それでも私達は生きていく (Still we live)
noteに書かれていたコメントにどうしても答えたくて、それでも語彙が全く足りなくて、ふと検索してみた
までgoogle先生の検索欄に入れた時に、候補として出てきた言葉は
だった。
私の息子は自閉症だった。
診断が下ったのは息子が2歳の頃。
その時の私は今思えば「幼稚な絶望」をしていたのかもしれない。
息子とモトクロスが出来る様になるだろうか、ゲームが出来る様になるだろうか、もしかしたら二人で何かの映画を観て、一緒に涙を流す事になるかもしれない。その親としてのごくごくささやかな望みが断たれた。
家内が体調が悪いと通院して母子手帳を持ってきた時の高揚感。
私の様な半端者でも親になれる。それらが全て足元から崩された。
1時間ごとに涙を流し、どうすれば良いのかわからない。
どうしたら良いのかわからない。
目の前の仕事はまるで頭に入らない。
私は、私と言う人間は、こんなに弱い人間だったのか。
何か月か経った。
自閉症の学術の書籍を貪る様に読んでいた時に、家内が私を呼んだ。
息子が笑っている。今まで何回教えても覚えるそぶりもなかった歌を歌い身振り手振りを付けて。
笑っている。
私は自分の悲しみしか見ていなかった。
自分の希望しか考えていなかった。
どうすれば自閉症の息子を「健常の子供と同じように生きていける様になるか」しか考えていなかった。
息子の「たのしい」や「悲しい」にはまるで目を向けていなかった。
これが「親」だったのか。
息子の事を考えているつもりで、実際には自分の事しか考えていない。それが、私の思う「親」だったのか。
ならば、俺はそんな「親」を否定しよう。
息子と共に、世間から見て「くだらない楽しみ」を拾い続けよう。
この日、私は父親になった。
私の親族は言う「子供が障碍者なのだからお前はしっかりしなければ」
くそくらえだ。
俺は息子と共に生きる。
息子のささやかな楽しみとか、生きにくさを認めて、共に生きる。
彼は世間の常識から外れる事をこれから先、何度もする事になるだろう。その度に「笑えない事」を「笑える事」に変えていく努力をするだろう。
私の望みは、息子が何か変な事をした時に
「何してんだ。アホちゃうか?」
と言える様になる事だ。
沢山の人達は栄光の道を進むのだろう。
そんな人達からしてみれば、私は負け犬なのかもしれない。
だが、負け犬には負け犬の意地がある。
どんなに泥にまみれても、生き続けてやる。
私が望むのは笑顔だ。
偉そうに高説を垂れる人達にとって「取るに足らない」だろう笑顔。
その大切さを教えてくれたのは息子なのだから。
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