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戸田和幸にとってのトッテナム・ホットスパー

これをフットボールの運命と呼ばずしてなんと呼ぼうか。この日、トッテナムという一つの縁を通して、日本からの来訪者はかつての自らの指揮官と再会を果たした。来訪者の名は戸田和幸。かつてグレン・ホドルに指導されていた。

2002年日韓ワールドカップの決勝トーナメント後、'KAZU'は2003年の1月に清水エスパルスからローンでスパーズに加入した。彼は日本ではスパーズレジェンドのオズワルト・アルディレスやスティーブ・ペリーマン、そしてスパーズではレジェンドのグレンの下でプレーした。

当時26歳のDMF。彼にとってスパーズ加入は夢のようだった。

「私にとって人生最大のチャレンジでした。」彼は今年4月、グレンと共にスタジアムを練り歩く一方で、我々に語ってくれた。「できることはなんでもしていました。おそらく私の能力が十分ではなかったとは思いますが、全力を尽くしていました。私がファーストチームの一員としてピッチに立ったのは4試合だけでしたが、その全てが私にとっては今でもとても特別です。」

「スパーズが私との契約に興味を示していると知った時はとても興奮しました。スパーズでの時間は夢がかなった時間でした。できる努力はしつくしたので後悔はありません。多くのワールドクラスの選手とプレーしました。ロビー・キーン、グスタヴォ・ポジェ、ジェミー・レドナップにダレン・アンダートン…フットボーラーとしてとてもいい経験でした。スパーズで多くのことを学んだんです。」

ベンチで6試合の間プレーしない期間ののち、2003年のある良い天気の金曜日に、ホームのマンチェスターシティ戦に出場後、3日後のイースターの月曜日にWBA戦にてスタメン入りし勝利に貢献した。

そして彼がいつまでも覚えているだろうという試合がある。彼のホワイトハートレーンでの最初の試合は優勝間近だったマンチェスターユナイテッドとの試合で、彼はベッカム、キーン、スコールズ、ギグス相手に戦った。その試合は、スコールズとニステルローイが後半に得点し、サーアレックスファーガソン率いる彼らは5ポイントを獲得し、そのまま優勝した。

「あの時はとても緊張していました!」KAZUはあの時を振り返って言う。新スタジアムの芝を見渡す彼の姿を見れば、彼がその時の光景をありありと思い出しているのが良く分かるだろう。「妻と母も試合を見に来ていました。マンチェスターユナイテッドはとても強く、組織されていて、しかも多くのワールドクラスの選手がいました。全然うまくいきませんでしたよ。ロイ・キーンはタフでしたね。後半にベッカムにキツイタックルを行ったんですが、その後彼ににらみつけられました。今でも憶えています。」

彼は41歳になって、新しくコーチとしてのキャリアを始めていた。「18年間プロとしてプレーしてきました。30歳を過ぎてからは多くの怪我にも苦しみましたが、選手として引退するその日まですべてを捧げてきて、この場所もいつまでも憶えています。」

「ホワイトハートレーンが私にとって夢であったようにこの場所もそうなんです。このスタジアムは美しく、素晴らしい。もはや僕にとってホームです。ホワイトハートレーンには偉大な歴史がありましたが、このスタジアムでも歴史が作られていくのでしょう。」

「スパーズの時間は本当に楽しかった。息子もこの地で生まれました。ときどき妻には家族で過ごしたこのロンドンに戻りたいと言われます。」

「子供の頃、日本にはまだプロのフットボールリーグはありませんでしたから、プレミアリーグでプレーすることが私の夢でした。夢がスパーズで実現したのです。もっと長くここにいたかったのですが、後悔はありません。」

「日本でコーチライセンスを取得して、昨シーズン大学生チームを指揮しました。今はより良い機会を待っています。それが私にとっての新たな一歩となるのです。いつか監督としてヨーロッパ、願わくばイングランドに戻ってきたいです。いつでも新たな夢を追いかけていたいですね。」



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