父が死んだ。

⚠️親と仲良かった人は気分が悪くなると思うので
読まない方が良いと思います。
強いて言えば誰も読まない方が良いです( ᐛ )

父が亡くなったのは1年半程前。
死因はコロナ。
とはいえ、元々 心筋梗塞、脳梗塞、高血圧、
糖尿病で腎臓も悪かったため透析も週3。
コロナになるちょっと前には
全身に血が回らなくなって来ていたため
足を切る話が出てたくらいには身体は良くなかったです。

コロナは元気な方にはただの風邪ですが、
やっぱり持病ある方は怖いもんですね。はい。

闘病生活が始まってから16年。
本当に長かった。きっと本人も辛かったでしょう。

さらに遡って私が幼稚園児の頃
父は土木の会社をしていて
良い言い方をすると私は社長令嬢でしたが、
私が小学校低学年の頃には
仕事が無くなっていき会社は倒産。
(父さんだけに倒産←( ∩'-'⊂ )‬すみません)

借金が残り、性格難ありの父は働き始めても
すぐ辞めたりプー太郎したりを繰り返していたら
最初の心筋梗塞発病。

最初の心筋梗塞の後でもチラホラ働きに行ってましたが、
そうこうしてるうちに脳梗塞発病。
ここから働かなくなりました。

最初の脳梗塞の時は重度の半身麻痺で
父のパッチリ目や口も筋肉も皮膚も垂れて
顔の真ん中で真っ直ぐ線が書けるんじゃないかってくらい
左半身が綺麗に垂れ下がってました。
当時小学生の私には衝撃的でした。

姉達とお見舞いで病院へ到着直後
身体の半分が麻痺してるせいで、口が動きにくく
何を喋ってるのか私には聞き取れなかったのですが
姉が聞き取れたようで
第一声が「ファミチキ買ってきて」でした。
もちろん場所は病室です。

父はかなりのド偏食で自業自得の血液ドロドロ男でした。健康って大事です。

父は元々ド短気で理不尽思考で
すぐキレる人だったので
この頃にはすでに父の事は、苦手とかではなく嫌いでした。

父と母はすごく対象的で
母はかなり人間が出来ている素晴らしい人でした。
三人兄弟の私たちに向けて
「お父さんもうすぐ死ぬから優しくしてあげてな」
と最初の呪いの言葉を聞かされました。

麻痺状態の父を見た直後だったので
『確かにそうやな!』とその時は素直に受け入れましたが
ここから10年以上、呪いの言葉に疑問を抱きます。

小学生の頃、家に友達が来た時に
「ちーちゃんのお父さん何でいつも家おるの?」
と純粋な質問が飛んできたりもしてました。

母が父と三人兄弟の私たちを養ってくれている上で
家事もしてくれて、大変なのにいつも気丈に振る舞ってくれて、尊敬でしかないです。
本当にマザーテレサの生まれ変わりかなって思います(我マザコン)

母は塾の講師をしたり料亭の仲居さんをしたり
いつもバタバタしてましたが、
夜遅く帰って来ても結構な量の料理をパパっと作っていたのが
大人になった今、さらに凄さを痛感してます。
1人分とかならまだしも、5人分ですよ。

父は若さゆえか、鬼の治癒力で
最初の麻痺はほとんどなくなって
普通に喋れるし普通に歩けるレベルまで回復しました。

それでも働かないどころか、朝から晩まで働いて帰って来た母に命令ばかり。
父が言った事を母がしてなかったらキレてました。それが凄く嫌でした。

私が中学生の頃、成長と共にちょっとずつ家事が出来るようになって
晩ご飯を作ってみたけれど、
まぁ慣れてないから遅いし下手。

父はちょっと食べてから文句を言い、
ほとんど食べずに母の帰りを待って
結局母が晩ご飯を作ってた事があったり

父はそういう人なので仕方ないですが
母の役に立てずしょんぼりでした。

学校から家に帰ると父がいて
自分は何もしないのに、命令ばかりですぐキレるので
家に帰るのが億劫でした。

それから中学時代をざっくり言うと
父がまた心筋梗塞になったり
心臓カテーテルをしたり。
残念な事に、父の入院中のお家は最高でした。

そしてついに高校!
もちろんお金がなかったので
念願のバイトが出来ました🎉
中学生の頃、みんなユニバ行ってるの良いなぁと思ってました。
みんなお金持ちやねー。

掛け持ちして夏休みは30連勤とかしてました。

ただ私が高校生になってある程度召使いとして使えるようになったからか、病気が悪化したストレスなのか、
父の性格の悪さがエスカレートしていた時期でした。

脳梗塞がまた発病。今回は前回ほど酷くはなかったですが
後遺症が著しくて、話しだす時に口が上手く動かなかったり、言葉を瞬時に思い出せなくなって言葉に詰まったり、歩きづらくなったりと
お薬を飲んでも療養しても、元に戻らない所まで来ていました。
その頃には身体障害1級です。

こじつけのように何かにつけて
罰金を取るようになりました。
わざわざ門限を早くして遅れたら1万とか。
書きながら思い出すだけでしんどいです。
自分の親の醜い感じが。

父は父なりの憤りとか葛藤とか身体的な辛さもあったでしょうし
ちょっと動いただけで息切れするのが
どれほど辛い事か。私にはまだ分かりませんが。
以前にも増して毎日イライラしていて、八つ当たりも増えました。

帰って来て扉開けてすぐに
醤油投げつけられた事もありました。
醤油差しだったのでボシャッじゃなくて
ピチャッて感じだったのでまだ良かったです。
ただやっぱ『私何も悪くないのに制服ゥ…』とはなりました。

父がやりようの無いイライラを抑えきれず
いきなり炊飯器と電子レンジをガッシャーンと床に落とし出した時は、ビックリしました。

通常時でも父が怖いのに、奇行されると本当に怖いです。
ただあの時の父はちょっと可哀想な雰囲気もあったので複雑です。

姉は母に似てかなり優しいので
テキパキと落ちた電子レンジと炊飯器を元の場所に戻して
電子レンジが奇行により破壊されていたので
新しいのを買いに行ってくれました。

取り残された私は、父の怒りの余震被害に遭うんじゃないかとビクビクしていましたが
まもなくして父が車でどこかへ出かけました。
1人で出かける事はほとんどなかったので
父自身もかなり来ていたのだと思います。

とはいえ、それを買うのは母のお金ですし
これからも私からお金は取るんですよね。

ちなみに姉は勉強が良く出来た頭の良い人だったので、バイトはせず学業に専念して、

弟は男の子なのでお金をかけていて
スポーツ推薦でバイトも禁止の高校へ行ってました。

なのでお金を取れるのは
私だけだったのが凄く嫌でした。
頭が悪く、女である私が悪いという現実。
何か自分で書いてて辛い。
自己肯定感ダダ下がりだよほんと。

姉は気が弱いですが、反対に弟はかなり気が強く
身体的にも父に勝てるくらいになったからか、
マザコンも相まってか、
父に向かって「お前なんか生きてる価値ないわ!」
と言い放ったらしいです。
父は「何でそんなん言うねん」と泣きそうになってたそうです…。(私はその場にいなかったので母から聞いた)

さすがにちょっと可哀想とも思いましたが、
普段の母に対する横暴な態度は
目に余るものがあるのも事実なので
自業自得っちゃ自業自得、でもなぁ、一生複雑です。

そういうのもあって父は弟に対して何も言わず
姉の事は好きだったようで
私のことは嫌いな上に攻撃出来る対象でした。
世の中ちゃんと反撃する時は反撃すべき
という事がよく分かりますね。

弟が高校生になったタイミングで
母方の実家に住まわせてもらってました。
祖母も居ました。
祖母は母と父の事を「王様と召使いやな」と言っていて
えぇ実の娘に!?とビックリしましたが、
祖母は母が結婚する時大反対したそうです。
そりゃそうやんなー。

母と結婚する前、父はバツ2で評判も悪いのに
押し切って結婚した結果が「王様と召使い」ですもんね。
おさらいですが、父の性格は元々難ありです。
病気のストレスで相乗効果が…

相手選びは大事なのと、過度の責任感は身を滅ぼすどころか周りにも負担が行く事を学びました。


ある日、父が何故か突然
スーパーでウロコすら取ってない良い魚を買ってきて
お仕事終わりの疲れきった母に
それを「さばいて」と丸投げ。

普段元気で明るい母がウロコを取りながら
静かに泣き始めて
父が「もういいよ、置いといて」

あの時が1番父の事が嫌になりました。
母の力になれず申し訳なさもあって。

何でこの人ここにおるんやろう。
病気やからってこっちが全て我慢して優しくしなあかんのかな?どうなんでしょうね。

高校の時も晩ご飯頑張って作ったりしてましたが
当然の如く、毎回文句は言われ
食べずに母の帰りを待つのも多々ありました。
心が折れます。

ちょっと面白いなと思ったのは
父は野菜全然食べないんですよ。だから血がドロドロなんですけど。
いつも添えてるレタスとかトマトとかを必ず残すので
もういっその事、野菜乗せずに出したら
「あれ?野菜は?ちゃんと乗せて」
と言われて乗せたら、お肉だけ食べて結局お野菜残されました🥬笑

まさに王様。怒りを通り越して笑えます。

他にも色々ありましたが、高校卒業。

賢さが欠如している肉ちゃんなので
国立なんて行けるわけもなく、アパレルに就職。

18歳の5月頃、毎日父がキレていて
「出ていけ」と私に言って
『あぁ、そうか、出て行けるんか』と気づいたので
「わかりました」と答えて家を出ることに。

姉はその頃大学生、国立行ってご立派です。
しかも特待生。
同じ姉妹と思えないよ。

そんな自慢の姉から「家出ても家にお金は入れや」
と言われて衝撃でした。

私の当時の手取り13万、仕送りしながら
どう生活するのか。
とはいえ、姉は母を思っての発言でしょうし
私も出来る事なら仕送りしたいとも思います。
姉にムカついたりはしませんでしたが、ちょっと悲しかったです。

母は「あんな人の言う事聞かんでいい」と涙ぐんで止めてくれましたが
その姿を見て尚更、私も父と一緒にいるのが限界だったので
決意が固まりました。

父がお金置いていけと、30万くらい置いていきましたが、父にバレないように高校の頃から頑張って貯金したので
何とか一人暮らしにありつけました。

初期費用諸々でお金が無く
どうぶつの森の最初の部屋みたい部屋で
最初はカーテンもお布団も机も洗濯機もなくて
知り合いから頂いたカラーボックスを机の代わりにしたり、服をお布団代わりにして
お布団買うまでは、身体バッキバキでした。

洗濯機もないので近くのコインランドリーへ足を運ぶと、まぁ薄暗くて気味悪くて
もっと良くならんの???って感じの所へ行ったり、貧困生活を送ってました。
当時の体重は43kgくらい、今55kg✌️♡♡♡
がむしゃらに働きまくって
50連勤1回休んで30連勤とかを繰り返していたら
ホルモンバランス崩れまくって、ヒゲとか生えだしてました。婦人科行ってお薬貰ってました。
治って良かった。
懐かしい。思い出しただけで涙でちゃうよ。

母に「大人になったらお父さんの気持ちが分かるよ」とか
「お父さん許せる日が来るよ」みたいなこと言われて生きて来ましたが。

実際に亡くなったら悲しくなるのでは?
と思っていましたが、余裕で辛い思い出が凌駕してきて
悲しくはなかったです。

未だに思い出しただけで辛い。
ふとした時にフラッシュバックする。

父の気持ちは一生分かりたくないし、
分かる必要はないかな。

ただ私は性格も顔も、母より父似なので
父みたいにならない様に
これからもお仕事頑張って、母みたいになれるように頑張りたいです。

余談ですが、私が家を出て数年後
姉が就職してから今度は姉にお金をせびるようになったらしいです。 ため息が出ますね。

今は家族みんな幸せに暮らしてます。

まとまってないタラタラ長い文章
読んでくれてありがとねー!!!おわりー!!!




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