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デビューまでの道~思春期編3~

思い込みだけでは乗り越えられない時もあるのだ

高3と言えば受験シーズン真っ盛り。
入学してからの2年間、ソングライトと宅録とバンド活動に明け暮れ、
将来東京に出てプロのシンガーソングライターになること以外、
ササキは先のことを何一つ考えていなかった。
イカ天をきっかけに演奏を見てくれたどこかの音楽プロダクションがバンドをスカウトしてくれるなんて夢ははかなく消え(笑)
それどころか著名な音楽評論家と天才作詞家先生に歌がダメと言われてしまったことでササキは人生の目標を思い切り無くしてしまっていた。どうやって彼は立ち直り、そして再び夢を掴む道を歩み始めるのだろう。

1.退学? 進学? 遅すぎる反抗期?

時は1990年。流行りの音楽を聴いてもどれもピンと来ないし、かつては1日で多い時は一気に5曲ぐらい作ってたのに、作曲もやる気がしない。
周りを見渡すとクラスメイトのみんなは一心不乱に受験勉強をしている。
そうだ。この学校は進学校だった。大学に行かない子はいないんだった。
事実自分みたいなふざけた子はいなかったと思う。
高校に入った時は真ん中くらいだった成績もこの頃はほとんど学年最下位。
完全に落ちこぼれた感。玉手箱を開けておじいさんになった浦島太郎状態。
1年先輩のドラムのK君はバンドをやりつつもストレートで都内の一流大学に受かってたと言うのに。できる子はひとの見ていないところでものすごい努力しているものなんだ。

現実から逃れたい気持ちもあってか、僕は半ばやけくそ?にライブ活動に力を入れる。ドラマーK君の代わりにギターR君が連れて来たドラマーが3人くらい変わった。(最終的にドラマーは今も僕が盛岡でライブやる時に手伝ってくれるM君に落ち着く)ベースは中学浪人時代からの友達のHe君(キーボードもH君だからちょっと表記変えます)に交代して相変わらずバンドコンテストに出場したり、イベントを企画したりしてライブを勢力的にやっていた。
僕と言えばどうすれば歌が上手くなるのかもわからず、でもとりあえずテンション上げて行こうと思って「幸せにゃにゃにゃにゃにゃにゃ」ってひたすらシャウトするだけのタイトルとは真逆の気持ちで書いた「素直でGO」という曲を作りメンバー全員半ズボンを履いて大人ばかり出るバンドコンテストに出た。司会者のインタビューにわかりにくいボケで返し、いい加減な態度をとってわざと審査員から不評を買ったり、スカート履いて歌ったり、完全に方向性を見失っていたが、それでも前に進もうともがいていた。いくら頑張ってももはや1年前のような輝きや勢いは消えてしまっていた。
秋の頭くらいまでバンド活動を共にした他のメンバー達も
受験が近づくにつれバンドから離れてしまって、
いつの間にか自分はひとりぼっちになっていた。

親や先生は「音楽なんて馬鹿な夢は諦めてすぐに勉強しなさい。
もうどこでもいいから大学に入ってね」と言ってくるんだけど、
どの大学に行っていいかもわからないし、入りたい大学もなかった。
なりたい職業も特に思いつかなかったし、給料の安定している公務員になれと言われても、自分が公務員になって役所で働いている姿はまったくイメージが沸かない。先にイメージがないと僕は何も行動できない人なのだ。
「なんかパッと楽しいことしたいなあ。岩手には長く居すぎた。そうだ別の景色を見に行こう。じゃ東京だな。」と思い立ち
思い切って父親に「退学して東京に出ようと思う」と言うと
父は怒りもせず「そうか。それもいいが、こちらは何も援助しないし、住む所も働く所も全部自分で探して生きて行きなさい」とクールに言い放った。
「ああわかったよ。じゃ出ていくぜ」と言いたかったけれど、
(あーあロックに生きるならこのセリフ言って欲しかった。俺。笑)
「少し考えます。ちょっと出かけて来ます」と丁寧に断りもいれて(大人にもなって親を心配させたくないしね。そして父は厳格な人でとてもタメ口きけるような人ではなかった。)
「とりあえず今家を出たってことは、なんと今俺は家出してるんだぜ🎵」とワクワクしながら森高千里の「17才」のサビを心の中で口ずさんでみたけど(そこはステッペンウルフのボーントゥビーワイルドでいて欲しかった。笑)
半日大通りを彷徨って、川辺を歩いて、やることもなくつまらなくなってまた家に戻ってきてしまった。(まるで小説「ライ麦畑でつかまえて」の主人公のホールデンコールフィールド気取り)
「これってただの外出じゃない?」って自分にツッコミ入れたけど、一応この事件は自分史の中では僕が初めて家出したことになってる。笑
そうだタフ&センシティブな俺はロックミュージシャンになる運命ゆえに家出をしたんだ。ああ運命には逆らえないぜ。ロックミュージシャンは必ず家出するものなんだ。(思い込みポイント26)

一晩よく考えた結果、音楽をやるだけでもすごく大変なのに、きっと暮らす金を稼ぐだけで手一杯になるんじゃないか?そうなってしまったら音楽なんてできるわけない。って冷静に思えた。中学浪人時代のバイトからの経験だろう。お金を時給で稼ぐ大変さは身に沁みてわかっていたから。
翌日素直に父に詫びを入れ「受験することにしました」と言って高校を辞めることを止めた。本心は受験する気はなかったけど。
まあ、、素直なふりをした。が正確。
何となくでもうまく行きそうだとイメージできないものには手を出さない。
家出同然の単身上京プランは全く上手く行きそうなイメージができなかった。

目標や夢がなくなるといとも簡単に人はやる気をなくすものなのだ
急に全てのことがバカらしく見えて。
勉強する気もないから授業中も先生にもわかるぐらい寝てた。
「やる気がないなら出て行きなさい」と言われて、「はい。ごめんなさい。先生の言う通りです」と楯突くわけでもなく、素直に従って行儀よく教室を出て行ってじゃじゃ麺を食べにいったこともあった。
別に遅い反抗期というわけでもなく、心が虚ろなだけなのだ。
(先生にしてみればそんなことされたら余計に腹たつだろうね。当時は空気の読めない子でした。)
そんな時に友達になったのが、同じクラスで野球部のTちゃん。
僕ほど落ちこぼれではなかったが、この受験戦争に一生懸命になれない所は彼も一緒だった。
シンパシー(共鳴)とアパシー(意欲低下)を同時に感じちゃった感じ。
放課後になるとクラスメートは勉強するために一目散に家に帰って行くのに、
僕らは空が暗くなるまで校庭でサッカーしたり、教室でいろんなバカ話をして過ごした。
Tちゃんはかなりの読書家で、発言はとても皮肉めいてウイットに富んでいて、スポーツができるのに発想がスポーツマンじゃないところが気に入って「こんな面白い人がクラスにいたんだ?」ってバンド活動から離れたおかげで初めて気付けた。
いつもピンチの時は天使が現れるものなのかも やっぱり俺はツイてる。
(思い込みポイント27)

J.D.サリンジャー ライ麦畑でつかまえて 


2.「氷点」に夢中

ある日Tちゃんが「僕が好きな作家なんだ」と言って
三浦綾子の「氷点」の文庫本を貸してくれた。
読書の秋だからまあ読んでみようか。
と軽く手に取ったのが最後、みるみる引き込まれていった。
授業中も講義を受けてるふりして文庫本を読んだ。寝ないだけマシ。笑。先生も僕を咎めなかった。上下巻あったけど、上巻が終わると
「Tちゃん続きは?」って、、笑。
下巻を借りて読み、読み終わって「さすがに続きはないよね?」とTちゃんに言うと、Tちゃんは「実はあるんですよ」と「続氷点」の上下巻貸してくれた。
三浦綾子の「塩狩峠」は自分で買って読んだ。すごくいい話で号泣した。いつか誰か人のために自分の命を投げ出して死にたい。自分の人生の最期をそうイメージするだけで、涙が幾度も溢れるのだ。無気力で白けきってると思っていた自分が、わりと熱い人間なんじゃないかと自己認識できて、ちょっとだけホッとした。生きているって素晴らしい。
そんなこんなで読書ばかりしてたらあっという間にセンター試験がやってきて、自己採点でほとんど合格ライン引っかかってないのに国立大学の受験をしに行ったね。Tちゃんと一緒にいるのが楽しくてTちゃんの大学受験にただ一緒に着いて行っただけなんだけどね。旅行がてら受験もして来ました的なていで。
特に弘前は楽しかったなあ。
古い旅館に泊まって浴衣着て同じ部屋で天井見ながらあれこれくだらない話をして。修学旅行のない高校だったから、擬似修学旅行したみたいで楽しかった。
いやあ、僕は当たり前だけど、Tちゃんもこの年大学受験失敗しちゃった。
きっと僕のせいだなあ。すまない。
Tちゃんのおかげで読書するのが楽しくなって、太宰治の「人間失格」や「斜陽」にもはまって次第に退廃的でデカダンスな世界観に憧れるようになる。
この世界観が後にMOON CHILD の最後のアルバム「POP & DECADENCE」に生かされようとは当時の僕には想像もつかなかった。

3.G/Zacartラストギグ

G/Zacartの最後のライブをONE HEARTというライブハウスでやって、バンドは解散。
ラストはアンコールで「Just made love」(後にMOON CHILDのデビューシングルのカップリングになる曲)で明るくエンディング。「散り際は笑顔で」は今も変わらぬライブのモットーだ。
最初のオリジナルメンバーではなかったけど、5年間みんなしっかりバンドをやりきった。
KeyのH君とGtrのR君は 無事東京の大学に受かって盛岡から巣立っていった。
二人ともちゃんとしてるなあ。えらいぜ。
東京でミュージシャン目指すのか。がんばれよ!!
あんなに音楽でぶつかり合って喧嘩するギリギリまで熱くなったりもしたのに、
一歩音楽から離れてしまうと、もう親心みたいのが芽生えて、
二人を素直に激励できた。
俺は行くあてもないし、大学受験ごっこもできて楽しかったし、十分遊んだ。
あとは岩手に残って、フリーターかあ。
ササキの音楽人生はこれでおしまい。わりとあっという間だったな。「あばよ青春!!」って言う気持ちで清々しい気分だった。ライブ終えた直後の気分は。


4.2度目の浪人

高校を卒業して毎日やることもなくフラフラしてたら、父に呼び出された。
「大学だけには入っておけ」
「世間体で言っているわけじゃない。大学に行けば出会いがある。出会いがお前の人生を作るんだ。もう予備校に金は払った。行ってこい」
ひゃあ。どんだけこの人は俺を甘やかすんだろう。放っておけばいいのにって。
まあ職もないし、働かないなら勉強しろか。。。わかった。行ってみよう。
仙台の有名な予備校とかではなく、盛岡に古くからある大学予備校。
そこでまたTちゃんに再会。
教室でTちゃんと話し込んでたら、図体のでかい無精髭の男がTちゃんに話しかけてきた。O君と言って彼はTちゃんの中学からの先輩で、年は自分と同い年なんだけど、自分と同じ高校の先輩で、その先輩がなぜ同じ教室にいるのかと考えたら、、、
まあつまりO君は大学浪人2回生だった。笑。
O君は僕を見て、一瞬息をのんで、目を丸くして「ああ、オサムくんだ」って言うのね。こっちはO君を知らないけど。O君はみんなオサムくんのことは知っていると言ってた。高校の予餞会で軽音バンドでヴァンヘイレンの「パナマ」歌っておいてよかった。笑。上級生に対しても大変な宣伝になっていたのだね。
そこからO君と仲良くなった。
O君はRCサクセションが好きで、タイマーズやニーサンズやブルーハーツ。特に清志郎さんやヒロトさんに詳しくて、受験勉強もしないでRCの話ばかりしていた。
彼からレッドツェッペリンを教えてもらい、ローリングストーンズ、ビートルズ、T REX、ドアーズ、ポリス、新しいところだとガンズアンドローゼス、その他、たくさんの80年代以前のロック音楽をまともに聴くようになった。ものすごい衝撃だった。
O君の70年代のロックの知識は豊富で、音だけでなく、偉大な彼らの名言やインタビュー記事も交えての話をしてくれるから飽きる間もなかった。
余談だが、O君のせいでタバコの味も覚えた。笑。
ロックやるなら吸わなきゃってそんなくだらない理由。
70年代のロックを一通り聴いて、60年代、50年代とロックの歴史を遡って、
ロックの懐の深さ、偉大さに心が震えた。
もちろん日本の音楽もこの期間に詳しくなった。
予備校で偶然自分の中学時代の友達KM君に再会したのだ。
KM君は邦楽とアイドルとオーディオと車おたくで、邦楽で言えばはっぴいえんど、シュガーベイブ、松本隆作詞、大滝詠一作曲、細野晴臣作曲のたくさんのアイドル曲等、日本のポップスの土台を作り上げた先人たちの歴史を音源だけでなく色々な逸話も交えて語ってくれるのだった。
2度言う。とても衝撃を受けた。(いい意味の)
自分、何も音楽聴いてこなかったじゃん。全然音楽を知らないじゃないか。
そう、自分は自身の音楽を作り出すアウトプットすることばかりに気をとられて
リスペクトすべき音楽のインプットを怠って来たことを痛感した。
毎日リトルリチャードのピアノ奏法をモノにしたいとCDを聴いて耳コピー。
ジョンレノンのソロアルバムにも影響受けて、生ピアノ、ドラム、ベースが基本となるロックの追求もした。
気付けばこの頃からまた宅録生活が始まっていた。
受験勉強そっちのけでデモテープの作成に励んでいた。
もう人前で歌ったり、バンドできないのに。
人が見るから、人が聞いてくれるから音楽をやるわけじゃない。
俺は音楽がやりたい。聞きたい。作りたいだけなんだとシンプルに思えた。

この当時はだいたいO君、Tちゃん、KM君とつるんでいた。
全然志望校も決まってなかったし、東京に行く予定もなかったけど
予備校に行くのは楽しかった。
ホームセンターで家具組み立てのアルバイトも始めた。
音楽聴きあさりたかったからね。あとタバコ買う金は親からもらえない。笑

5.やる気みなぎる

さて、宅録を始められるほど音楽熱は再燃したものの、まだどこか空虚な気持ちは埋まらなかった。
O君はそれに気づいたのか、ある日アコースティックギター一本でのストリートライブを僕に提案する。歌う曲目はほとんどRCサクセションかタイマーズなんだけど。(笑)予備校の学食前、駅前、肴町のアーケード前で歌ったかな。
盛岡の街は人も少なく、誰も立ち止まらない。観客はO君、Tちゃん、KM君だけ。
街ゆく人たちは怪訝そうに眉をひそめ通りすぎていくが、そんなことはどうでも良かった。
観客はたった3人だけど、人前で歌うことはすごく久しぶりだったこともあったと思うがすごく気持ちよかった。
ライブ終わりにO君に「やっぱりオサムは只者じゃないよ。絶対音楽で成功するから、絶対一緒に東京に行こうぜ」と言われた。
「実は俺は小説家を目指してるんだ。一緒に東京行ってビッグになろうぜ!!」
そんな夢見がちすぎる大げさな話なのに、
なぜか彼の言葉はそのまますとんと腑に落ちた。
僕も答えた。「そうだな。東京に行こう。二人でビッグになろうぜ!!」
その日から急にやる気がみなぎって来た。
大学に進学する目的がやっとできたのだ。
ただもう秋だったからスタートが遅すぎる。5教科やってる余裕はない。
もう東京の私立大一本にしぼってひたすら勉強。
なんとか受かった。
国公立大以外NGだという親も仕送り3万であとの生活費は自分でバイトするからと説得して、無事東京に行けることになった。
O君も無事大学に受かって二人はビッグになるために上京することになった。
O君は僕の天使だ。見た目は山男だけど。あとジャンボ鶴田に似てた。笑
いつもピンチの時は天使が現れるものなのかも やっぱり俺はツイてる。
(思い込みポイント28)

次回は上京して、初めての東京生活、G/Zacartのメンバーとの再会、ソロで挑戦したオーディション、MOON CHILDの前身バンド「タンバリンズ」の結成秘話などについて書いて行こうと思います。


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