は翌日知る事になる...

【宿へ到着 〜 スキー場へ?】

そしてその後の行程はスムーズに流れ、13時過ぎに目的地である妙高 赤倉温泉スキー場へ到着。往路6時間弱。ゲレンデとホテルが密集する入り口にあるバスターミナルで下ろされ、10分位上り坂を歩いて本日宿泊する宿(後楽荘)に到着。

バスツアーで良くありがちな、通常の宿のチェックイン前に到着した場合、まだ宿泊する部屋に入れないため、着替えとか一時的な荷物置き場は別場所で、我々参加者はこの宿の2階の大広間に通された(確か42畳くらいと言われた)。他の団体客もまとめて詰め込んでるらしく、ほとんどの客は既に荷物を置いてスキースノボを楽しんでいる模様。我々は今回ツアコンを担当して下さっている庵野さんにレンタル段取りとリフト券を確認するため、この部屋で待機してくださいと指示され、各々着替えたりしながらこの部屋で待つ事にした。しかしいつまでたっても庵野さんはやってこない。

この時点で、メンバー&スタッフと参加者は宿が別であるという事実を知る。
普通に考えると宿が別という事は食事もそれぞれの宿という事になるはずだ。百歩譲ってバスには同乗しなかったのは途中のSA/PAで接触する事ができたので許すとしても、宿への宿泊が前提のツアーで、まさか食事が別というのは流石にあり得ない。ここは宿が別なだけで、食事には来てくれるんだ、と各自言い聞かせるしか術がなかった。いずれにしてももうすぐ分かる事である。こんな余計な心配事に思いが巡らされるのも、なかなか待機場所から進展がないためであるし、頭が悲惨さに慣れて(鈍って)来たのか、それがどのように酷い事なのかも分からなくなってくる。

結局リフト券が配られたのが 14:30頃、その後別の場所へ用具をレンタルしに行って、全員が滑れる体制になったのは16時前位までかかった。その前に自分たちはチェックインが可能になる15時に荷物を今夜宿泊する部屋に置き、自分を含め1日目に滑る事を放棄した者で宿から徒歩2分位にあった酒屋に今夜のお酒を買いに行った。そして一足お先に(振り返ると)この宿唯一の自慢ポイントであろう大浴場で旅の汗を流し、先ほど買って来たビールを一気に飲み干す。この瞬間がたまらない。この時点で自分は、もうスキーとかスノボとかは、どうでも良かった

自分たちゲレンデ離脱組は別として、きちんとゲレンデに行った殆どの参加者はメンバーと楽しいひとときを過ごした模様。

〜〜〜〜〜その2へ続く〜〜〜〜〜

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