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加害した側の物語

※この記事は以下の記事に言及しています。

また、内容的にも以下の記事にも関連する様に書いています。


被害者の物語

「ルックバック」は間違いなく、被害者の物語でしょう。
ただ、「ここまで絶賛される理由」というのが良くわからなかった。
漫画としては面白いのですが、クリエイターが絶賛される理由が分からなかったのです。なんか堀江貴文氏も寄稿されていたのですが、私が知りたい「クリエイターが絶賛される理由」については語っておられなかった。

「ルックバック」のち密さについてはこちらで語っていらっしゃいました。
これは私にとっては納得できる内容でしたが、逆に「そこまで考える人はそんなに居ないような気が」とも思いました。

お時間がありましたら参照ください。なかなか興味深い考察をされていました。


加害者の物語
多分、殆どの人は「聞きたくない」と思っているのではないでしょうか。

今回の五輪の騒動の中、ナチズムについて云々する人が散見しましたが、多くの人は「ハンナ・アーレント」どころかダッハウの名前すらも知らないのではないのか、そう感じる事がありました。
ドイツでナチズムが非合法にされているのは危険な思想、という事もさることながらハンナ・アーレントの『イエルサレムのアイヒマン-悪の陳腐さについての報告』が根底にあるのではないかと考えています。取るに足らない人物もナチズムに影響されれば残虐な戦争犯罪者になるという事です。

京都アニメーション放火殺人事件のみに限らず、なんらかの事件の加害者は常にその異常性をクローズアップされます。今、この時点で加害者では無いものの、過去に倫理的に難しい行動を行った人に対しても、その異常性をクローズアップされています。

しかし、児童虐待を例に取れば、その犯罪の殆どが「両親、家族」で行われており、「不審者」である事はほんの一握りである事を私達は統計から知る事が出来ます。これは氏が指摘している通りです。

しかし、対策(特に地域の対策)では「両親・家族が加害者の可能性が高い)という前提で見回り・協力をしていません。「加害者は異常な者、不審な者」でなければばらないのです。自分達と変わりないというのは加害者を非難する人達にとっては「石を投げて非難している相手が同じ人間である」というのは、「自分がいつそちらに転落するかわからない」「自分のやっている事の正当性を疑われる」事になるかと考えます。

だから、加害者は「異常者」「不審者」そして「自分達とは違う人」であると言う安心を求めているのではないでしょうか。

だからなのか、彼等は加害者の物語にあまり関心を持ちません。いや、最近は「聞く耳を持たない」に変わりつつあるのを体感している所です。

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