見出し画像

3月27日 柳本あきら 大阪市長候補 個人演説会@港区民センター

大阪が好きです。大阪市が大好きです。大阪市長候補の柳本あきらでございます。今日は船出の港区、個人演説会は本日がスタートであります。そうしたなか、本当に会場にあふれんばかりの皆様方にお集まりをいただき、私も心が震え、身が引き締まる思いでございます。こうして多くの皆様方にお集まりをいただきましたことに、まずもって心から厚く御礼を申し上げます。
私は十日少し前までは、先ほど少しお話がありました参院選挙区支部長として、今年7月の参院選挙に立候補予定でございまして、そうした形での活動を進めておりました。もちろん昨年末から、もしかしたら、もしかしたら、大阪府知事選挙と大阪市長選挙があるかもしれないという話は我々の心の中にはありましたけれども、実は本当に目の前にこのような選挙があると明確になったのは、3月8日なんです。
その前日に大都市制度協議会、いわゆる法定協議会というところで話が決裂し、この決裂さえも、あちら側は自民党や公明党が邪魔したからやみたいな言い方をしておりますけれども、そんなものじゃありません。あちら側の駄々っ子です。駄々をこねて結局前に進まないから人を悪者にして、結局は出直しではなく、投げ出しの選挙をするようになったというのが3月8日のことでございました。
私ももしかしたら、吉村さんが知事選に出ることがあっても、「松井さんは大阪市長になれへんのとちゃうかな」と、「出てけえへんのとちゃうかな」と思ったぐらいです。なぜならば、あの方の大阪市長の顔が想像できない。その現実が、そうなるかもしれない現実が3月8日、私自身の目の前にまいりました。しかしながら、まだ現在、その当時ですね、候補者が決まらない状況があり、その時点においても、私は誰か別の人が出てくるというような状況を想定しておりました。一度、住民投票で私も先頭に立って当時は自民党大阪市会議員団の幹事長として、多くの皆さん、市民の皆様方と力を合わせて、賛否拮抗するなかではありましたけれども、大阪市存続という結論を得たわけであります。しかしながら、その後の大阪市長選挙に敗れてしまい、私自身の力不足を感じるとともに、そのことによって都構想議論が再開されてしまった。そのことに対して、市民の方々に本当に申し訳ない。そんな思いでいっぱいでもございました。よって、私以外の誰かが出る方が、むしろ多くの皆様方のご賛同を得られるのではないか、そんな思いがあったのも事実でありました。
しかしながら日にちは経つ、投票日は近づいてくる、告示の日はやってくる。しかし候補者が決まらない。そういう状況がありました。実は、小西ただかず府知事候補が候補者として決定した日に自民党大阪府連から正式に出馬の要請を受けました。もし、あかんかったら…。そんな気持ちになってしまう自分がいるとするならば、そんな人間に市長選挙に立候補する資格はないということでお断りをしました。私も実際、一度敗れてしまったので、もっぺん出て敗れる、ましてや、参院選挙区支部長として活動しているなかで、そんななかで、もしあかんかったらまたあっちへどうぞみたいな状況のなかで市長選挙に出るなんてこと、市民の方々に許されないというふうに思っていましたから、そういう状況の中でお断りをしました。
しかしながら、改めてご要請をいただくような状況があり、その状況の中でやはり候補者が決まらない、もしかしたら不戦敗になるんじゃないか、そういう状況すら想定がされるような事態が目の前にありました。そうしたなかで、私も心のなかに、どこかに、やはり今の状況をなんとかしなければならない。先ほど山本議員がおっしゃったように、とんでもないたたかいを仕掛けられて、しかしながら、それを指をくわえて見ているような状況に対して、私自身も耐えられないという思いが心の奥底にあったんだというふうに思います。ふつふつふつふつと、湧き上がるものがありました。しかしながら、その湧き上がるものを放出するためには、いろんなものを捨てなければならない。そういう状況の柳本あきらであったのです。
めちゃめちゃ泣きました。一人で泣きました。人ってこんなに泣けるものかなというぐらい泣きました。その泣いている間に、私は孤独に決意を固めたんだと思います。そんななかで、誰にも相談できないけれども、やはり人生をともに歩むようになってきた妻にはこの気持ちを伝えて、一定の了解を得なければならないというふうに思いました。こうしてお顔を拝見しますと、武智支部長もそうですし、西先生もそうですし、山本先生もそうですし、やっぱり奥さんって大切ですよね。
私もそういう思いの中で妻に市長選挙に出たいという思いを伝えました。ただ、何かにつけて厳しい言葉を私に浴びせかける妻でございます。中途半端な決意ではなかなか認めてはもらえないことを私は知っておりました。そんな中途半端な決意をしたつもりもございませんでしたので、市長選挙に出たいという言葉を言わせていただいてから、「自分の夫が事故で死んだと思えるか」、このように妻に聞きました。「自分の夫が事故で死んだと思えるか」。この問いに妻から「思える」と言われました。でもそれは、言ってくれたんだと思います。決意を固めた柳本あきらの背中をちゃんと押し出してくれたんだと思います。私の決まっていた決意は、そこで明確に固まり、市議団の幹事長の黒田先生にお伝えをし、それから道筋を立てていく形となりました。
そして、3月14日、多くの皆様方にお支えをいただくような状況がまだあるかどうか、わかりませんでしたけれども、マスコミの皆様方に囲まれ、そのなかで、自らのすべてをかけて大阪を取り戻し、そして、市民の自治を守り抜くために、自らのすべてをかけてこの市長選挙に出馬する覚悟を固めたことを述べさせていただいた次第であります。私は今回のたたかい、本当に命をかけて、たたかい抜いてまいりますので、みなさま方にもこの気持ちをおくみ取りをいただきまして、力強いご声援をたまわりますようによろしくお願いを申しあげます。
私たちに、準備の期間はありませんでした。このたたかいは、はなから不利なたたかいです。私にとっては損なたたかいであったのかもしれません。しかしながら、不利とか有利とか、得とか損なのか、そんなたたかいでは今回ないんですね。大阪市を守れるか、港区を守れるか、市民の皆様方の笑顔あふれる安心な生活を守ることができるかどうかという大切な選挙だということで覚悟を決めました。
しかしながら、あちらのほうは、ポスターナンバー二番のほうは、ちゃっかりとですね、昨年の末から、今このときに選挙をやることを、たぶん想定していたんだと思います。それに向けてポスターの写真も撮っていたでしょう(会場からフフフの声)。ポスターも作っていたでしょう。政策も作り、そしてパンフレットもある程度、構成を固め、その上でネットの発信のやり方やいろんな戦略も立ててたんやと思います。今もこうして掲示板をみてみますと、一番のところに、府知事には小西ただかず候補、そして、市長の一番には柳本あきらのポスターがありますれども、二番を見ると、「ああやっぱり、このひとら準備してたんやな」というふうに思うんです(フフフの声)。お顔がね、ツルツルなんです(爆笑)。きれいな顔してはります。修正とはいいませんけど(爆笑)。私らは散髪行く暇もなく(笑い声)、そして改めてポスター写真を撮りにいく暇もなく、そんななかで、多くの皆様方にお支えをいただいて、なんとかポスターを掲示して、自民党、公明党の皆様方に大阪市域内、大阪府域内で、ポスターを告示の日に貼っていただくという状況までたどり着くことがやっとできた状況なんです。「そんなん気にすることない」って言ってくださいました。ほんまにそうなんです。
今回のたたかいは、形ではなく中身なんです。みなさんツルツルの顔ではなくて、小西ただかず府知事候補と、柳本あきらの中身を見てみてください。そして、今回のたたかいは、形といわれるいわゆる大阪都構想の制度論の話ではなくて、むしろ、中身、政策をしっかりと訴えて市民の皆様方に問う選挙にしていかなければならないと思います。あちら側は都構想で選挙を打ってきました。マスコミの方々もやれテレビ討論やれいうたら、「都構想どう思いますか。二重行政だ。府市合わせ(不幸せ)だ」とそんな話ばっかりしはりますけれども、そんな議論ここでやめようじゃないですか。ここでしっかり、この選挙でもって、しっかり終焉させて、これからの未来語れる大阪にしていかなければならないと私は思っています。
ただ都構想議論に終止符を打つために、ここでは一定、いわゆる都構想という大阪市廃止分割の話をしておかなければなりません。私は、東京の方ばっかり向いているような都構想とか、あるいは初めから副と二番目を決め込んでいる副首都とか、そんな東京ばっかり意識するような制度は大阪のプライドが許さないというふうに思います。
私は、大阪人ですからパチモンでも安くて価値があったら実は買います。結構好きなほうです。しかしながら、きょうこれはパチモンではないです、このネクタイ千円です。しかしながら、いまの都構想みてください。東京の真似をしていますけれども、大阪人のプライドかけて真似するというのであれば、大阪人はね、オリジナルのもの、もともとのものより、もっとええもんにしてこそ真似する文化として、素晴らしいんですけれども、東京の真似して、あれ以下のものがいまの目の前の都構想ですよ。
だってそうでしょう。財政的にも全然違うし、都にもならない都構想です。いまだに東京都になると思っている人がいるんですよ。大阪都になると思っている人が。実はね、私の息子、十歳になるんですけど、私が市長選挙出るっていう流れの中で、聞かれたんですよ。「お父さん、都構想って、大阪府が大阪都になる以外何が変わるの」って聞かれたんです。「大阪府が大阪都になる以外何が変わるの」って、息子は当然のごとく、大阪府が大阪都になると思っていたんですけれども、私は「都にはならないんやで」と答えました。すると、息子がめちゃめちゃびっくりしました。「都にもならないのに都構想って何でなん。おかしいやん」っていうのんですね。そうなんですよ。おかしいんですよ。
そして、都にもならないのに、結果的には、そのパチモンは効果がないのにコストがかかる。お金がかかるだけなんです。なんか東京みたいにええようになるかのような印象があるかもしれませんけれども、東京都はなにも都制度をひいてるから発展しているわけではありません。東京は、首都だからあのような繁栄状態があるわけでありまして、そういったことを考えたときに、大阪に都制度をもってきたからといって繁栄するわけではないということを、皆様方に知っておいていただきたい。
さらに言うとするならば、あの1970年代の万博だって、あの当時の高度経済成長だって、大阪府と大阪市がある状態の中で成長してきたじゃないですか、成功したじゃないですか。そういうことを考えると制度、形の問題じゃないということは歴史的な経過をみると明らかなわけであります。
そして効果がないのにコストが高いという部分、結局いわゆる都構想の本質は、一つの大阪市をいくつかに分けることによって分割コストがかかるということなんです。これすなわち、一つの大阪市を、今回、四つですけれども、その額たるや、1500億円、1500億円ものお金がかかるんです。これ少なくとも見積もって。よってそれ以上のお金がかかるかもしれません。こんなお金を使うくらいだったら、私はもっと子育てとか、教育とかそういったところに力を注いでいかなければならない。予算を投じて、その上で施策を拡充させなければならない。そんな風に思っております。
いまの教育の現場は、非常に疲弊しております。子どもたちの笑顔が見たいということで熱い熱意を持って教鞭を取りたいという先生方が大阪市に入ってきません。諸悪の根源ともいえる校長公募制度、これは私は即廃止をさせていただきたいと思っています。そして学力テストをね、その結果如何にとって、校長先生の給与に反映させるという話です。この点については、私は、ぜんぶが、ぜんぶあかんとは言いません。そういうふうに点数が上がったとするならば、よう頑張ったということは悪いことではありませんけれども、公教育の中で指標は学力だけでしょうか。学力テストの結果だけでしょうか。そうじゃないですよね。体育や音楽、そういった教育も含めてですけれども、あと生活態度なども含めて、ぜんぶひっくるめてよく頑張ったというような評価をするんであったらいいけれども、学力テストだけっていうのは問題がある。それは塾の先生はそれでもいいかもしれない。しかしながら、公教育における学校の校長先生に対する対応としては、明らかにおかしい。この教育の現場でも、形ではなく中身ということが言えるんです。
ICT教育、進めてきました。これは私評価できるんですけれども、タブレットとかそういうものを学校の授業の中で使っていくということなんですが、これもまさに形であって、中身、すなわち、プログラミングをしていくような論理的思考を学べるような状況に導いていかなければ、これも意味がないのに、このあたりがまだまだ疎かです。
それとあわせもっていうならば、学校の課題がいじめや、不登校や、あるいは家庭も含めて児童虐待、そういった事案に対する対応が非常に必要だと思うんです。私はこれまで西成区を中心に大阪市で五期16年間大阪市会議員を務めてまいりました。そしてこの3年半の政治的な浪人生活の間も、対話を重視しながら、現場におもむき、いろんな意見を聞いてきました。だから、今の子どもたちを取り巻く、環境、状況がよくわかるんです。とりわけ、西成区はさまざまな家庭環境を抱えているご家庭が子どもたちがたくさんいますからね。
そんななかで、「子ども施策、子ども施策」というと年配の方々が、「高齢者施策もしっかりやってや」って言われるんですけれども、私は実は子ども施策をしっかりやっていく、光を当てていくことによって、世代を超えて、全世代みんなに、ある意味、幸せや笑顔をもたらすという経過を見てきました。
例えば、子ども食堂という事業がありますよね。最近、広がってきております。その事業も、西成区でも、発祥だともいわれる広がりを見せているわけなんですけれども、その子ども食堂は、ただ単に子どもの貧困対策なんでしょうか。実は、スタートした経過はそうなのかもしれない。ご家庭で夕ご飯がなかなか食べられる環境にない、お父さんお母さんが作っていただけるような状況にないという子どもたちに食を提供しようというのがスタートだったかもしれませんけども、いまや、そういう家庭の事情がある子どもたちだけでなくて、いろんな子どもたちが、子ども食堂に集まっております。それは、それで素晴らしいことだと思いますし、そういった形のなかでご飯を食べるだけではなくて、まあ学校の授業の宿題をやったり、あるいは遊んだりするような、まさに居場所がそこにはあるわけですよね。そんな動きの中で最近私の知るところによりますと、「大人食堂」っていうものもでてきたんですね。年配の方々も人口減少社会において核家族化が進んで孤食、一人暮らしの方は、一人でずっと毎晩毎晩ご飯食べるよっていう方がいらっしゃって、もちろん食事サービスみたいな地域活動もあるんですけれども、それやったら子どもたちと一緒に大人も一緒にご飯食べたらどうかなということで、そういう子どもだけじゃなくて、そのお隣で大人食堂も一緒にやりましょうみたいな動きが出てきているんですよね。おもしろいですね。そのことによって、子どもたちと一緒にご飯を食べると大人たちも年配の方々も笑顔になる。そういう動きが出てきております。それだけじゃないですよ。子ども食堂、大人食堂、その先は、「みんなの食堂」っていう名前ついているようなところもあるんですね。まさにそうなんですよ。子どもに光を当てることによって、そこから大人とか、子どもとか世代の関係なく、男性も女性も障害者もみんなひっくるめて、食べたい人おいでよ、一緒に食べようよ、そこで笑顔になろうよという動きがいま大阪で広がっている。そういうことを見るにつけて、もっともっと子どもに光を与え、笑顔を見て、みんなで幸せになっていくような、大阪を夢見ていきたい。そんな思いでいっぱいであります。
そして、ふたたび都構想議論をしながら、もう一つ、経済の話をしておきたいと思います。よく都構想の議論をすると、対案は何ですかと聞かれます。いわゆる都構想は、いろんな言い方ができるんですけれども、単純にいえば大阪市の廃止・分割です。よって、その大阪市の廃止に対する対案は大阪市の存続であると私は言わせていただいておりますが、ただ単に存続させるのでは、なかなか難しい、というか、そういう状況ではないというふうに思います。
だとするならば、どういう方向を目指すのか。この6月にはG20が来て、大阪で初めて、日本で初めての開催が大阪でされるわけでありますけれども、ロシアのプーチンさんやアメリカのトランプさんや中国の習近平さん、安倍総理総裁もいうまでもなく、来られるわけですよね。その機会をとらえて、もしかしたら港区に来られるかもわからないし、何かお買いものをされるかもしれないし、お土産で何かを買われたとするならば、そのすべてが大阪の魅力として、大阪のブランドとして世界に向けて発信されるわけですから、そういった取り組みをしっかりとらえていくとともに、2025年の大阪関西万博、これをしっかり成功させるにあたって、6カ月間の開催期間だけではなくて、準備期間も含めてそれ以降も含めて大阪の持てる、バイオや医療も含めて、中小企業、小規模事業、その持てるものづくりや技術力を世界に向けて発信する機会ととらえて中小企業支援をどんどんやっていくべきだというふうに思います。
その上で大阪市を残した上で、2025年大阪関西万博成功させたとするならば、そういう流れの中で「やっぱり大阪は経済の都市やな。産業振興の都市やな。商売の都市やな」と思っていただくことによって、これ大阪をもっと、東京の真似するんじゃなくて、アジアや世界を見定めた経済の新首都にしていく、そういう方向を私柳本あきらは目指していきたいというふうに考えているわけであります。
経済産業省とはいいませんけれども中小企業庁とか貿易関係のジェトロとかそういったものの本部をもっていきたいなといわれるような状況をつくりだすことによって上海あるいはニューヨークといわれるような経済都市をつくりあげることができると思っています。
そういう気質が大阪にはあるんです。
私は、この3月で賞味期限が切れますけれどもよくこういう話をさせていただいているんです。朝のNHKのテレビ小説見てはりますか、まんぷく、もう3月で終わっちゃいますけれどもね。日清の安藤百福さんの奥さんが主人公です。カップラーメンも、そしてあの即席ラーメンも大阪発祥なんですよね(拍手)。そうなんです。大阪発祥のものって他にもあるんですよ。例えば、回転寿司もいまや世界中でお寿司以外のものも回っていますけれどもあれ、大阪が発祥なんです。元禄寿司さん、そしてオムライス、洋風のような気がしますけれども、あれも北極星さんということで大阪が発祥なんですね。なんかこんな話をしていたら、お腹が空いてきましたけれども。それ以外でね、港区も含めてですけど、湾岸沿いでいろんなものづくりの向上がありますから。最近私も知ったんですけれども、CMでおなじみのハズキルーペね、あれ西淀川区のもともと安治川鉄工株式会社っていうところの子会社が西淀川区にあって、そこでスタートしたらしいですね。ただ、いま本社は東京に行っちゃっています。なんで東京に行っちゃうのか、そういう状況をつくらないような大阪を柳本あきらは目指します。(拍手)
みなさん、大阪をこんな風に盛り上げていこうではありませんか。人と人とのつながりがあって、経済の発展があって、そんな大阪って夢がありますよね。大阪市がなくなってしまうかもわからない大阪なんて、夢がありません。そんな都構想議論にいまこそ終止符打って大阪の未来を語れるような状況をみなさんと力を合わせてつくっていこうではありませんか。
今回のたたかいはほんまに厳しいんです。冒頭にありましたように、もう出遅れてます。追っかけてます。いまやっと遠くに遠くに相手方の背中の姿が見えたぐらい。そんな状況の中で皆様方からね、「頑張ってや」「よう出てくれた」いうていただけるはほんまに嬉しい。勇気百倍なんですけれども、そういった言葉のなかに「今度は大丈夫やから」っていう人がいるんですね。その声を聞いたら、私はそんなことない、そんなことないねんって言いたいんです。その大丈夫やからっていう方の顔が悪魔のように見えてくるみたいな(爆笑)。だから、大丈夫やといういうんやったら、大丈夫なようにしてください(拍手)。今日からみなさん、一人、五人、十人と柳本あきら、小西ただかず候補が大阪中に広がるような、そんな活動をぜひとも力を貸していただき、進めていただきたいと思うわけでございます(拍手)。お願いします。柳本あきらも4月7日の投票日に向けまして、命かけて、決死の覚悟でたたかい抜いてまいりますので、皆様方のあたたかいご支援をたまわりますように、一票投じていただけますように、そして大阪を取り戻しいただきますように心からお願いを申しあげ、柳本あきらのお願いのご挨拶と代えさせていただきます。どうぞよろしくお願いを申しあげます。(拍手)